第145話 お嬢様の帰還
間も無くエア・グランドゥール空港へと着港致します。この度は当飛行船をご利用いただき誠に有り難うございました。皆様の良き旅を心からお祈りしております。
機械的なアナウンスの音声が流れた少し後、飛行船のエントランスから伸びる接続ゲートが開かれた。
一等客室に宿泊していた金髪に青い瞳を持つ美しい少女は真っ先に船から降りる。
降り立った先のターミナルで胸いっぱいに息を吸い込み、瞳を歓喜に輝かせた。
「やっっっと帰って来られたわ!」
大きな声でそう言うと周囲の人が苦笑まじりに見てくる。わかっていても、この気持ちを口に出さずにはいられなかった。
王都を離れて五年、実に長かった。珍しい召喚術師の家系に生まれついた少女は、十一歳になった年に北方の国にある召喚術師の学校に行く事になりこの国を離れた。
父と母、そしてまだ幼い弟に見送られて一人旅立つことがどれほど寂しかったことか。
雪が深くうら寂しい北国での生活は過酷であまり楽しいものでは無かった。年の近い子達が沢山いたが、少女はあまり馴染めずにいたのだ。
中には少女の出身国や身分の高さに目をつけてすり寄ってくる連中もいたがーーそういった手合いは本当の友人にはなれない。表面上は少女の耳に心地良い事ばかりを言ってくるが、内心では何を思っているのかわからないからだ。
結局のところ少女の友人と呼べる存在はただ一匹、今現在も少女の隣に浮いている
「ねえクー、久しぶりの王都よ。何をする? まずはドレスの調達かしら。流行りも随分変わっているだろうし、私の背も伸びたから邸に仕立て屋を呼ばないといけないわね」
「クーはかつおぶしが食べたい。新鮮なやつ……」
「かつおぶしに新鮮も何も無いでしょう……」
ふわふわと浮きながら変な事を言うクーに少女はツッコミを入れた。猫妖精のクーはかつおぶしが好きすぎて、口をひらけばかつおぶしの事しか言わない。背中に小さな白い羽が生えていることと、全身から淡い燐光を放っていることを除けば大きさも姿形も普通の猫と変わらないこのクーは味覚までも普通の猫と同じだった。
青いガラス玉のような瞳に、クリーム色の毛並み。四本脚の先が濃い茶色の毛で覆われているクーは黙っていれば高貴な雰囲気が漂う猫妖精であるのに、かつおぶし愛のせいで台無しだ。
「そんな事ないニャ。王都で食べられるかつおぶしは新鮮だった」
「そう……まあ、邸に戻ったら好きなだけ食べさせてあげるわよ」
荷物を持つことすらせず、少女は指先一つで魔法を使ってトランクを浮かせていた。魔素の無駄遣いと言われればそれまでだが、こんな場所で危険があろうはずがない。
いや、五年前を思えば危険はあるとも言えるのだけれど、そうそう連続して起こる事でもないだろう。
それに少女の魔素は甚大でこれしきの消費量ではビクともしなかった。
第一ターミナルに向かってひた歩く。周囲の人々は護衛も侍女もつけずに一人で歩く少女を物珍しそうに見るが、話しかけてくるような事はしない。
ウェーブのかかった長い金髪をなびかせて、裾の長い薄桃色のワンピースを翻して歩く。
「家族とはどこで待ち合わせニャ?」
「第一ターミナルよ」
五年ぶりの家族との再会は嬉しいが、少女にはもう一つ今回の帰郷で心待ちにしていたことがあった。
学校を卒業して王都へと戻ってきたら、少女には憧れの人との縁談が待っていた。
入学前に父と取り決めていたことだが、先月に手紙が来て正式にその話がまとまったと書いてあった。
貴族同士の縁談はつまり、よほどのことがない限りはそのまま婚約となり結婚となる。
家格は同格、年齢も近い。
将来有望な少女とその相手との縁談は両家にとっても有益で少女の願いはいとも簡単に通された。
縁談は帰郷したばかりの少女の体調などが考慮されもう少し先の日程だが、もうすぐだ。待ち望んだ五年間に比べたらなんのことはない。
その相手との出会いもこの空港だったことを思えば、何と運命的な場所なんだろう。
突如襲来してきた空賊に少女が誘拐されそうになり、絶望に打ちひしがれていたその時。危険も
手強い相手を物ともせず、少女を助け出す彼はまさに王子様だった。何よりその人は顔立ちも抜群によかった。完璧である。
少女は知っている。こういう出会いを果たした二人はやがて結ばれるのだと。どんなお伽噺や戯曲でもそういう結末になっているものだ。きっと彼の方でも少女の帰りを心待ちにしていたに違いない。
「ねえクー、どんなドレスを着ていけばいいと思う? どんな形でどんな色がいいかしら。相手の好みがわかるといいんだけど……最後に会ったのは十一歳の時でまだ子供だったから、成長した姿を見てもらうためにも大人びた雰囲気を出したほうがいいわよね」
縁談の場に来ていく服装に想いを馳せる少女は猫妖精相手にブツブツと相談をする。完全に恋する乙女のそれだった。対するクーは聞いているのかいないのか、あくびをしながら眠たそうに宙を浮いている。
「ねえクー!? 聞いてるの?」
「聞いてるニャ」
半分眠りながらの返事にはまるで説得力がない。少女はため息をつく。
「もう……私がこの日のためにどれだけ苦労したと思ってるのよ。知らないわけじゃないでしょう」
「知ってる。変なお嬢様言葉を身につけたことも知ってる」
「変な、じゃないわよ!」
あんまりな言い草に少女は激昂した。
「いいですこと? 話し言葉ひとつとっても、相手に与える印象というのは違いますのよ。淑女らしい話し方を身につけるのは身分の高い女性として当然のことですわ」
少女の唐突な変貌ぶりにクーは心底嫌そうな顔をし、全身の毛を逆立てた挙句にその長い細い尻尾をブワッと三倍は膨らませた。威嚇だ。
「その喋り方ホントやめて。鳥肌が立つニャ」
「猫なのに?」
「猫ニャのに!」
フーフーと牙を剥いて威嚇する猫妖精相手にため息をついた。この話し方を体得するために学校ではずっとこれでいたのだが、クーにはすこぶる不興だった。二人でいる時は口調を元に戻してくれと散々言われ、おかげで少女はふた通りの話し方を体得した。時々ごっちゃになって我ながら頭がこんがらがりそうだ。
「友達ができなかったのって、その話し方が原因だったんじゃニャいの?」
「そんなことないわよ、きっと」
「でもその話し方、すっごい高飛車に聞こえる」
「失礼ね。高貴と言ってちょうだい」
クーと雑談を交わしながら歩き、第一ターミナルに差し掛かると待っている家族と侍従の姿が見えた。
遠くから手を振る父と母、そして弟。
久方ぶりに見るその姿に、胸が歓喜に震える。少女は思わず駆け寄って、両手を広げて待ち構えている父親の腕の中へと飛び込んだ。
「お父様、お母様! お久しぶりですわ!」
「久しぶり、すっかり大きくなったな」
「本当に。ますます愛らしくなって」
「お姉様、僕は?」
「ごめんごめん、忘れていないわよ。ただいま」
「おかえり」
名前を呼んでもらえなかった事に膨れる弟に挨拶をすると満足げに微笑む。五年見ない間に背を大きく伸ばした弟は少女よりもすっかり大きくなっていた。
「積もる話もあるし、ひとまず邸へと帰ろうか」
「ええ、楽しみにしております」
父親に促され少女は王都へ続く飛行船へと乗り込もうとしたところでーー気がついた。
ターミナルの隅にある店の中で、少女のよく知る容貌の人間が座っている事に。
「どうしたんだ? 腹が減っているのか?」
「晩餐の準備ならできているわよ、あと少しだから邸に帰ってからの食事と致しましょう」
父親と母親の説得は少女の耳に届いていなかった。
ガラス張りの店は内部の様子がよく見える。
食い入るように店を見つめる少女の目には、鮮やかなピンク色の髪を束ねた一人の男しか映っていない。時折横を向き隣に座る男と話す彼は紛れもなく少女がこの五年間会いたくて会いたくて仕方がなかった、恋い焦がれている人物だ。
「デルイさん……!」
その人物の名前を口の中で呟くと少女は走り出した。
「おい、ティーナ。どこへ行く!」
「システィーナ、戻っていらっしゃい!」
父と母が呼ぶ声にも聞く耳を持たず、少女ーーシスティーナ・シャインバルドはひた走る。
その店がヴェスティビュールという名前のビストロ店である事にも気がつかず、ただ一人の人物へと会うために。
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