第201話 赤ワインとクロック・ムッシュ①

本日はエア・グランドゥールをご利用頂きまして誠にありがとうございます。

現在王都では雷雲が渦巻いており、航行が非常に危険な状態にございます。

お客様にはご不便をお掛け致しますが、天候が回復するまでしばらくの間、当港にてお待ち頂きますようよろしくお願い申し上げます。




「天気悪いんですねぇ」


「みたいだなぁ」


 先ほどから繰り返し流れているアナウンスを聞きながらソラノはバッシに話しかけた。

 やることも行く場所もない空港の利用客が滞在しているため、店は超満員だった。皆、食事はひと段落してお酒を片手に語らっており、時間潰しといった体で動きがない。

 満員であってもやることがあまりない。

 カウンターに座ってくつろいでいた空港管制官課長のヴィクトーが時計を確認してからソラノに声をかける。


「それにしてもひどい天気だね。こりゃくる船の誘導も大変だ。夜勤の者たちも来られないだろうし、そろそろ仕事に戻るとしよう。お勘定お願いするよ」


「はい、ありがとうございます」


 ソラノは去って行くヴィクトーにお辞儀をして見送った。空いた席の片付けをしていると扉の前に一人、誰かが立っているのに気がついた。

 黒づくめの服装に黒い髪の痩身の男だった。四十代ほどだろうか、ルドルフよりは年上に見える。真っ黒い全身に瞳だけが赤く濡れたように光っていた。


「いらっしゃいませ! お一人様ですか?」


 どんな相手にも笑顔を振る舞う店の看板娘であるソラノは、扉の前まで行くと早速接客を開始する。


「ああ」


「ではカウンターのお席へどうぞ」


 言うと男は空いた席へとまっすぐ進みそこへ腰掛ける。よく見ると顔や掌など、見えている部分の肌は白蠟の白い。黒と白、赤。色のコントラストが凄まじい。

 

「赤ワインと……クロック・ムッシュはあるかな」


「はい、ございます」


「ではそれで」


「かしこまりました」


 言葉少なな男が手短にそう注文するので早速ソラノはオーダーを通してからワインを注いで提供する。


「お待たせしました、赤ワインです」


「ありがとう」


 ぞっとするほど細く白い指でワイングラスをつまむと口元へと持って行く。

 そのままゴクリと一口、流し込んだ。喉仏が動く。

 一連の流れが妙に妖艶で、思わずソラノはこの客がワインを飲む様を見つめていた。


「気になるかね」


「そういったわけでは。申し訳ありません」


 男が愉快そうに喉を鳴らして笑いながら言うので、慌てて謝罪した。お客様の食事風景をジロジロ見つめるなど無礼にもほどがある。頭を下げてからーー気がついた。

 俯き加減だった男と目が合い、ニイと嗤う。その八重歯が妙に長いことに。

 至近距離で真正面から見て見ると、作り物のように美しい顔をしている男だった。その中で一際目立つ赤い瞳と鋭く尖った八重歯。

 まるで御伽噺に聞く吸血鬼のような見た目にソラノの心はざわついた。


「おーい、ソラノ。クロック・ムッシュ出来たぞ」


「あ、はい」


 後ろからバッシに呼ばれて我に返り、慌てて厨房から料理を運ぶ。


「お待たせいたしました、クロック・ムッシュです」


 バゲットにハムとチーズを挟んでベシャメルソースをかけた料理、クロック・ムッシュ。失礼にならないように提供して即座に洗い場の方に去った。とは言いつつも何と無く気になってしまい横目で見ると、ナイフとフォークで切り取って華麗にクロック・ムッシュを食べていた。所作はこの店に来る人たちと比べても非常に洗練されており、料理を食べているだけなのに動作に無駄がなく只者ではないことがうかがえる。

 この店に来る人で只者である人間など一人もいないのだが。

 ともあれ見ていると、なんだかデルイを彷彿とさせる。

 デルイは親しみやすさが全面に出ているのだが、この人はデルイにミステリアスな感じを足したような人物だった。

 

 いやでも、あまり見つめすぎると失礼だ。仕事に集中しよう。

 そうして皿洗いに勤しんでいると、男の方から話しかけて来る。


「お嬢さん<マドモアゼル>、随分と強固な守りをかけられているようだが」


 急に話しかけられてビクッとした。振り向けば値踏みをするような目つきでソラノの方を見つめていた。

 何故か、ピリピリピリと空気が細かく揺れていた。


「……成る程、双子石の魔法石か。よほど大切にされているようだな」


「あ……あの」


「だが気をつけた方がいい。それは強力だが、万能というわけでは無い」


 ワイングラスを持ち上げて、八重歯をむき出しにして愉快そうな笑顔を浮かべながら。


「くれぐれも……気をつけた方がいい」


 さて、と呟くといつの間にか食事を終えていた男は立ち上がる。


「御馳走様。また機会があれば来るとしよう」


「はい、ありがとうございました」


 見送るソラノに手を振ると男はするりと去って行く。不思議な雰囲気の人だった。

 そうして厨房の方へと振り返ると、バッシとレオがすごい目でこちらを見つめていて肩が跳ねた。


「なんですか?」


「悪い虫がついたかと思った」


「俺も」


「二人して何なんですか……」


 だいたい今の人、四十路も半ばの年齢でそれはバッシと同年代ということになる。幾ら何でもそれはない。


「いや、年齢のことじゃなくて。今の客、吸血鬼族ノスフェラトゥだろ」


「あ、やっぱりそうなんですか」


「おう、珍しいし特徴的な見た目だからな」


「やっぱり血を吸うんでしょうか」


「って噂だけど、実際のところはどうなんだろうな」

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