第199話 恋する料理人

「はぁ……」


「……バッシさん、どうしたんですか?」


「はぁ……」


「おーい、バッシさん?」


「……はぁ」


「ダメだなーこりゃ。ソラノ、諦めろ」


 その日の閉店作業中、ビストロ ヴェスティビュールの料理人であるバッシはため息が多かった。今日だけではない、思い返せば前の日もその前の日も、何となく様子が違った気がする。

 スープの入った大鍋をかき回している時も、仕込みで野菜を切っている時も、料理に使う肉を糸でぐるぐる巻きにしている時も。

 どことなく彼の視線は宙を彷徨い、心ここに在らずといった感じだった。


「どうしたんだろうね、バッシさん」


「さぁな……」


 同じく作業をしていたレオにソラノは問いかけてみるも、レオも首をかしげるばかりだ。

 これはもう、本人に直接聞いてみるしかないだろう。

 というわけでソラノはモップをかける手を止めて厨房でひたすらため息をつき続けるバッシの真隣に移動した。


「バッシさーーーん!!!」


「うぉっ、ソラノか!? そんな大声出してどうしたんだ」


「どうしたんだ、はこっちの台詞です。ため息ばっかりついてどうしたんですか?」


「んん?」


「ため息。最近すごいじゃないですか」


「そうだったか……?」


 自覚がないらしいバッシは首をかしげた。カウンター越しに身を乗り出したレオも会話に参加して来る。


「そうだぜ、営業中も上の空だ」


「心配してるんですよ。今までそんなことなかったですし」


「そうだったか?」


 二度目のそうだったか? を言った後、バッシはばつが悪そうに口をモゴモゴした。


「うーん、心配かけてるとは知らなかった。悪かったなぁ」


「一体どうしたっていうんですか」


「何か悩みがあんなら、俺たちが聞くぜ」


「悩みというかなんというか……」


 バッシの物言いはすこぶる歯切れが悪い。視線を彷徨わせ、何か言おうとしては口をつぐむを繰り返す。言うのを嫌がっていると言うよりは恥ずかしがっているようだった。こんな態度を取られてはますます気になるというものだ。ソラノとレオは理由を聞き出そうとあの手この手を使い、とうとうバッシは理由を吐いた。


 曰く、最近気になる人がいるらしい。

 きっかけは数週間前のゴミ捨ての時。その人はエア・グランドゥールの業務用ゴミ捨て場でゴミを捨てていたバッシの隣にやってきたらしい。


「お隣、いいですか?」


「ん、ああ」


 そうして隣でゴミを捨て始めたその人は、今までバッシが見たことがないほどに美しい牛人族の女性だったそうだ。年の頃はバッシと同じか少し下。その人はバケツいっぱいの大量のゴミをどさどさと捨て、焼却を始めたらしい。

 ちなみにエア・グランドゥールでは焼却炉に持って行ったゴミを自分たちで燃やす。魔法があるので燃やすのは簡単だ。

 ぼうぼうと燃える炎の横、バッシはその人のことが気になって気になって仕方がなかったということだ。


「それで最近、積極的にゴミ捨てに行ってくれるんですね」


「その前までじゃんけんだったのにおかしいとは思ってたぜ」


「おう、そういう理由だ」


「ちなみにその方、どこで働いてるんですか?」


「中央エリアの冒険者用の酒場で働いているらしい。まつげがフサフサで、優しい眼差しの女性ひとなんだ」


「そうですか……」


 牛人族の、というか総じて獣人の見た目はわかりにくい。大きさで大人か子供かくらいはわかるけど男性か女性か、若いのか老人なのかもいまいち判別できないので、美しいと言われてもいまいちピンとこなかった。

 それはそれとして、バッシに春が来たのはいいことだ。

 料理人として一流のバッシは、料理に情熱を注ぐあまりに四十歳にして未だ絶賛独身だ。別に本人がそれでも構わなさそうだったし、ここ一、二年は忙しくて恋をするような暇もなかったけれども、内心ではカウマン夫妻もきっと心配していることだろう。

 一度ソラノに、冗談混じりで「うちの息子、どうだい?」と聞いてきたこともあった。

 ソラノは丁重にお断りをした。人種が違いすぎて、恋の対象にはならなかった。


「ソラノ、こういう時はどうすればいいと思う?」


「私に聞きますか……?」


「そうだぜバッシさん、多分ソラノにそういう話は無縁だ」


「そうかぁ、だよなぁ」


「いやっ、何気に二人ともひどいですね」


 確かに無縁だけども。否定はできない。


「デルイさんに聞いてみるってのはどうだ」


 レオの提案にバッシは首を横に振る。


「基本のスペックが違いすぎて、あまり参考にならなさそうだ」


「確かに……」


「そうだな……」


 黙って佇んでいるだけで皆が振り返るような美貌に加え、貴族でありエリート職員でもある彼が何を言っても大体の女性が首を縦に振るだろう。

 しかしバッシにだっていいところは沢山ある。顔の良し悪しは種族的美意識があるからソラノからはなんとも言えないが、性格がいい。そして勿論、料理が美味しい。


「そうだ、お店に来るように誘ったらどうでしょうか!」


「店に? 普通、デートでどっか行くよう誘うんじゃないか」


 レオが怪訝な顔をして聞いてきた。


「それもいいですけど、せっかくならバッシさんの作る料理、食べてもらったらどうです?」


「そうか、それはいいアイデアだな」


 レオは不服そうだったがバッシはぽんと手を打ち、ウンウン頷いた。


「よし……! 決めた、俺は、今度会ったら店に来てもらうよう、誘う!」


「ちなみに名前は?」


「これから尋ねる! よし、早速ゴミ捨てに行って来るぞ!」


 バッシは大きなゴミ箱を両手でぐわしっと掴むと、意気揚々と裏口から店を出て行った。ソラノとレオの二人はそんなバッシを見送る。


「タイミングよく会えるといいね」


「だな」


「ところで牛人族の美人とか普通とかって、レオ君わかる?」


「いや、全然わかんねえ」


「そっかぁ」


 もしかしたらこの世界にずっと住んでいる人ならばわかるのかなと思って聞いてみたけれど、どうやらレオにもわからないらしい。

 

+++


 それから数日が経ち、どうやらうまく件の女性に約束を取り付けたらしい。ちなみにクララという名前だそうだ。

 本日、クララが仕事終わりに来てくれるということでバッシはずっとそわそわそわそわとしていた。

 そんな中、営業中は常時開け放たれている扉から一人の牛人族の女性が入って来た。すっきりとしたブラウンのシックなワンピースとハイヒールを身にしている。


「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか」

 

 すかさず挨拶をするソラノ。女性はこくりと頷いたのでカウンターへと案内する。ちらりと厨房に目を向けた女性に、バッシがすかさず反応を示していた。彼の頭についている耳が落ち着きなくパタパタと揺れる。

 クララはそんなバッシを見て、にこりと笑った。バッシはあからさまに赤面しながら厨房の奥へと引っ込んで行った。


「本日のおすすめは、パテのパイ包み<パテ・アン・クルート>です」


「じゃあ、それをお願い。あとは赤ワインを」


「はい」


 落ち着いたやや低めの声でクララが言い、ソラノはワインの準備をする。

 

「バッシさん、パテ・アン・クルート一つお願いします」


「お、おうよっ」


 やや上ずった声で返事をするバッシは、若干挙動不審ではあるが料理をする手は淀みない。パイ包みにされたパテを包丁で丁寧にスライスし皿に盛り付ける。

 クララが来ると決まった日から、バッシは何を作るのかとても悩んでいた。好きな食べ物が肉料理だと聞いたバッシは前菜から肉料理にしようと決め、悩みに悩み抜いた結果このパテ・アン・クルートを作ろうと決めたのだ。

 この料理、何が凄いって手間が凄い。

 料理人の技術の粋を集結し数種類のパテをパイ生地で包んで焼いて作る、まさに渾身の一作だ。

 あまりの力の入れように、王女様たちにお出しするべきだったのでは……とソラノは喉元まで出かかった言葉を既<すんで>のところで飲み込んだ。恋は思わぬ力を人に与えるので、おそらくあの時には作れなかった料理が作れるようになったのだろう。


 バッシは作り上げた料理を手に持ち、いつもならば配膳はソラノかレオに任せるのだが、自らカウンター前に躍り出てその皿をクララの前に華麗にサーブした。


「お待たせいたしました、パテ・アン・クルートです」


「まぁ……!」


 クララが感嘆の声を上げる。

 そこに置かれているのは、スライスした食パンのような形のパイの中に整然と詰め込まれた美しいパテの層。


「本日はホロホロ鳥、塩漬けの豚肉、双子羽根の鴨肉にクルミが入っております」


 それは、もはや芸術品だった。

 肉の種類によって微妙に異なる色合いを美しくグラデーションになるように並べ、しっかりとパイで包んで成形している。

 まさに、加工食肉<シャルキュトリー>の王様!

 

 その完璧な見た目を誇るパテ・アン・クルートにそっとナイフを入れてフォークですくい上げるクララ。

 パクリと一口。

 目を閉じて、じっくりと噛み締めて味わっている。

 そして目を開いて一言。


「とても、美味しいわ」


 噛みしめるような言葉に、バッシは声を上げずに喜んでいた。


「お次の料理も、楽しみにしてください」


「ええ。全てシェフのお任せでお願いしていいかしら」


「勿論です!」


 弾むような足取りでバッシは厨房へと戻って行った。






「なあ、ソラノ」


「何でしょうかバッシさん」


 閉店した店内の清掃中にバッシが声をかけてきた。


「俺は長いこと料理人をやっているが、今日クララさんに言われた『美味しい』の一言が、人生で一、二を争うくらいに嬉しかった」


「わかります、その気持ち」


 ソラノは心の底から同意した。

 丹精込めて作った料理が自分の好きな人に「美味しい」と言ってもらえるならば、それは何物にも代えがたい一言だ。心は弾み、月まで飛べそうな気持ちになる。もっと頑張って料理しよう! という気力も湧いてくる。たった一言だとしても、そのくらいに嬉しい一言だ。


「また来てくれるって言ってましたね」


「おう」


「また張り切っておもてなし、しないとですね」


「おう」


「うまくいくといいですね」


「おう」


 バッシの「おう」には万感の思いがこもっていた。レオも温かい目で見守っている。


「やはりデルイの兄ちゃんに、気の利いた言葉の一つ二つ教えておいてもらおうかな」


 そんな事まで言い出した。聞いたところによると恋は随分久しぶりらしく勝手が全くわからないらしい。


「なあどう思うよ、ソラノ」


「そうですね、どうせ毎日お店に来ている事ですし、今度空いている時に聞いてみてもいいんじゃないですか」


「そうだなぁ。そうするよ」


「バッシさん、マジだな」


「だね」


 やや呆れ気味なレオにソラノは苦笑まじりに肯定すると、握っていたモップで床をこする。

 さてバッシの恋はどうなることか。これからの推移を見守ろうとソラノは胸に誓った。

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