第205話 クララさんがご挨拶にやってきた
「父さん母さん、長く心配かけたな。俺は結婚することにした。この方がクララ・リントさんだ」
「初めまして、クララ・リントと申します。不束者ですがよろしくお願いいたします」
あっという間に話が進み、店の休業日にクララが家にやってきた。これにはさすがのカウマンとマキロンも戸惑いを禁じ得なかった。長年料理に情熱を燃やしていた息子が唐突に結婚話を持ち出してきては驚きもするだろう。事態を全て間近で見ていたソラノにだって今の状況にはちょっとついていけていない。
バッシとクララが並んで座り、その向かいにカウマンとマキロンが腰掛ける。ソラノは給仕に徹していた。キッチンに立ち、動向を見守りながらポットに淹れた紅茶を蒸らしている。もはや誰かをもてなすのが完全に癖になっている。
「はぁ……あの、クララさん? うちの息子のどこを気に入ったのかねぇ」
マキロンが困惑しながらも質問をする。するとクララは伏し目がちの目を上げ、マキロンをまっすぐに見つめて言った。
「全てです。その優しい性格、たくましいお顔にお料理の腕前。出会った瞬間に、私にはこの人しかいないと直感しました」
「照れるなぁ!! 俺だってクララさん以上に最高の女性には出会ったことがないぜ! あ、俺たちこの後、物件を見に行く予定だから。引っ越しはなるべく早くに済ませようと思ってる。職場の関係上、この近辺に住む予定だぜ!」
だぜ、と言われても。
三人の当惑をよそにバッシは暴走していた。その暴走ぷりったるや、王都近郊に群れで生息しており定期的に中堅冒険者により討伐されては、硬いだのパサパサしてるだの言われつつも庶民に親しまれている食材としてお馴染みの魔物暴走牛<バーサークバイソン>と同等か、それ以上である。
唐突にやってきた人生の春に浮かれるバッシにカウマン夫妻はどう対応しようか困惑している。
もはや不惑も過ぎようとする息子に向かって、「その結婚はもうちょっと考えたほうがいいんじゃないか」とか、「まずはお互いを知るのが先だ」などと言うのがいかに愚かで親バカが過ぎるかというのは夫妻も重々承知である。結婚したければすればいい。それでダメならまた独り身に戻るだけの話だ。
さりとて、諸手を挙げて賛成できるような話でもない。
ソラノも考えた。
もしこのクララという女性がものすごい裏のある人物だとしたら……そう、例えばバッシを骨抜きにして散々貢がせ、借金をこさえさせた挙句にポイするような恐ろしい悪女であるとしたら、どうだろう。
ソラノは家族同然であり、かけがえのない仕事仲間であるバッシが傷つくところを見たくない。それはカウマン夫妻とて同様だろう。
「どうぞ、紅茶です」
「ありがとうございます」
紅茶を差し出すソラノにクララは丁寧にお礼を言う。微妙に部外者であるソラノはキッチンに引っ込み、そこからクララをじっと観察した。
三十五歳であるという彼女は落ち着いた小花柄のアイボリーのワンピースを身にまとっており、それは牛人族特有の白と黒のまだら模様の皮膚にとてもマッチしていた。
受け答えはしっかりはっきり、優しげな笑顔を浮かべて穏やかな雰囲気を醸し出している。黒い大きな瞳はクルンとしたまつげに縁取られ、伏し目がち故に余計に強調されていた。
三十分ほど滞在し、当たり障りのない会話をカウマン夫妻と交わしたクララはバッシの「じゃあ、そろそろ俺たちは行くから!」という元気な声かけにより立ち上がり、家を出て行った。
去り際にソラノに向かって「紅茶、美味しかったわ。ありがとう」と再び頭を下げてお礼を言ってくれた。
カウマン夫妻とソラノは玄関まで二人を見送る。
扉がパタンと閉じた。
「どおおおおぉぉおーーーーすんのよぉ!! アンタ、あの子が結婚ですってぇ!!??」
閉まった瞬間、マキロンが頭を抱えて叫んだ。
「落ち着け、お前。いや、まあ、めでたいことだと思おうぜ」
「そうは言ってもねえ、ついこの間知り合ったばかりみたいじゃないさ!?」
「仕方がない、あいつが決めたことなら俺たちは黙って祝福してやるだけだ」
「そう……そうさね……けれどねぇ。あたしゃ騙されてないか心配で……!」
息子の前で平静を装っていたマキロンだったが、いなくなるなり不安が爆発した。確かに心配だろう。ソラノとて心配である。
何せ、お互いの名前を知ったのすら十日ほど前の出来事だ。性格もよくわかっていない段階で結婚とは早すぎるだろう。
マキロンは玄関で頭を抱えてしゃがみこみ、そしてソラノにすがるような視線を送ってきた。
「ソラノちゃんはクララさんをどう思う?」
「いや、どうって言われましても……落ち着いた大人の女性だと思いました」
「実はものすごい悪女だったり、しないかねえ」
「…………」
なんとも言えずソラノは曖昧な笑みを浮かべてごまかす。するとマキロンは盛大なため息をつくと首を振り振り立ち上がり、よろめきながらリビングへ向かう。カウマンとソラノもそれに続いた。
「どうぞ、マキロンさん。とりあえずハーブティーでも飲んで落ち着いてください」
「ありがとよ、ソラノちゃん……」
「おいおい、そんなにしょげてどうすんだ。結婚相手が見つかってラッキーだと思おうぜ。もうどうしようもないんだしよ」
「そうさねえ」
リラックス効果のあるカモミールのハーブティーを啜りながらマキロンは物憂げな表情を浮かべている。そんなマキロンに、カウマンが話しかける。
「お前だって別に祝福してないわけじゃないんだろ?」
「そりゃあそうだけど」
「クララさんがどんな女性かわからんが、あいつが選んだ人だ。俺らは温かく見守ってやろうぜ」
「そうさねえ……」
マキロンとて祝いたい気持ちもあるのだ。本当に反対ならばクララ本人を威嚇している。息子の門出を祝いたい気持ちと、母親特有の息子の行く末が心配な気持ちとが混ざっている……そんなところだろうか。
しょげるマキロンをひとしきり励ましたカウマンはもはや満足したのか、キッチンに立った。昼の準備だろう。
時計をちらりと見たソラノは立ち上がる。
「ごめんなさいマキロンさん、私もう行かないと」
「あぁ……いいんだよ、引き止めてごめんねえ。楽しんでおいで」
「はーい」
ソラノは洗面所に行って自分のメイクと服装をチェックした。
ようやく春が顔をのぞかせ始めたので、ソラノも明るいイメージの全身コーディネートで決めていた。白いワンピースは裾と袖に淡いアイスブルーの花びらが縫い付けられており、その上からベージュの起毛コートを羽織る。緩く耳の下で二つ結びにした髪をコートの上へと出して髪型を整えると、ピンクのグロスを仕上げに唇へと乗せた。
「行ってきまーす!」
「あいよー」
「行ってらっしゃい」
本日ソラノも、デルイとデートであった。
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