第142話 レオと貧乏人のキャビア②

「どれどれ」


 持っていたモップを放り出してソラノがカウンター席へと座る。レオとバッシは厨房から立ってバゲットに手を伸ばした。

 バターとエリヤ油、それにペースト状にしたにんにくをたっぷりと吸ったバゲットにキャビア・ド・オーベルジーヌを塗りつけていく。


「いただきまーす」


 ソラノが言い、豪快にバゲットに噛り付いた。レオとバッシもそれに続く。


 カリッ。

 カリカリッ。


 ものすごくいい音が店内に響いた。噛むたびに口の中でもザクザク、カリカリ言っている。

 バターを吸い込んだにんにくの背徳的な味わいが広がり、そこに炒めたナスのとろりとした味わい、そしてアンショワの塩辛さがやってくる。

 美味い。

 噛むほどにナスの旨味を感じる。


「美味しい!」


「ソラノはキャビア・ド・オーベルジーヌは初めてか?」


「はい、初めてです。美味しいこれ……今まで知らなかったことが悔やまれます。ナス好きにはたまらない味わいですね」


「結構一般的な家庭料理だから、いろんな味付けがあるんだが俺はシンプルなのが好きでこのレシピに落ち着いた」


「そういや家で食うやつはトマトトルメイが入ってた気がすんな」


 食べながらレオが言うと、バッシがバゲットを一口で食べながら頷く。


「そういうレシピもあるな。あとは玉ねぎが入っていたり、ハーブを効かせていたり」


「へぇー、色々あるんですねぇ」


 しげしげと二つ目のバゲットを手にとって眺めながらソラノが言った。


「レオ君、パピヨットとかブランケットは知らなかったのにこれは知ってるんだ。何で?」


「何でって……包み焼きは包み焼きって名前だし、ブランケットはシチューって名前のがメジャーだからだろ。んでこれは、キャビア・ド・オーベルジーヌって名前でよく食うから知ってるんだよ」


「そうなの? 私からすると、キャビア・ド・オーベルジーヌって名前の方が珍しい気がするんだけど」


 レオの説明にソラノは不思議そうな顔をした。そんなソラノを見てレオの方が不思議な気持ちになる。どちらかというとこの料理は一般的な食べ物だ。

 解説を加えたのはバッシだ。


「この国は主食がバゲットだ。だから昔からバゲットに乗せて食べる料理は種類が多くて、どこの家庭でも食べられている。クリームチーズやコンフィチュール、鳥や豚のレバーペースト、そんでもってこのキャビア・ド・オーベルジーヌ。ソラノがいた国では主食が米なんだろ?そのあたりの食文化の違いのせいじゃないか」


「ああ、なるほど。和食が豊富にあるから気にしてませんでしたけど、そういうの聞くとやっぱり違う国なんだなあって感じがしますね」


「パピヨットとブランケットも家庭料理には違いないが、パピヨットは専門用語の意味合いが強いし、ブランケットはライスにかけて食べるからライスを食べない家庭だと出てこないだろうなあ」


「そういやオレん家はライスはそんなに食わねえな。バゲット一辺倒だ」


「食文化が流入していても全く同じってわけじゃないんですね。むしろ和食とフレンチが混ざり合っていて、より独自の方向に進化している感じ」


「でもよ、専門用語なんて理解できる人間の方が少ないだろ。やっぱりここはわかりやすく包み焼きって言った方が良くないか? 他の料理もどうして長い名前をつけるんだ」


 例えばハンバーグはカプレーゼのハンバーグ。オムレツは花畑の巣篭もりツィギーラのオムレツ。なんだか全身がむず痒くなるような料理名が多い。

 小難しい言い回しに納得できずそう言うとバッシがもったいぶったように人差し指を左右に振った。


「わかってねえなあ、レオ。王都の片隅の大衆料理店ならいざ知らず、ここは天下のエア・グランドゥールだぞ。来る客は一般庶民じゃなくて上流階級の人間や高位の冒険者ばかりだ。そういった人たちを相手にするなら料理名ひとつとってもこだわらないとダメだ。期待を持たせる名前にしないと、なあんだ大した事ない店なのねーって言われちまうだろ」


「そういうモンなのか……」


「そういうモンなんだ。この店の名前にしたって、「ビストロ ヴェスティビュール」じゃなくて「家庭料理店 玄関」だったら誰も入らないだろう」


 そう言われると確かにそうだ。そんなダサい名前の店に入るような酔狂な客はここにはいないだろう。


「まあ、料理名についてはおいおい覚えていってくれ。そんでもってこのキャビア・ド・オーベルジーヌだがな……ロゼワインが合う」


 ニヤッとしながら言うバッシをレオは見逃さなかった。


「一本行っとこう」


「お、太っ腹」


「料理とワインのマリアージュを覚えるのも仕事のうちだ」


 言いながらも小型のワインセラーから淡いピンク色のワインを取り出し、三つのグラスに注ぎ入れる。三人で盃を掲げ、静かに乾杯をする。

 冷えたロゼワインのフルーティな味わいが喉からすっと胃に入り、染み渡っていく。丸一日の立ち仕事で疲れた体にロゼの軽すぎない味わいが、効いた。


「美味いなぁ」


 心の底からの呟きだった。今日も料理と酒が美味い。

 冒険者時代は討伐依頼を一つこなす度に飲めや歌えやの大騒ぎで、こうしてゆっくり一つの料理やワインを楽しんだことなど無かった。飲んでなんぼの冒険者だ、量を競うことはあっても味わうことなんて滅多に無い。もしかしたら皆無だったかもしれない。

 少し落ち着いてみれば、ああ勿体ないことをしてたなと思える。


「でも一つだけ納得いかないことがあります」


 不満げな顔をしてソラノがそう言うので何事だろうかとレオとバッシは二人で見つめた。


「貧乏人のキャビアなんて名前がついてなければ、お店でも提供できるのに・・・!こんなに美味しいのに、どうしてそんな名前なんでしょうかね!?」


「さあな……案外、庶民が考え出した名前かもしれないぜ」


 レオがバゲットにペーストを山のように塗りたくりながら答えた。口に入れて噛みちぎると、冷めて少し硬くなったバゲットが口の中に刺さる。


「こんな美味いもんまで金持ちに取られたくないから、こう言う名前にしたのかもな」


「あー、それならちょっと納得」


「昔の連中は貧乏人のキャビアなんて卑屈な名前をつけておいて、その実名前で忌避して食べない金持ち連中をあざ笑っているのかもしれないなぁ」


 バッシもバリバリとバゲットを噛み砕きながら答えた。


「この国もやっぱり昔は貧富の差が激しかったりしたんですか?」


「そりゃまあそうだ。国ってのは色々ある、なあレオ」


「昔はグランドゥール王国も魔物や他国と争ってたらしいな。よく知らねーけど」


「あ、そうなんだ」


「まあ何にせよレオの作ったこのキャビア・ド・オーベルジーヌは中々よく出来てる。だが一つだけ言わせてもらうがな、この料理、じっくり冷やして味をなじませてから食べるともっと美味いんだ」


「あっ」


 しまった、とレオは思った。そういや家で出てくるときも冷えてるものが大半だった。ついついそのまま出してしまったが、これでは魅力は半減だ。

 皿を見るとあとほんの一口分しか残っていない。かっさらうようにそれをスプーンですくうと、最後のバゲットに塗って口に放り込む。飲み下したところで、こう宣言した。


「おし、もう一回作る。そんで明日の昼の賄いにする」


「おお、いい心意気だ」


「頑張って、レオ君。私は閉店準備を進めてるから」


 ロゼワインも飲み干すと、レオは再びキャビア・ド・オーベルジーヌの調理に取り掛かった。

 まだまだレオの料理人としての修行は始まったばかりだった。



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ブランケットとシチューの解釈はグランドゥール王国独自の、またキャビア・ド・オーベルジーヌの由来に関しては筆者独自のものですので悪しからず。

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