第144話 鶏モモ肉とマッシュルームのフリカッセ

「はっ!」

 

 目をさますとそこはカウマン宅で与えられた自室だった。

 ガバリと起き上がると今しがた夢に見た光景を思い出す。

 

「夢か……何で今更」

 

 動機が激しい。まさか今更になって付き合い始めた日のことを夢に見るとは思いもしなかった。

 十八年間ブラコンを貫いたことからも察せられるように、ソラノは全くと言っていいほど恋愛脳ではない。そして恐らくデルイもそうだろう。

 日頃は自分たちの職務を全うするべく全力を尽くし、休みが合えばデートする。

 連絡を取り合う手段がないので、店で顔をあわせる時とデートする時以外は特にお互いの生活に介入しない。それを不満に思うことはなかったし、むしろそのくらいの距離感が丁度良いと思っている。

 「顔良し、家柄よし、職よしでおまけに性格までいい男を捕まえておいて、よくもそんなに平常心でいられるわね」とはアーニャの言葉だったが、そんなことを言われても仕方がない。ソラノは性格のみでデルイのことを好きになったわけで、それ以外のことは完全に副産物だ。

 世の女性の嫉妬を買いそうな話だが、「顔がいいから!」などと言って舞い上がったらそれはもう、ソラノではない別の誰かになってしまう。


 つまり二人の関係は非常に健全で建設的だった。


 そんなソラノが、デルイのことを夢に見た。これが意味することは一体何なのだろう。


「何だろう……実は寂しいとか?」


 唇に人差し指を当てて思案する。深層心理では自分はもっとデルイと会いたいと考えているのだろうか。全然全く心当たりはないのだが、夢に見るということは何かしら求めているのかもしれない。

 いやしかし、どうなんだろう。

 朝からベッドでらしくないことで思い悩む。

 店のことに関してならばこの一年頭をひねり続けていたが、恋愛面に関してはほぼ皆無だった。恋愛経験も皆無なため悩んでいても答えは出ない。

 

「いやいやっ、朝からこんなブルーな気持ちになってちゃ駄目駄目っ!」


 頬を叩いて己に喝を入れる。そして掛け布団を捲ってベッドから勢いよく飛び降りるとカーテンを左右に押しやり窓を開け放った。

 新鮮な空気が部屋中に飛び込んで来る。すでに陽は高くなっており、晩夏<ばんか>の日差しは秋の気配を含んでいた。爽やかな風が吹き抜ける。

 本日も店へと行くためにクローゼットからモスグリーンのワンピースを取り出し、朝の支度に取り掛かった。



+++


「おはようございまーす!」


「おはようソラノ」


「おはよ、ソラノちゃん」

 

「よぉ、なんか今日はいつもより元気だな。空元気っぽいけど」


 店に着くとカウマン、マキロン、レオに挨拶される。ガレット騒動からもだいぶん時間が経ち店は落ち着きを取り戻していた。

 一通り食べたいと思った王都民たちが食べてしまった、ということなのだろう。わざわざガレットのみを食べにこの雲の上にある店に何度も足を運ぶような人はいない。もし食べたくなっても王都の中心街で済ませる方が時間的にも金銭的にも楽だ。何せエア・グランドゥールに来るまでに片道千ギールかかってしまう。

 店でエプロンを締めながらソラノはレオに返事を返した。


「わかる? まあ大したことじゃないんだけどね」


「デルイさんと喧嘩でもしたか?」


「してないよ、いつでも仲良いよ」


「まあそうだろうよ」


 相変わらずデルイのシフトがソラノの勤務時間と被っていない日以外は毎日顔を出しているのだから、喧嘩などしているはずがない。店でいちゃつくわけではないがデルイのソラノを見ている視線には愛しさが篭っていた。はたから見ればお腹いっぱいな光景で、店客がデルイの正体が伯爵家の末息子デルロイ・リゴレットであると気がついたとしても、声をかけるのが憚<はばか>られるような有様だった。

 おかげさまで美味しい食事と酒がゆっくりと堪能でき、デルイとしては大満足なのだがその事実をソラノは知らない。広くはない店内とはいえレオと二人で接客を切り盛りしているソラノにはそんな事に気がつく余裕などなかった。


「こんにちは、マキロンさんいるかな」


 と、ここで裏扉がガチャリと開いてガゼットが顔を覗かせる。


「前日分の売上表をもらいに来たんだが」


「はい、お待ちください」


 ちょうど側にいたソラノがマキロンを呼ぶと、一枚の紙面を持ってやって来た。それを手渡すとガゼットは満足そうな顔をする。


「売り上げを見るに相変わらず順調そうだね」


「はい、おかげさまで」


 この仕事、前まではアーニャがやっていたのだが彼女はエアノーラの直属の部下になったとかで来なくなってしまった。代わりに上司であるガゼットが代行しているのだが、こんな雑用もいいところの仕事を主任である男がいつまでもやっていていいものなのだろうか。そんな疑問が顔に表れていたのか、ガゼットが言い訳めいたことを口にした。


「アーニャ君、あんなんだったがいなくなると少し困ってね。今、臨時で新規の職員の採用を進めているところだ。採用が決まったら売上表の集配に来るだろうからよろしく頼むよ。ついでに弁当ひとつもらえるかい」


「はい。何にします?」


「じゃあハンバーグ弁当」


 弁当を手渡して代金を受け取るとガゼットは手を振った。

 

「じゃ、またな」


 裏扉から出て行くガゼットを見送り、バッシへと振り返る。


「ところで今日のオススメメニューは何でしょう」


「そろそろ秋が近いから、秋を意識したメニューにしている。コーンスープ、炒り豆とかぼちゃのサラダ、サーモンのバジル風味に鶏モモ肉とマッシュルームのフリカッセ」


 流れるように答えたのはすでに店に来て夜営業の準備をしていたバッシだ。ようやくガレット以外の料理が注文されるようになり、張り切って料理の仕込みをしている。


「そんなわけで今日の賄いは、鶏モモ肉とマッシュルームのフリカッセをどうぞ」


 フリカッセ。

 それは「白く仕上げた料理」を意味する。

 以前に出て来たブランケットに似ているが調理法が微妙に異なるらしい。

 塩胡椒した鶏モモ肉とマッシュルーム、玉ねぎに焼き色をつけたら白ワインを入れて煮込み、火が通ったら生クリームを入れて仕上げる。

 上にちょこんと乗せられたクレソンが何とも上品だ。


「いただきまーす」


 手を合わせて挨拶してからナイフとフォークを手に乗った。

 煮込んだ鶏モモ肉はナイフを入れると適度な弾力を感じた。

 かじり取って口に入れる。

 プリッとしたもも肉の食感、溢れる肉汁。

 噛み締めると生クリームの濃厚な味わい。

 ブラウンマッシュルームと炒めた玉ねぎの甘みも引き立つ美味しい逸品だ。


「うん、美味しい!」


 こんがり焼いたバゲットを食べるとカリカリっといい音がした。

 濃厚なフリカッセと焼いたバゲット。

 一気に秋の訪れを感じさせるメニューだった。


「最近はバゲットの在庫も余らなくなりましたね」


「パンペルデュが順調に売れてるからな」


 バッシがパンペルデュの仕込みをしながら答える。ガレットとパンペルデュは昼下がりの時間帯に特によく売れている。ティータイムに丁度いい一品なのだろう。

 

「アイスを乗せたパンペルデュが特に好評だなぁ。温かいものに冷たいアイスを乗せるっていうのがウケてる」


「美味しいですよね、温かいものと冷たいものの組み合わせ」


「普通だったら添えるのは生クリームだから珍しいのもあるなぁ」


 生クリームも悪くないが、パンペルデュ自体がどっしりしているため少し胃にもたれ過ぎてしまう、というのがソラノの見解だった。レオも「甘過ぎて食えねえ」と言っていたし、ならばアイスはどうだろうと提案したのだった。功を奏したようで何よりだ。


 時刻は昼を過ぎたところ、今現在の店でもパンペルデュを堪能しているお客様の姿が見える。

 夢のことは少々気になるが、ひとまず今日もお客様を迎えるべくフリカッセでお腹を満たした。

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