第141話 レオと貧乏人のキャビア①

 一流の冒険者になるために必要なものとは何だろうか。

 際立った才能。

 その身に宿す膨大な魔素。

 危険を察知し、どんな状況でも焦らず的確に判断する冷静さや慎重さ。

 長い年月を冒険に費やし、技術や知識を蓄積していく経験。

 そして投げ出さずにこつこつと依頼をこなすだけの継続力。


 どれもこれもレオには足りないものだらけで、己の未熟さが祟って夢は半ばにして潰えた。

 今現在レオが握っているのは剣ではなく包丁である。

 それが屈辱的だと思ったことはなく、むしろ望んでその道に入ったので文句はない。

 始まりは空腹のあまりに目についた店で食い逃げを目論んだことだったが、それがいい方向に転がったのだから人生というのは何が起こるかわからないものだ。

 入った店にたまたまいい人たちが揃っていたというのも、幸運だった。

 思えば自分は運がいいんだなと最近になって思えるようになった。

 

 デスビリウス火山でのキマイラとの戦闘、本来ならばあそこで死んでいてもおかしくなかった。たまたま逃げ切ることが出来、ふもとの街へとたどり着いてそこで回復師に助けてもらえた。あの国においてそれがどれほどの僥倖ぎょうこうなのか、それが叶わずに死んでいく者たちがどれほどいるのか。

 戦闘とは無縁の平和な場所にいる今になってそれが痛い程にわかる。


 握った包丁でナスを縦半分に切っていく。

 作る料理はキャビア・ド・オーベルジーヌ。別名は貧乏人のキャビア。

 ナスの種をキャビアに見立てていることからこの名がついたという。

 本物のキャビアは鱘魚の皇帝エンペラー・スタージオンという名の魔物から獲れるのだが希少すぎてまず滅多なことではお目にかかれない。

 庶民はキャビア・ド・オーベルジーヌを食べて本物のキャビアに想いを馳せるのだが、実物とは味も見た目も似ても似つかないらしい。レオも食べたことはないのでわからない。

 キャビア・ド・オーベルジーヌであれば家で食卓によく上がってくるのだが、おそらく今作ってるこれは家で食べるものとは違うレシピだろう。


「レオ君、うまく出来そう?」


「頑張ってっからちょっと待っとけ」


 隙を見て横から顔を覗かせてくるソラノを追い払う。時刻は既に閉店時間だ。日中は接客に回ることが多いため時間が取れるのはどうしても勤務時間が終わった後になってしまう。

 三人しかいない静かな店内には包丁でナスを刻む音とバッシが横で明日の仕込みをしている音、そしてソラノがモップで店内の清掃をしている水音が響いた。

 切ったナスは天板に並べてオーブンでじっくりと焼く。砂時計をひっくり返して焼く時間を計測した。

 料理のレシピを書き連ねたレシピを見返す。己の汚い字で、できる限り綺麗に書き写したそのレシピ帳で再現したレシピはまだまだ少ない。

 バッシの目指すビストロ料理は一見素朴な家庭料理のようだがその実とても手が込んでいるものが多い。レオが知らない料理も多々あった。王都で広く食べられているグラタンやハンバーグと言った料理から、包み焼きパピヨットクリーム煮ブランケットのように名前すら聞いたことがない料理まで様々だ。

 

 地道に覚えていくしかない。

 コツコツとやっていくことはレオが最も苦手としていた事だが、近道をしようとして取り返しのつかない怪我を負った冒険者時代を振り返ると、やはり根気よく経験を積み重ねていく事は避けて通れない道だと悟った。きっとそれが一番の近道だ。



「レオ君真剣ですね」


「なかなか調理時間を取ってやれないから、出来るときに集中してやりたいんだろう」


 閉店準備をしているソラノがバッシと話しているのを聞き流しつつも、焼けたナスをオーブンから取り出した。粗熱が冷めたら中身をくり抜くので、ひとまず置いておきにんにくとアンショワをみじん切りにする。


「でもバッシさん、貧乏人のキャビアなんて名前がついてる料理、お店では出せませんよね。どうしてレオ君に教えたんですか」


「んん? そりゃあ美味いからに決まってる」


 さも当然かのようにバッシが答えた。オーブンでじっくり焼かれたナスはとろっとしていてスプーンを入れれば簡単に中身を掻き出せた。丁寧にすくい取りボウルに入れていく。


「料理の修行ってのは店によって全然違うんだが、俺はなるべく場数を踏んだ方がいいと思ってる。いろんな料理に触れて、作り、味わう。そうした経験を蓄積していって自分の中の料理像を作っていくんだ」


「なるほど」


「例えばこの空港の中央エリアにある貴族向けの店なんかは、下積みが長い。中には一年間接客をしてからでないと厨房に入れてくれない店すらある。そんでやっとの思いで厨房に入ったら、何ヶ月もじゃがいもの皮むきだけとか葉っぱをちぎるだけとかな」


「それはちょっと、心が折れそうですね」


 二人の会話を聞きながら熱したフライパンにエリヤ油とにんにくを入れて炒めた。にんにくのいい香りが店内に漂う。そこにアンショワとナスを入れる。


「まあ、大きな店や格式高い店ほどそういう傾向にあるな。店の格ってやつがあるから仕方がない。投げ出さずに地道に努力すれば相当な腕前になれるだろうし、そう言ったやり方があっている奴だっている」


「バッシさんは実践派ですか?」


「ああ、小さい店は人手が足りないから実践主義のところが多いぞ。なんでもこなせる奴が強い。逆に指示を待ってばっかりの奴には辛い環境だろうけど、レオは大丈夫だろ」


「おう」


 二人の会話に短く返事を返した。フライパンを振るう。混じり合った具材が一瞬フライパンを離れて宙を飛び、遠心力によって戻ってくる。これが成功すると気持ちがいい。


 仕上げに塩胡椒、そして器に盛り付ければ完成だ。

 ペースト状のキャビア・ド・オーベルジーヌはバゲットに乗せて食べると美味いとバッシから教わっていた。

 素早く用意したのはガーリックバゲット。閉店後なのでどれだけにんにくを使っても構わない。

 にんにくの香りが食欲を刺激し、ソラノがたまらず胃を抑えていた。


「できたぜ」


「わーっ、待ってました!」


 器に盛り付けた琥珀色のキャビア・ド・オーベルジーヌと横に添えた焼きたてのバゲット。

 閉店後の賄いタイムだ。

 

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