第202話 赤ワインとクロック・ムッシュ②
「あ、ユージーンさん。やっぱ帰れなかったでしょ?」
「ああ」
黒ずくめの男、ユージーン・ストラウスはヴェスティビュールを出た後に空港保安部の詰所へと私服のままに入っていった。出くわしたデルイに話しかけられ、頷くと空いている椅子に適当に腰掛ける。
足止めを食らった客達がいざこざを起こさないように見張らねばならず、保安部の面々は哨戒任務に勤しんでおり詰所の中はガランとしている。今いるのは業務前の人間だけだ。
「噂の店に行って来た」
「第一ターミナルの?」
「ああ」
「ユージーンさんいつも夜勤だから行く機会なかったんでしたっけ」
ユージーンはこの世界でも珍しい吸血鬼<ノスフェラトゥ>の血を引く一族の出身だった。夜に抜群の力を発揮する反面、太陽が出ている日中はその能力が半減してしまう不遇の種族だ。そんなわけなのでイレギュラーが発生しやすい冒険者や騎士ではなく、勤務時間がきっちり決まっているこの空港で働いている。
ちなみに血を吸うことはない。錬金術師より特殊な調合薬を買って飲んでいる。
店にいた給仕係を思い出し、赤い双眸でデルイを見据えて八重歯をむき出してニヤリと笑う。
「随分執心しているようだな」
「そうですよ、ちょっかいかけないで下さい」
あっさり認めた年若い保安部職員にユージーンは声をあげて笑った。
「はっはっは! 自分の娘と同じ位の年齢の人間を手にかけるほど落ちぶれてはいないよ」
「どうだろう、ユージーンさん年齢を感じさせない見た目してるからなぁ」
心底心配しているようにデルイが顔を歪めながら言う。
入職以来デルイがここまで誰かに執着している様子は見たことがなく、ユージーンとしては物珍しい。先般では親に交際を認めさせる為に森竜討伐にまで赴き、見事約束を果たして来たと聞き及んでいる。
「まああの守りは素晴らしいが抜けはあるぞ。あの子自身には大した力が無いようだし、過信しない方が良いと伝えておいた」
「それはどうも。けどあれ以上はどうしようも無いかと思います」
「外からの攻撃ならあれで守れるだろうけどね。例えば精神攻撃や毒物なんかは防げないだろう」
言うとデルイは怪訝な顔をした。
「……そこまでする必要ありますか? そこまで警戒する程に物騒な場所でも無いでしょう」
「まあな。可能性を指摘したまでだよ」
要するに抜け穴があるということが言いたい。あくまでも万能では無いという話だ。
キマイラの攻撃を防げたからといって、無敵では無いから油断も過信もしない方が良い。
「傲<おご>るような子じゃ無いから大丈夫だと思います」
「ならば良かった。嫌な予感がしたもので」
「ユージーンさんの予感は高確率で当たるから嫌だなぁ」
デルイは嘆息しつつ立ち上がる。
「あ、ユージーンさん。こんばんはっす」
「こんばんは、スカイ君。仕事には慣れたかね」
「はい、大分」
勤務開始十分前ほどになってスカイがやって来て挨拶をする。
「スカイとユージーンさんって顔見知りだったっけか」
やりとりと聞いていたデルイが首を傾げた。
「……先輩がいなかった間に組んでもらってたんすよ。おかげで俺は十五日連続で夜勤だったんっすからね!」
言われてデルイは秋にあった出来事を思い出した。システィーナというお嬢様がデルイとの縁談を申し込み、それを破談にするために家族に掛け合った結果デルイは竜討伐へと行くことになり仕事を長期で休んだのだ。こうして思い返してみても意味のわからない破談条件であるが、ともかくその休んでいる間スカイは夜勤に回されてユージーンと組んでいた、ということなのだろう。
そこまで考えた上で、デルイはごく気軽に後輩へと労いの声をかける。
「ああ、そりゃお疲れ様」
「夜ってヘンな人が多いから嫌なんすけど……」
「一年目からそういう手合いに慣れておいた方が良い」
「とは言っても、毎日毎日酔っ払いの相手すんのも大変じゃないっすか? ユージーンさんは嫌にならないんですか?」
スカイは先の夜勤が余程応えたらしく情けない声でそんなことを言った。期待の新人に諭すようにユージーンは答える。
「感情込めて説得するのも大した心意気だと思うが、どうせ皆、最後には力づくでどうにかすることになるんだからあまり気にしない方がいい。酔っ払いの言い分を真面目に聞くだけ損だぞ」
「それ俺も言ったやつだ」
「うーん……」
スカイは先輩職員二人に言われて頭を抱えた。新人が陥りがちな悩みだ。夜の中央エリアでは酒を飲んで気を大きくした冒険者が毎夜いざこざを起こしていて、それを取り締まるのも保安部の仕事だ。どう説き伏せようとも結局のところ相手から殴りかかってくるのだから、適当に相手していれば良いというのに、真面目な新人は暴力沙汰になる前にどうにかして止めようと余計な労力を割く。
そして上手くいかずに思い悩むことになる。
ユージーンは横に座るデルイを見た。
「お前は最初からそういった悩みとは無縁だったな」
デルイは入職した時に既に達観しており、悪く言えばスレていた。若いのに珍しい。
「はい、まあ、素面でも何を言おうと殴りかかってくるような人間が実家にいたので」
「気の毒に」
ユージーンはその人物に当たりをつけて、心の底から言った。
「まあ、何はともあれ今日は忙しくなるだろう。何せ空港には次々と船が着港するのに、王都へ向かう船は出てない。王都へ行く客は全員ここで足止めだ」
「あぁ……早く天気良くならないかなぁ」
スカイがうんざりしたように呟いた。雷雲を突き抜けて船を出すわけにはいかないから天気が回復するまではこの状態が続く。雲海上にあるがゆえの悩みだ。
「愚痴を言っても仕方ない。行くぞ」
「はい」
デルイが立ち上がり、スカイがその後を追う。二人にひらひらと手を振って、ユージーンは椅子にもたれてくつろぐ体勢をとった。
この天気が回復するまでは家にも帰れない。ため息をつく。
家に一人残してある娘のことが心配だ。さりとてどうすることもできず、ひとまず膨れた腹をさすって、休憩したらもう一仕事するかと一人考えた。
+++
「ああああーっ!」
ソラノは叫んだ。腹の底から叫んだ。その顔は青ざめ、いつも上がっている口角は今に限って言えば下がり切っている。
「どうした、ソラノ?」
「閉店後とは言えそんなに大声を出すのは珍しいな」
「わ……私のかつおぶしが……無い!!」
ソラノは握りしめた袋を高く掲げた。そこにはいつもソラノが蕎麦を作る時に使うかつおぶしがまるごと一本ゴロンと入っているのだが、今はすっからかんである。
それを見たバッシとレオは呆れた顔をした。
「無いって、この間システィーナお嬢ちゃんが来た時にお供の猫妖精<ケットシー>に大盤振る舞いしてたじゃねえか」
「そうでした!」
それは十日ほど前のことだ。猫妖精のクーはかつおぶしが大好物で、中でもソラノが削ったものをたいそう気に入ってくれている。ここは王都の貴族街からは遠く、頻繁に来られるような場所では無いから来店した時にはこれでもかとかつおぶしをかっ食らって行くのだ。
その日もソラノがシャーッシャーッと勢いよく削ったかつおぶしを片っ端から食べていた。在庫がなくなるまで食べてくれたので、「買いに行かないとなぁ」と思っていたのだ。
しかしそれきりかつおぶしについては頭からスポーンと抜けていた。使おうとした今、気がついたのである。
「あうぅ……せっかくおそば食べようと思ってたのに……」
血迷ったソラノが冷やし中華もどきを食べたのはつい最近のことだが、やはり冬には温かいものが食べたい。ソラノは温かい蕎麦が食べたい気分だったのだ。昆布と鰹節のだし香るしょうゆのホカホカおつゆとコシのある十割蕎麦。あぁ、胃の中からじんわりほっこりするお蕎麦が食べたいなあ。しかしかつおぶしがないと出汁が取れない。致命的だった。
口の中は蕎麦を食べるモードになっていたのだが、ないものは仕方がない。
ソラノははぁ、とため息をつくと空っぽの袋をくるくると丸めて再び棚へと戻す。
うっかりしていた。言い訳をするなら、バッシの恋愛騒動が気になって忘れていた。
もしかして先程のお客さんが言っていた「気をつけたほうがいい」とはこの事だったのかなと、ソラノは空腹に鳴るお腹を押さえながら思ったのだった。
ーーしかしこの後、ソラノの想像の斜め上を行く事態が店に襲いかかるのだが、この時のソラノにはまだ知る由もない。
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