第200話 真冬の冷やし中華騒動
ちゃらりーらり ちゃらりらりらー
真冬の王都の乾いた風に乗って、どこか気の抜けるちゃるめらの音が響いている。
その音を聞きながら、現在ソラノは屋台でラーメンをすすっていた。
ちゅるんと麺を口にしてレンゲでスープを飲むと、じんわりと体の中から温まるのを感じる。背脂が浮いた醤油の濃ゆい味が、仕事終わりの疲れた体に染み渡る。
「ラーメンって美味しいですよね」
「そうね、これはこれで病みつきになりそうな味だわ。すするのを抜きにすればの話だけど」
「俺久しぶりに食べた」
「イタリア行ってたんですもんね。私、初めてここに連れて来てもらった時、無我夢中で食べてあっという間に完食しましたよ」
本日の夜鳴きラーメンメンバーは、ソラノとカイトとマノンの三人だ。日本人同士ということでソラノがカイトをお誘いし、興味を持ったマノンも付いて来た形である。音を出してすする食べ方に抵抗を見せたマノンは、静かに麺を食べていた。
「真冬のラーメンってまた一段と美味しいですね」
「寒くて鼻水が出るわ……」
「屋台っていうのがまたオツだけど、ソラノちゃん結構渋い趣味してるよね」
「一周回って逆に新鮮で」
「東京にはないもんな、屋台の夜鳴きラーメン」
「そうなんですよね。普通のラーメン屋にもさすがに学校帰りには行かないから」
「そういえば最近の女子高生って、なんでくるぶしまで靴下下げてんの?」
「え? 足が長く見えるから」
「冬、寒くない?」
「カイトさん。お洒落は我慢ですよ。寒さより足をいかに長く見せるかの方が重要です」
ラーメンを食べながらものすごくどうでもいい会話を繰り広げる。マノンはいかに音を立てずに食べるかに集中している。カイトは「令和の女子高生の考えはわからない……俺もおっさんかな」と少し寂しそうに言っていた。見た目でいえば細身で服装にも髪型にも気をつかっているカフェの店長であるカイトはちっともおっさんではないのだが、ジェネレーションギャップは少なからずあるようだった。
とはいえここは異世界なので、そんな世代間格差など微々たる問題だ。何せここは生活様式も文化も地球とは異なる。
「ところでカイトさん、ここでこうやって醤油ラーメン食べてると、あれ食べたくなりません?」
「アレ? 餃子?」
「違います」
「じゃあ……ご飯? ソラノちゃんはラーメンライス派?」
「違います」
「なんだろう」
カイトは麺をたぐる箸の動きを止めて考え出す。しかし正解が出ないようで首を横に振った。
「あれといえばですね、あれですよ」
「どれ」
「ズバリ、冷やし中華です」
それを聞いたカイトは非常に不審な顔をしてソラノを見、眉をひそめた。
「今は真冬で、こんなに寒いのに?」
「今は真冬で、こんなに寒いのにです」
「それってどんな料理なの?」
興味を持ったマノンが尋ねてくる。
「麺を冷水で締め、生野菜を乗せて冷たいスープをかけた中華そばです」
「正気? 正気で言ってるの、ソラノ?」
「マノンさん、私はいつでも正気ですよ」
石畳には雪が積もり歩いていれば鼻の頭が赤くなるほどの外気温の中、かろうじてラーメンをすすって暖を取っている、ある冬の日の出来事だった。
+++
「作りますよ、冷やし中華!」
「ソラノのバイタリティに俺はびっくりだ」
「なんでいつも店の厨房で変なもんを作ろうとするんだ」
「当然のように俺も巻き込まれるわけだね」
「カイトさんがいると心強くて……一人だと再現性にイマイチ自信が持てないんです」
閉店後のヴェスティビュールの厨房で、真冬の冷やし中華作りが始まった。
メンバーはソラノとカイトの二人だ。バッシとレオは普通に明日の仕込みに忙しい。
仕方なしなのかそれとも冷やし中華に懐かしさを感じたのか、カイトは手伝ってくれる。この世界はみんな優しい。
ソラノはまず、台の上に並べた材料をチェックした。
「麺はラーメン屋台のおじさんから生麺を買いました。ハムと卵とトマト代わりのトルメイはお店のもの」
「きゅうりは?」
「季節柄手に入らなくて……」
「トルメイはあるのにきゅうりはないんだ」
「農家で作ってねえんだ。トルメイはこの時期、とても高い」
「貴重なものなので少しだけ頂きました」
「これだけ揃ってればあとはスープだけだろ?」
「そうなんですよ、カイトさん」
ソラノは頷く。冷やし中華の作り方はいたって簡単だ。
1、麺を茹でる
2、材料を切って麺の上に盛り付ける
3、スープをかける
以上。
誰にでも作れ、失敗は少なく、タンパク質も野菜も炭水化物も一皿で取れる。夏休みの昼ごはんの救世主だ。ソラノもとてもお世話になった。
だがしかし一つ問題があった。
ソラノは並び立つカイトを見る。
「カイトさん、冷やし中華のスープ手作りしたことありますか?」
「それは勿論、無い」
「あぁ……やっぱり」
「普通、冷やし中華って言ったら出来合いのスープかけておしまいだろ」
「ですよねー」
日本は便利だ。なんでも売ってる。袋売りの冷やし中華は麺もスープもセットになっているけれど、ここは異世界、そんな都合のいいものは存在しない。中華麺があるだけでも御の字というものだろう。
だから冷やし中華を食べるためにはなんとかしてスープを再現する必要があった。
腕を組んで真剣に考えるソラノ。横ではレオが冒険者時代に鍛え抜いた右腕で恐るべき勢いで玉ねぎをみじん切りにしている音がした。その量たるやすさまじく、隣にいるだけで涙が出てきそうだ。
ツンと鼻の奥が熱くなる感覚に鼻をすすりながら、意見を述べる。
「普通の醤油ラーメンとは味が違いますよね」
「多分お酢が入ってると思うんだ」
「ああ、なるほど」
ここに米酢は無いので使うのであればワインビネガーになる。
「醤油はマストととして……あとはなんでしょう。みりん?」
「砂糖もかな」
適当に混ぜ合わせ、火にかけてアルコールを飛ばして味見をする。とても微妙だった。
「中華っぽさが足りませんね……」
「鶏がらスープの素でもあるといいんだけど無いからなあ」
同じくカイトも微妙な顔をしながら味用の小皿を舐める。
「ごまでも入れてみましょう」
ごまを入れて味見をすると先ほどよりは良くなったような、そうでも無いような。
「ごま油があるといいかもな……」
「ごま油もありませんね……」
改良の余地があまり無い。
「これでも食べられなくは無いから、これでいっちゃいましょう」
「蕎麦の時を思い出す。俺としては納得がいかないけど」
最近知ったのだがカイトは割と凝り性だ。そうでもなければあんな繊細なカフェラテを淹れることは出来ないだろうから必然とも言える。しかしこれ以上どうしようも無いのも確かなので、ソラノはこの出来上がったスープでよしとすることにした。
中華麺をゆで、湯切りをし、刻んだハムと錦糸卵、くし切りにしたほんの少しのトルメイを彩り良く盛り付けていく。そして仕上げにその上からスープをかければ……
「完成! バッシさん、レオ君、夜食できましたー!」
「お、出来たか」
「待ってました」
二人は作業の手を止めてカウンターの外側へ回り、腰掛けて首をひねった。
「これがソラノが言っていたヒヤシチュウカ?」
「もどきです」
「なんでもいいや、腹減った」
レオが箸を手に取り麺をひとつかみし、ぐーっと皿に盛られた山から引き出す。それから勢いよく啜って食べた。バッシもそれにならう。
「お味どうですか?」
「変わった味がするな。不味くはないが、冬向きの食べ物では無いな」
「俺は暑かったからちょうどいい。ケッコー好きだぜ」
バッシからは料理人としての言葉が、レオからは年相応の青年としての言葉をもらう。
「カイトさんは?」
「まあまあ。ハムが美味しいね」
「そりゃ、カウマンさん特製のハムですから」
このハムは塩気が程よく美味しいことはソラノも知っている。苦笑しつつソラノも冷やし中華を麺を箸でとり、口に運んだ。
麺に絡む少し酸味が効いた中華麺。
醤油とみりん、それからごまのアクセント。
店の卵もハムもトルメイもタレに絡めると途端に味が中華っぽくなるから不思議だ。
「ん、おいし」
今ひとつ不足している感は否めないけど、これはこれでいいんじゃ無いかな。
「夏休みを思い出します」
「若者っぽい発言だね」
俺の夏休みは十年以上前だ、と言いながらカイトは錦糸卵に箸を伸ばす。ソラノが作った錦糸卵は縦にも横にも分厚くてちょっと不恰好だ。
「今度は夏にも作りたいですね。きゅうり入れて」
「その時にはなんとか、ごま油か鶏がらスープを手に入れたいな」
「いいですねえ。私も市場に行ったら探してみます」
何と言っても世界一の都。食材も調味料も豊富にある。探せば見つかるんじゃないかな、と思いながら夏の到来が早くも待ち遠しくなったソラノだった。
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