第112話 老護衛の訪問①

 ロレッツォがエア・グランドゥールのフロアに降り立ったのは花祭りも過ぎて初夏の香りが漂い出す頃合いだった。本当はもう少し早くに来る予定であったのだが、何分王城を離れるのが心もとなく、まとまった時間が取れるようになったのがつい最近になったからだ。

 下の王都は日差しの下にずっといると暑さを感じるような時節であるが、雲の上にある空港は高度な魔法技術により遮蔽されているため外気温や湿度といったものに左右されない。飛行船を降りた時から快適な温度に保たれた建物内で、目当ての場所へ向かう前にちらり、と第一ターミナルの隅にあるビストロ店へと目を向けた。

 あの店へ行く前にまずは所用を済ませる必要がある。


 職員用の通路を通ってまっすぐ。向かう場所は空港の保安部詰所。


「もし、王宮筆頭護衛のロレッツォと申します。部門長のミルド殿と、その部下であるデルロイ殿とお会いする約束をしているのですが」


「はい、伺っております。こちらへどうぞ」


 職員に案内されて殺風景な会議室へと通された。ゆったりと構えているとミルドとデルロイがやって来る。


「ロレッツォ殿、わざわざのご来訪ありがとうございます」


「こちらこそ時間を取らせてしまって申し訳ない」


「いえいえ、まさか筆頭護衛である貴方様にお越しいただけるとは思ってもみませんでした。光栄なことでございます」

 

 向かいに腰掛けながらそんな世辞をかけるのは部門長であるミルドだ。隣のデルロイはにこやかな笑顔を浮かべながら会話の邪魔にならないよう黙っている。


「先般の侘びとお礼にと訪問させていただきました。姫様の無理に付き合って頂き、誠に有難い限りで。そちらのデルロイ殿が護衛について下さった事で私の肩の荷も随分と降りました」


「王城にこの人ありとその名を轟かせるロレッツォ殿にそう言っていただけるなど恐れ多い。俺はただただ見守っていただけですよ。王女殿下の御身に何事もなく済みホッとしています」


 返事を返すデルロイは出自がいいだけあってそつが無い。母親に瓜二つの整った顔立ちだが、人に不快感を与えないよう計算され尽くした笑みを浮かべている。


「いやはや。しかし初見で姫様の正体を見破られるとは思いませんでした。母君であるリゴレット伯爵夫人譲りの洞察力、見事でございますな」


「恐れ入ります」


「姫様が直接会ってお礼を言いたかったと残念に思っておいででしたよ。舞踏会にはいらっしゃらなかったようですな」


「何よりも優先するべき予定があったものですから」


「ほほう」


 国中の貴族が集う花祭りの舞踏会、しかもフロランディーテ王女の婚約披露の場でもあるあの行事以上に大切な用事とは一体。

 考えを巡らせると脳裏にちらりと第一ターミナルにある店の給仕係の顔が浮かんだ。

 さもありなん。若い二人の関係性をあれこれ推察するのは野暮というものだろう。

 考えを胸の中に押しとどめ、懐から黒いベルベット生地が張られた小箱を二つとり出す。


「こちら、ささやかながら謝礼にございます。一つは空港、もう一つはデルロイ殿個人へと。お納めいただけますかな」


「謝礼などと。我らは必要な事をしたまででして」


「そう言わずに。受け取っていただくまで私は城に帰れません」


 形ばかりのやりとりをミルドと幾度か繰り返しようやっと箱へと手を伸ばす。別にやましいことは何も無い。王城からの依頼を全うしてもらったことへの謝礼金が入っているだけだ。

「花祭りで空港利用客が増えて忙しい時分にこちらの要求を聞いて頂き感謝しております。重ね重ねお礼申し上げる」


 深く頭を下げた後、ちらりと目線を上げてミルドと目を合わせる。


「実は王女殿下が是非またあの店へと行きたいとおっしゃっておりまして。その時にはまた、ご迷惑をおかけするやも知れませぬがよろしくお願い致します」


 するとミルドとデルロイは揃って目を見開き、苦笑を漏らした。


「そういうことでしたら、次は是非事前にご連絡をいただけると助かります」


「ええ、そのように手配する所存です」


「フロランディーテ様とフィリス様はお元気でしょうか」


「それはもう。会えなかった時間を埋めるかのように寄り添っておいでです」


「それは何より」


 用件を済ませて雑談を交わしつつ頃合いを見計らう。

 では、と言ってソファから腰を浮かせた。詰所の出入り口まで見送られると、デルロイの方が声をかけてきた。


「ところでロレッツォ殿はもう城へとお帰りになるのですか」


「いやいや」


 ロレッツォはその言葉を否定する。


「もう一つ、寄るところがありましてな」


 そして次の訪問場所を思い浮かべて心を躍らせた。

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