第143話 告白と二人のキスと

 季節は、冬。ここ王都の冬は刺すように冷たい風が吹きすさび、石畳の足元からはジワリと冷気が昇ってくる。この日は快晴だったが雪が降ることも珍しくない。

 

 王都の中心、王城がすぐ側に見えるほどの都の中心地にその高級レストランは存在していた。前面に馬車留めの広場と庭を持ち、白亜のコの字型の建物は二階エントランスまで緩やかな大階段が伸びている。

 一見すると貴族の邸宅のようですらあるそこは、王都でも屈指の名店だ。エア・グランドゥールにも分店を出しているその店の本家本元は予約必須で、並の人間ではそもそも予約することすらままならない。名家の出身、豪商、富豪。そういった人間のみが足を踏み入れることを許される、まさに上流階級向けの店だった。


 その店から現れたのは一組の男女。

 店員に見送られて店を出るとあらかじめ呼び寄せてあった階段下の馬車へと向かう。

 客の内、男の方はかの名高い騎士の家系、リゴレット家の末息子だった。

 この数年社交界はおろか中心街にも顔を見せなかった彼が登場すると、店中の客はにわかに色めき立つ。

 装飾を抑えた上品な黒い礼服を着こなし、襟足まで伸びた鮮やかなピンクの髪をオールバックにし、共に来た女性を完璧にエスコートしている。

 恐ろしいほど整った顔に優雅な笑いを浮かべる男は店中の女性客の視線を集めてもなんら不思議はなかった。


 不思議なのは連れの女性の方だ。

 これほどの男に連れられているのに優越した様を見せることもなく、どちらかといえば愛想の良すぎる笑顔を浮かべている。黒髪を結い上げて大きな黒い瞳を持ち、可愛らしい顔立ちではあるが階級社会に相応しいような人種ではない。社交界で顔を合わせた記憶のある人間はここにはおらず、ますます人々の注目を集めていた。この女性は一体誰なのか。


 数々の疑問を店に残しつつも店員は頭を下げて二人を見送る。

 二人は仲睦まじく、馬車へと乗って去って行った。




「ごちそうさまでした」


 ソラノは馬車の中で向かいに座ったデルイに頭を下げた。


「こちらこそ。聞いていた通りテーブルマナーが完璧だったね」


「はい、バッシさんに鍛えていただいたので」


 今しがた食事を終えた二人は中心街から家のある郊外へと向かうべく馬車に揺られていた。

 デルイが予約をした店に二人で行くという約束を果たしたのは、店が新装開店してから数週間は経ってからのことだった。

 予約までされていたのでは断ることなどできない。

 そんなわけでソラノは、あのレースをあしらった空色のドレスに身を包み、慣れないヒールの高い靴を履いてこうしてデルイの向かいに座っている。


 二人で向かい合って狭い馬車の車内に押し込められ、揺られるというのはどうにも居心地が悪い。ソラノの移動手段など日本では通学で自転車か電車、たまに兄の運転する車が関の山だ。馬車って一体。大勢が乗る乗合馬車ならともかく、華美な馬車に二人で乗るなんて未知の体験すぎてそわそわしてしまう。

 服装が違うということも相まって異様な緊張を強いられた。それを口に出したわけではないのだがデルイにはばっちり伝わってしまっていたようだ。


「いやそんなに緊張しなくても、普通にしててくれればいいよ」


「まあそうは言いましても、こう何もかもいつもと違うと普通にするのは難しいです」


 言ってデルイの顔を見るとばっちりと目が合ってしまった。

 嫌味にならない程度に金彩刺繍が施された黒い礼服が死ぬほど似合っている。髪型もいつも無造作に束ねているハーフアップではなく後ろに撫で付けられており、その端正な顔立ちが余すことなく拝謁できた。

 足を組み、腕を馬車の窓に置いて顎下に手を添えている。視線はソラノに注がれたままだ。

 有り体に言えばかっこいい。デルイを見てかっこいいと思ったのはほとんど初めてのような気がした。出会った時にも顔が整っている人だなとは思ったが、それでときめくようなことはなかった。何と言っても店の再建に忙しくあまりその他のことにかまけている余裕なんてなかったというのも事実だ。

 しかし今はどうだろう。

 彼という為人ひととなりを知り、正装でのデートを申し込まれた。その状態で密室に至近距離で二人でいれば否が応でも緊張してしまうというものだ。行きも緊張したが帰りはそれ以上だった。


「お味はどうだったかな」


「美味しかったです。あとはやっぱり珍しい食材が多いですね。キャビアって私がいた国にもあったんですけど、初めて食べました」


「鱘魚の皇帝は手強い上に珍しいから、俺もほとんど食べた事ないよ」


「プチプチしてて面白い食感でした」


 料理の内容を思い返してソラノは感想を漏らした。これが果たして地球にあるキャビアと同じ味なのかどうかは、地球でキャビアを食べた事がないソラノには永遠に答えが出ない謎だった。

 以前バッシと共に行ったレストランでもそうだったが、高ランクの手強い魔物は希少な食材として上流階級の人間に提供されるらしい。牙や爪は武器に、毛皮は防具に、血液は錬金術の材料に、そして肉は食材に。全て余す事なく使われていて全く無駄がない。

 ビストロ店として生まれ変わったあの店では牛肉は魔物のものを使っているが、鶏や豚は家畜として流通しているものを使っている。あとはたまに金毛羊のようなちょっと高価な肉が手に入ればそれを使う。 


「まあ食材はともかく、見た目に関していえばバッシさんの料理の方が華があったな。味もくどくないから毎日食べても飽きないし」


 デルイが辛口に品評する。


「ああいうお店はたまに行くからいいんでしょうね。特別感がありますし」


 綺麗な服を着て、貴族の屋敷のような店へと馬車で行き、きらびやかな店内に足を踏み入れる。全てが非日常だ。


「特別感あった?」


「ありました。むしろ特別感しかありませんでした」


「そっか、ならよかった」


 会話が途切れ、静寂が馬車を包む。馭者の腕がいいのだろう、馬車はほとんど揺れもせずに非常に快適だった。静かすぎて、そわそわする。

 両手を膝の上でぎゅっと組んだ。

 そんなソラノの様子を見て、デルイがふっと笑うとソラノの頬に手を添えた。


「ソラノちゃん」


「はい」


「……好きだよ」


 思わず息を飲みそうになった。

 優しく紡がれたその言葉は確かな破壊力を持ってソラノの胸を穿つ。

 今までの関係性を変えるであろうその決定的な言葉を、デルイは何の気負いもなしに言い放った。まるで挨拶でもするかのように。

 

「ソラノちゃんはどうかな」


 答えないわけにはいかないだろう。これ以上はぐらかす意味もない。

 ソラノの心も、きっとずっと前から決まっていた。忙しさを理由に考えないようにしていたけれど、今日ここに来た時からもう覚悟はしていたのだ。


「……私も、好きです」


 デルイの目を見てきっぱりと言う。照れ臭い気持ちとちゃんと伝えたい気持ちとがせめぎ合い、ちゃんと伝えたい気持ちに軍配が上がった。

 慈しむような視線を向けるデルイの顔が近づいて来る。

 ソラノが目を瞑るのと同時に、デルイの唇がソラノの唇にそっと触れる。


 誰も見ていない馬車の中、二人は静かに口づけを交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る