第204話 クララさんは結婚がしたい

 牛人族の女性クララ・リントは人生崖っぷちであった。

 エア・グランドゥールの中央エリアの冒険者用酒場で働く彼女は現在三十五歳である。 この国では貴族子女の平均結婚年齢が十六、七歳、平民も二十歳そこそこで結婚するのでこれは婚期をとうに逃した年齢だ。もはや結婚は絶望的と言っても過言では無い。

 なぜだろう、とクララは思う。

 自分は結婚願望が強かった。小さい頃の夢は「お嫁さんになる事」で、その夢は今も変わっていない。変わったのは己の見た目だけである。


「クララさーんっ、ジョッキエール三十五個と骨つき肉を七本、それからジャガイモのフリットを大皿で持ってってくれやぁ!」


「あいよーっ!!」


 ざわめく酒場の中、どどんと置かれた酒と料理をクララはなんと、一度に持っていく。

 重力操作の魔法もあるが単純にクララが力持ちアンド非常に素晴らしいバランス感覚を持っているせいだ。

 超巨大なお盆に大量の料理を乗せたクララは危なげなく客のところまで歩いていくと、豪快に料理をテーブルへと乗せる。


「お待たせ、ジョッキエール三十五個と骨つき肉を七本、それから大皿のジャガイモフリットだよぉ!」


 おぉっと歓声をあげてジョッキを手に取り中身を煽り、料理に手をつけ始める冒険者たち。この店では見慣れた光景で、こうしてクララが料理を運ぶのもありきたりな日常だ。

 クララがここで働き始めてもう十年は経った。初めは細腕でナヨナヨの乙女だったクララは今ではすっかり店を支える大黒柱のような存在になり、一度に運ぶ料理の量も尋常ではなくなった。尋常ではない量の酒を飲み、飯を食らう冒険者たちを相手取るのに、「あーん、重すぎて持てなーい☆」などと言って非力な乙女アピールをしている暇はないのだ。そしてついた二つ名が「強肩のクララ」である。たくましすぎる二つ名に、自身の結婚がますます遠のいているのをひしひしと感じる。


「クララさん、次はこの料理を頼む!」


「いやー、クララさんがいて助かるよ!」


「クララさーん、こっちもお願いします!」


「はいはいーっ!!」


 飛び交う声に負けないよう大声で返事をするクララ。仕事は楽しい。人間関係もいいし、職場の雰囲気だっていい。だが、それでもクララは心の中で叫んだ。


(でもアタシは、結婚がしたいのよー!!)



「はぁ……」


 ゴミ箱を手に焼却炉へと向かうクララはため息をつく。

 アタシの運命の王子様は一体どこにいるのだろう? 別にクララは面食いでもなければ結婚相手に好条件を求めているわけでもない。

 でも仕事柄、冒険者はちょっと嫌だなあと思っている。彼らは一箇所に留まることが少ない上に死亡リスクが高すぎるので安定を求めるクララとしては遠慮願いたい。

 あとは同族がいい。このグランドゥール王国王都には多種多様な人種が集っているが、結婚するならやはり同じ種族を求めてしまうのは仕方のないことだ。


 そんな思いを胸に婚活に励んでいた時期もあったのだが、いい出会いに恵まれずそうこうしているうちに今の年齢である。

 やばい、人生崖っぷちだ。このまま一生を一人で終えるのは勘弁願いたい。

 暗い気持ちで焼却炉へと足を踏み入れたクララは、そこで運命的な出会いを果たした。


 たくましい体つきに精悍な顔立ちの牛人族の男性がゴミを燃やしている。驚いた。こんな人、空港にいたっけ? 服装を見る限りシェフっぽい。クララはゴミ箱を置くとそっと髪型を直し、自慢のまつげをくるくると指先でカールさせてから、再びゴミ箱を持ち直してしずしずとこの牛人族の男性へと近寄った。

 そしていつも酒場で出している声の四分の一ほどに押さえた声量で、なるべくお上品に聞こえるようにして話しかける。


「お隣、いいですか?」


「ん、ああ」


 振り向いた男性はやはりイケメンであった。今まで存在に気がつかなかったなんて一生の不覚だわ、と思いつつも隣でゴミを燃やし始めた。心臓がドキドキしているせいかいつもより魔力調整が不安定になっており、うっかり焼却炉ごと燃やしそうな火魔法を放ちそうになったがグッと堪える。そんなミスをしてしまってはせっかくの出会いがフイになってしまうではないか。

 男性はチラチラこちらを見てくるが、話しかけて来ない。

 この日はそれ以上の会話はなく、結局ゴミが灰になったのを見届けると解散となった。



 その日を境にクララは積極的にゴミ捨てに行くようになった。高確率で男性と会うようになり、一言二言言葉を交わすようになる。

 勤め先を聞かれたので素直に中央エリアの冒険者用酒場だと答えた。すると相手は、第一ターミナルにあるビストロ店のシェフだというではないか。

 あの、オープン以来様々な噂が絶えない店のシェフだとは。クララも存在自体は当然知っていたが、入った事は無い。そのことを猛烈に後悔した。もっと早くに出会えた可能性があったのに……!

 イケメン、ビストロ店のシェフ、そして物腰の柔らかさと言動の端々から見える繊細な動作。まさに理想の相手だ。このゴミ捨て場での出会いは、運命!

 クララの王子様はここにいたのだと思わされる。

 でもここで焦ってはダメよ、とクララは自分に言い聞かせた。

 もう自分は三十五歳、がっついてると思われたらきっとたちまちドン引きされてしまう。そう、余裕の態度を見せなければ。そしてここぞというチャンスをガッチリと掴むのよ!

 そんなことを考えていたある日、男性がこう声をかけて来た。


「不躾でなければ名前を教えてもらえませんか? 俺はバッシ・カローヴァ」


「クララ・リントです」


「クララさん、素敵な名前ですね。もしよろしければ今度、うちの店に料理を食べに来ませんか?」


「まあ、お料理を、ですか?」


「ええ。俺が作る料理を是非食べていただきたく」


 斬新なデートの申し込みだが悪く無いとクララは思う。きっとこの人は自分の作る料理に自信があるのだろう。バッシの作るビストロ料理を食べてみたいと思ったクララは穏やかな笑顔を浮かべ、そっと言った。


「では伺わせて頂きますわ」



 バッシの作る料理は美味しかった。滑らかな動作でサーブされた皿に乗っているのは、世にも芸術的なパテのパイ包み<パテ・アン・クルート>。初めて見る美しい料理を、慎重に切り分けてから自身できる最高に優雅な動作で口に運んだクララは、目を閉じてじっくり噛みしめる。

 何層にも重なったそれは複雑な味わいをクララの口内にもたらす。

 ホロホロ鳥、塩漬けの豚肉、双子羽根の鴨肉にクルミ。絶妙にマッチしたパテの層はサクサクのパイと共に食べると、これまで味わったことのない美味しさが押し寄せた。

 クララは目を開いて言う。


「とても、美味しいわ」


 本心は「おいっしいいいいいぃ!!! 何これ、初めて食べたわ!? めちゃくちゃ美味しいいいいい!!!」だったが、喉元までせり上がった叫び声はパテとともに飲み込んだ。間一髪である。

 あぁ、美味しい! こんなちまちまとした量じゃなくて、まるごと持ってきてほしい!

 そわそわする気持ちを表に出さないようにするのに大変苦労した。


 そんなこんなで数日が過ぎ、仕事終わりにさあ帰ろうか、でもその前にもう一度ヴェスティビュールで食事をしようかしら……と考えて店の前まで足を運んだ日のこと。

 中から猛然とした勢いでバッシが飛び出して来た。バッシはいつになく決意に満ちた瞳をしており、唐突に第一ターミナル中に響き渡る大声でこう言った。


「クララさんっ、お、俺と結婚してくれないか!!」

 

 一瞬クララは何を言われたのかわからなかった。

 結婚? この私と? これは都合のいい夢ではないか。そうなったらいいなと願い過ぎて歩きながら白昼夢を見ているのではないだろうか。

 ターミナルは唐突な公開プロポーズに、シーンとなった。

 目の前のバッシは非常に生々しくとても夢が見せた産物とは思えない。

 だったらこれは現実? 現実ならば返事をしなくては……!

 クララは覚悟を決めた。この間、約十秒。

 バッシと向き合い上品な笑みを浮かべると、一言こう言った。


「喜んで」 


 えっ、OKしちゃうんだ!? という声が聞こえたが、OKしちゃうのだ。なぜならばクララ・リントはとてつもなく結婚願望があり、バッシ・カローヴァはクララの運命の相手だと直感しているからだ。



ーー長く厳しい冬が終わりに近づいた、ある日の空港での出来事であった。

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