第113話 老護衛の訪問②

保安部の詰所を出ると第一ターミナルへととって返す。

 職員通路を出てまっすぐ。

 少し前まで毎日通いつめた店へとロレッツォが歩みを進める。ガラス張りの壁面と常時開け放たれた扉が来る者を拒まない雰囲気を漂わせているその店の名前はヴェスティビュール。


「いらっしゃいませ。あ、ロレッツォさん! お久しぶりです」


「やあ、お久しぶりですな」


 好々爺然こうこうやぜんとした笑みを浮かべるロレッツォを出迎えてくれたのは給仕のソラノという少女だ。少女と呼ぶには大人に近づいているものの、まだまだ成熟した女性と呼ぶには程遠い。溌剌<はつらつ>とした笑顔と元気な声が特徴の十代後半の若者だ。

 陽の高い時間帯ではあるが、ビストロ店にはちらほらと人が見られる。ランチでもなくディナーでもない時間を狙ってやってきて尚人が入っているということは繁盛している店の証拠だろう。

 空いているカウンターに腰掛けると果実水を出してくれる。くっと煽ると爽やかな柑橘類の味わいの水が下の暑さでやられた体に染み渡った。


「今日はお一人なんですか?」


「ええ、先日のお礼とお詫びを兼ねて訪問させて頂きましたので」


 言うが早いがカウンターの上に二つ小箱を置く。


「受け取って頂けますかな」


「えーと、シェフを呼びますね」


 バッシさん、と厨房に立つ大柄な牛人族を呼び寄せるとその男がのしのしこちらへやって来る。横では長身の青年がせっせと玉ねぎの皮むきをしていた。

 バッシと呼ばれたシェフはロレッツォの顔を見るなりお辞儀をした。


「先日はどうも、ご贔屓にして頂きありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそお騒がせをいたしました。あの後も大変な騒ぎになったと聞き及んでおります」


 フリュイ・デギゼを求めて王都中の淑女がこの店に殺到したという話はロレッツォの耳にも入っていた。噂好きで流行に敏感な貴族の女性が、王城での花祭りの会を前に一度は食べておきたいとこぞって押し寄せたというのだから大変な事だっただろう。

 しかしそんな事は構わないといった風に、バッシは大きな口を二カッと広げる。


「おかげさまで店の評判が広がったようでして、お客の入りが良くなりました」


 まだ始まったばかりの店なので助かります、と続けるバッシはどうやら腕だけでなく性格までいいシェフのようだ。


「それは何より。しかし店を半ば陣取るようにして食事をし、ご迷惑をかけた事は事実ですから、こちらはお詫びの品です。受け取って頂きたく」


 言われてバッシが慎重に小箱を開き、ハッと息を飲んだ。中にはガラス瓶に大人のこぶし大もあるピンク色の結晶が納められている。


「これは岩塩がんえんですか」


「アリー岩塩窟がんえんくつで採掘されたものです」


「そりゃ珍しいものを! まず市場では手に入らない」


「王女殿下の計らいでして。今度この岩塩で調理した料理を頂きたいとのことです」


「それはそれは、光栄です。メニューを考えなければ」


 バッシが驚くのも無理はなく、このピンク色の岩塩は希少価値が高く一般流通はしていない。王室御用達のものを王女が特別に計らって持たせてくれたものである。

 宝石のように恭しく捧げ持ち奥の棚へと大切にしまい込むと、もう一つの小箱を開けてみる。そちらは特に面白みのあるものを入れているわけではなく、ありふれた紙片が顔を覗かせた。

 難しい顔をして小箱を閉じた後、バッシは紙片の入った方をこちらへと押してよこす。

 

「ロレッツォさん。これは受け取れません。店には利益はあれど不利益はありませんでしたし、これほどの大金を受け取る理由がありませんよ」


「そうは言わずに」


「ですが……」


「というのも理由がありましてね、今私が座っているこのカウンター席に傷がついているのはご存知ですか」


 トントン、とカウンターのテーブルをロレッツォが指先で叩いた。それに反応したのはバッシではなくソラノだ。


「あ、そこ、小さい穴が四つ空いているんですよね。いつついたんだろうって不思議に思っていたんです」


「実はこれは私がつけたものでして」


 カウンターにくっきりと残る四つの穴を見ながらロレッツォが言った。

 あれは丁度フィリス王子が店に来る直前のことだった。緑の髪をした一人の若者が、フロランディーテの正体に気づき思わず「殿下」と口走りそうになったのを察知し、それを阻止するために咄嗟にフォークを投擲とうてきしたのだ。

 思惑は上手く行ったのだがフォークはカウンターに深々と突き刺さり、跡をくっきりと残した。

 どうもこの空港には優秀な職員が大勢いるようだ。まさか二人に見破られるとは思っても見なかった。


「え? でもロレッツォさんが座っていた席は窓際だったはず」


「うっかり手を滑らせてフォークが飛んで行ってしまいましてなぁ」


 朗らかに言ってみるものの二人の周りには疑問符が飛んでいる。

 不思議に思うのは無理もないが、ロレッツォにはもうこの手で押し通していく気が満々だった。


「真新しい店に傷をつけて申し訳ないと思っていたのです。修理代に使っていただければ有難い」


「そういうことでしたら……しかしこれは多すぎます」


「まあまあ、気持ちだと思って。受け取ってもらわねば私とて困ります」


 まさか持って帰るわけにもいかないので、と付け加えきっぱりと意思を示すと渋々といった様子で小箱を受け取る。それを見て満足したロレッツォは頷くと、今度はソラノが話しかけてきた。


「ロレッツォさん、今日はお食事されていきますか?」


「ああ、勿論」


 言ってメニューを眺め、ふと気がついた。


「フリュイ・デギゼはもう提供していないようですな」


「苺の季節が終わってしまったので。他のフルーツで丁度代用できるものがなかったんです」


 そう苦笑しながらソラノが答える。成る程確かに、初夏にかかるこの時期に苺の栽培はなされていない。南方から年中輸入されるシルベッサは生だとくし切りで食べるのが一般的なため飴を絡めて食べるには向いていないし、他にもあのような形で供するのに丁度いい果物というのは、季節柄無いだろう。


 さて何にしようか、考えるまでもなく実はロレッツォは注文を考えてからこの店にやってきていた。十日間通いつめた中で最も気に入った品の名を口にする。


「では、サラダニソワーズとロゼワインを」


「かしこまりました」


 注文を通す声を聞き、先に出されたロゼワインで唇を湿らせる。

 きりりと冷えた淡いピンクのワインは先ほどの果実水とはまた違う意味で身体中に染み渡って行った。


「王女様はお元気にしていますか?」


「それはもう。毎日フィリス殿下と話し込んでいて、仲睦まじい様子は王城でも注目の的ですよ」


「それは良かった。二人でお話ししている様子が想像できます」


 想像したのか、にこりと楽しそうな笑顔を浮かべた。 

 実際あの二人はとても仲がいい。三年越しに想いが通じ合ったのがよほど嬉しいらしく、どこに行くにも一緒であったし何をしていても楽しそうだった。フロランディーテの咲き誇る花のような笑顔を見られると、幼い頃よりずっと護衛として側にいるロレッツォとしても感慨深いものがあった。

 この店で沈痛な面持ちで王子が来るのを待っていた頃を思えば、別人のような表情である。


「またこの店に二人で来ようと画策しており、側近を困らせておりますよ」


「来ていただけるのは嬉しいです。お待ちしていますとお伝えください」


 恐らくあの二人の熱意なら近いうちに来るだろう。お忍びにしては大掛かりになるだろうし、またも空港職員に迷惑をかけることになるだろうがそれでも実現させるという意気込みを感じさせる。


「お待たせいたしました、サラダニソワーズです」


 トン、とカウンターに置かれたそのサラダは前回出されたものと少々異なっている。


「そろそろ夏野菜の時期なので、旬の野菜を使っています」


「なるほど」


 白髪混じりの顎髭を撫でつつサラダの具材を吟味する。

 オイル漬けのトン<マグロ>に黒オリーブ、アンショワ<アンチョビ>そしてくし切りのゆで卵。野菜のアクセントとなるこの辺りの食材に変わりはない。

 しかしレタスの上には前回と異なりトルメイ<トマト>、炒めたズッキーニが乗せられていた。


「では、早速いただくとしますかな」


 言ってフォークを持ち、まずはズッキーニ。

 油で炒めたズッキーニはカリッとした食感、続いて瓜の柔らかく淡白な味わいがやって来る。アンショワの塩気が程よい。

 パリパリとしたレタス、トマトがトンのオイル漬けの油っぽい味の清涼剤となっている。

 バランスのとれた一品だ。

 フルーティなロゼにぴったりである。


「ロゼワイン、おかわりしますか?」


「ええ、是非お願いします」


 このために先に保安部への訪問を済ませたのだ。

 用事は先に済ませ、ゆっくりと食事を味わう。フロランディーテには申し訳ないが役得と言えよう。サラダを半分ほど食べたところでロレッツォは次の注文を告げた。


「肉料理も頂いていいですかな。本日のオススメを」


「かしこまりました」


 さて今日のオススメは何が出て来るか。オーダーを通すソラノの声を聞きながら、ロレッツォは指先を組んで、久々にやって来たこの店のゆっくりとした時間を味わった。


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