第203話 プティ・サレとデルイと暴走するバッシ
「なあなあ、デルイの兄ちゃん」
それはデルイがヴェスティビュールに食事をしに来たある日の事だった。仕事終わりにいつものように店へとやって来たデルイは、いつものようにカウンター席へと座る。
するとバッシがいそいそとやって来てデルイへと声をかけたのだ。
その日はもはや閉店間際ということもあって割と店が空いていたのだが、こうしてバッシが厨房から出て来てデルイに話しかけるなどかなり珍しい。一体なんだろうと思ったデルイは首を傾げ、バッシの言葉を待った。
「あのだな、あのー。そのー、何だ」
「どうしたのバッシさん。具合でも悪い?」
妙にもごもごソワソワとしているバッシにデルイは疑問を投げかける。
「いやっ、そのー。本日のオススメはプティ・サレだ!」
「……? じゃあそれをお願い」
「おう!」
勢いよく返事をしたバッシはそのままのしのしと厨房へと帰って行き、プティ・サレの準備を始めた。一体何だったのだろう。わざわざ本日のオススメを自分に言うために出て来た訳でもあるまいし。
疑問に思うデルイの前にワイングラスが置かれた。ソラノである。
「お疲れ様です、デルイさん」
「うん、ありがとう。バッシさんはどうしたのかな」
「あぁ、えーっとちょっと悩みがあるといいますか」
「悩み?」
「はい。詳しくは本人が切り出すと思うので、聞いてください」
そう言うとソラノは他の客の接客をするべく去っていく。置かれたワインで口を湿らし、厨房で働くバッシを見た。悩みというのは何だろうか。わざわざデルイに相談するという点が気になる。デルイとバッシは別に深く腹を割って話すような仲ではない。あくまで店のシェフと常連、あとソラノつながりでまあまあ話すという間柄だ。
相談内容の検討が全くつかずに首をひねっていると、料理を持ったバッシが再び現れる。
その厳しい体格に似つかない繊細な手つきで湯気の立つ皿をカウンターへと置いた。
「プティ・サレだ」
プティ・サレ。
塩漬けした豚肉と豆を煮込んだ、冬に嬉しい料理である。
この塩漬け肉は
スプーンを持ち皿底からそっと一口大に切られた豚肉の塊と豆をすくい、そのまま口へと運ぶ。
ほろほろと口の中で解けるほどに柔らかい豚肉、ふっくらとした豆。豚肉の旨味が溶け出し、そこにハーブの束<ブーケガルニ>が効いておりほっこりとした味わいになっている。豚肉の塩気が美味い。
じっくり煮込まれているために見た目は茶色く、豆豆しい。しかしどうして見た目では判断できない料理だというのが今までのデルイのプティ・サレに対して抱いていた感想だったのだが、ここは他店とは一味違うビストロ店、ヴェスティビュールである。
バランスよく肉と豆が皿の上に並べられ、彩にニンジンや玉ねぎなども品良く添えられている。このニンジンと玉ねぎも一緒に煮込んであるようで、豚肉の旨味が染みて非常に美味しい。
美味しいのであるが。
「……バッシさん、俺はソラノちゃん以外の人間に見つめられても嬉しくはないよ」
「ハッ、すまん!!」
デルイの食事風景を見つめながら口を開けたり閉じたりしていたバッシにデルイが苦言を呈すと、ハッと我に返ったバッシが慌てて謝った。そして空のグラスに「これは俺からのサービスだ」と言いながらおかわりのワインを注いでくれる。ラベルを見ると結構いい代物だった。
スプーンを置いてワイングラスに手を伸ばしつつデルイはバッシに問いかける。
「何か俺に相談があるって聞いたんだけど」
「あぁ、そう! そうなんだよ」
バッシは意味もなく巨大な手のひらをグネグネと揉みしだき、視線を左右にさ迷わせながらも口ごもっている。頭頂部の牛耳がせわしなくパタパタしていた。
「……よし、あのだなぁデルイの兄ちゃん」
「うん」
ワインを飲みながら焦らず慌てずデルイはバッシが話し出すのを待った。こういうのは急かしてもいい事はない。せっかく話す気になっているのに、急かしてしまったことで気を挫いてしまう場合だってあるのだ。確保した犯人に動機や経緯を聞く時と同じである。時間はいくらでもある。どっしりと構えて待てばいい。
そんな詰所に確保された犯罪者と同列に思われているとは露にも思っていないバッシはついに話す勇気が出たらしく、一気に言い放った。
「お、俺に……良い口説き文句を教えてくれないか!」
「うん?」
「実は気になる人ができたんだが、どう口説いて良いのかわからなくて……! 兄ちゃんならそういうの詳しいだろ? 何か教えてくれないか!」
ゼエゼエと息を切らして早口で言い切ったバッシの顔は赤い。
ああこれは本気なんだな、とデルイは思った。
「うーん、そうだなぁ……」
ハーフアップにしている髪を耳にかけ、グラスを置いてスプーンに持ち直してプティ・サレを食べながら考える。
何かいい口説き文句。脳裏には様々なパターンの言葉が思い浮かんでは泡沫<うたかた>のように消えていった。自分で言うのもなんだがデルイは自身の顔の良さを重々承知していた。おまけに名家の出身であり、剣も魔法も器用に使いこなし職も手堅い。非常にモテる要素が備わっている。
ぶっちゃけにこやかに愛想を振りまきながら適当な美辞麗句を並べておけば、勝手に女性の方から寄って来ていた状態だ。
そのような過去を踏まえて、まあこれを言っておけば間違い無いだろうと言う台詞を口にしようとしたところではたと思い至った。
ーー自分は果たしてその台詞でソラノを落とすことができただろうか? と。
ソラノはデルイが本気で好きになった唯一の存在であるが、彼女には己の武器が一切通用しなかった。正直何が決め手で両想いになれたのかは、実はまだよくわかっていない。優しさとか安心感とかそのあたりのようなのだが、そんな部分で惚れられたことは一度として無かったので意外である。でもその意外さが、デルイがソラノを好きになった理由なんだろうなと思っている。
話は逸れたがそんなわけで、ここでデルイがバッシに当たり障りのない口説き文句を教える意味はあるのだろうかとふと疑問に思った。その思いを素直に口にしてみる。
「バッシさん。そんな口説き文句なんて知らなくてもいいと俺は思うよ」
「お……おぉ」
「考えてみてほしい。俺がソラノちゃんと付き合うに至るまでで、俺はそんな台詞を吐いたことがあったのか。そしてそれに効果があったのか」
するとバッシは非常に真剣な顔で腕を組んで考え込み、首を横に振った。
「確かにそうだな。兄ちゃんが何を言おうとまるで霧を素手で掴むかのように、何の手ごたえもなかった」
「でしょ?」
例えばソラノがバッシと空港内のレストラン視察のためにドレスアップした時。デルイは「俺なら完璧にエスコートしてあげられるから一緒に行こう」と言ったが、一蹴されたという苦い記憶がある。そんな断り方をされた事がなかったので非常にショックだった。
その時の事をバッシも思い出したのか、それとも別の出来事を思っていたのかはわからないがバッシは非常に納得したように大きく頷いている。
「好きな人ができたなら、自分の思いを素直に口にすればいいんだよ。変に飾り立てた言葉よりその方がずっと心に響く」
「なるほど……なるほど!!」
大いに腑に落ちたらしいバッシは、先ほどとは比べ物にならないくらいすっきりとした表情を浮かべていた。
「実にタメになる言葉だなぁ。よし、決めたぞ。俺はクララさんに自分の素直な気持ちを伝えるっ! あ、ワインもう一杯サービスする」
「ありがとう」
やや冷めてしまったプティ・サレを頂きながら三杯目のワインで喉を潤す。すると非常にいいタイミングでソラノがやって来てバッシに声をかけた。
「バッシさん、クララさんが歩いてますよ」
「何っ!?」
その言葉にデルイも振り返ってみると、確かに店のガラス越しに一人の牛人族の女性が歩いているのが見えた。
バッシはカウンターから出るとものすごい大股で店の入口へと進み、意中の女性の元に向かって猛然と突進した。
そして第一ターミナル中に響き渡る大声でこう言った。
「クララさんっ、お、俺と結婚してくれないか!!」
「「ええっ!?」」
デルイとソラノの声がハモった。
それは幾ら何でも飛躍しすぎだろうとデルイは心でツッコミを入れる。素直な気持ちを話せばいいとは言ったが、付き合ってすらいない人間に結婚を申し込むなどどうかしている。
事態が気になりすぎた二人は店の出入り口まで駆けつけ、事の推移を見守った。
クララと呼ばれた女性は少々驚いた顔をしたものの、足を止めてバッシに向き合う。
そして実に上品な笑みを浮かべると、一言こう言った。
「喜んで」
「えっ、OKしちゃうんだ!?」
ソラノが思わずさらなるツッコミを重ね、そしてデルイとソラノは顔を見合わせた。
「俺、なんかとんでもないアドバイスしちゃったのかな」
「いえ、とんでもないのはバッシさんの思考回路だと思いますよ」
恋は人を変える。それは十代だろうと二十代だろうと、中年の男だろうと変わらないんだなとデルイは思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます