第136話 歴史学者と変わった料理①

 間も無くエア・グランドゥール空港へと着港致します。この度は当飛行船をご利用いただき誠に有り難うございました。皆様の良き旅を心からお祈りしております。


 船内にアナウンスが響き渡った。


 船は雲海の水面を滑るように進み、エア・グランドゥールの岸辺へと静かに着岸する。乗客は皆、あてがわれた部屋を出てエントランスへと集まっていた。降りる順は金持ちからというのはどこの世界でも揺るぎない不文律であり、ここでも御多分に漏れない。

 一等客室に宿泊している貴族の面々から降り立ち、その後に二等、三等客室の者たちが続く。

 皆長い船の生活に飽き飽きしており、久方ぶりに降り立つ大地の感触を心待ちにしていた。

 何せ船室の窓から見える景色は雲、雲、雲。

 見渡す限り真っ白い雲と抜けるような青空のみで、はじめのうちは感動するが五日も十日も続いたらさすがに飽いてしまう。娯楽も乏しく、食事も似たり寄ったりになるので尚更だ。

 

「ああ、着きましたね」


「グランドゥール王国は随分と久しぶりだ」


 くたびれかけた中折れ帽と茶色いスーツに身を包んだ中年男と、無精髭を生やした中年男の二人組がエア・グランドゥール空港へと降り立った。両手には革製トランクを一つずつ持ち、スタスタと第一ターミナルに向かって歩いて行く。ずっしりと重そうなそれを軽々と持ち上げているのはひとえに重力魔法を使っているおかげだ。

 この世界に息づく魔法の力は一般生活に浸透しており、大人も子供もまるで息をするようにそれを使いこなす。戸惑うのは「異世界」からこの世界へと転移して来た人々だけだ。


「今回の学会では驚くべき発表があるとか」


「ああ、私も楽しみにしているんだ」


 二人組は歴史学者だった。この世界のあまねく歴史を研究し、世界の謎の解明に迫ることを生きがいとする二人はグランドゥールの王都で開催される歴史学学会へと出席するために船に乗って空を渡って来た。

 大国グランドゥールの学術機構は質が高い。治安がいい国の民というのは軒並み学力のレベルが高く、数多の有名な学者を輩出している。

 高名なところでは、ジョヴァンヌ・ベラーニ。クリスト・アンドリュー。フェル・ブローロ。

 歴史学者の間では知らぬ者がいない程に著名な人物たちであり、後世に与えた影響力は計り知れない。

 

「にしても、グランドゥール王国とオルセント王国の王族が婚姻を結ぶとは少しばかり驚いた」

 

 無精髭を生やした男が言う。


「そうか? 私としてはむしろ妥当なところだと思ったぞ」


 茶色いスーツの男の方が反論する。

 巨大な空港内を歩きながら二人は雑談を交わす。雑多な種族が行き交うこの空港というのは実は歴史的に見ても稀有な場所であり、それがこの国が栄えた最大の理由だった。


「オルセント王国は国としての規模はあまり大きくなく、際立った経済力も特産品もない。治安はいいが大国が婚姻関係を結ぶほどの旨味はないと思っていた」


「それは一般的な見方だろう。かの国はグランドゥールと同じく種族差別をしない。そうした部分に目をつけられたのだと私は思う」


 世界を見渡してみれば、まだまだ種族至上主義の国も多い。同種の獣人のみで構成される国、人族至上主義の宗教国家。人魚族は昔にその珍しさから好事家に求められ捕獲された歴史があり、海の底であまり他種族と関わらずに暮らしている。


「オルセント王国と婚姻を結ぶことでグランドゥール王国は多様な種族を受け入れる国と友好を示す、という事を宣言したも同然だ」


「ああ、それは確かに」


 傍で歩く茶色いスーツの男は顎に手を当て頷いた。


「排他的な国家はグランドゥール王国の望むべくものではない。そういう事だろう」


「なるほどな。俺は食文学の方が専門だからそこに関しては思い至らなかった」


 無精髭の男が深く納得したように言った。


「食文学といえばこのグランドゥール王国は他の追随を許さないほどの美食国家としても名を馳せているな」


 茶色いスーツの男は明るい顔をして言った。男たちの出身国はまあまあ有名なところではあるが、食事に関して言うならばグランドゥールに勝てる国はないだろう。


「かの有名なシェフ、トクヨシ・ハルヤマがこの国に異界より転移してこなければこれほどに食文化が発展することはなかっただろう。フレンチに、ワショク。なんでもニホンという国で王族の主厨長しゅちゅうちょうを勤めていたというのだからその腕前は素晴らしいに決まっている」


 そのニホンという国はフレンチ発祥の地ではないそうなのだが、そんなことは関係ない。この世界でフレンチを普及させた功績は計り知れない。二百五十年ほど昔の話になるが、何せそれ以前の食事といえば固いパンに冷たいスープが主だったのだ。トクヨシは王宮で重宝され、一代限りの爵位さえ与えられた。

 

「さて、下に降りたら何を食べようか。フレンチは鉄板だがワショクも捨てがたいな」


「中心街の一等地にある女王のレストランという所が最近では人気だそうだ。モーニング、ランチ、アフタヌーンティー、夜は手頃な価格でのディナー。総料理長は二百歳を超えるエルフで、価格以上の料理が出てくると評判だそうだよ」


 食文学に精通するという無精髭を生やした男がスラスラと答えた。この男は学会と同じか、もしかしたらそれ以上に王都滞在中の食生活を楽しみにしている部分がある。茶色いスーツの男は苦笑した。


「まあ、何はともあれ降りてから考えようか……おや」


 第一ターミナルへと入りそのまま王都へと降りる船に乗り込もうかというところで、茶色いスーツの男は足を止めた。


「ターミナルの隅に何やら人だかりができているぞ」


「本当だ。店があるようだな、どれどれ」


 こぢんまりとしたガラス張りの店の前に人が並んでいた。この空港の店は中央エリアに集約されていると事前の情報で聞いていたが、どうやらここにも店があるようだ。

 こんな辺鄙な場所に一軒だけ建っている店に、なぜ人が集まっているのか。

 学者らしい興味本位で二人は店へと近づいた。


「ビストロと書いてある。料理店のようだな」


「随分と洒落込んでる」


 片方の壁面には食欲をそそる料理の絵が描いてあり、店の中では食事をする人の姿があった。店の外にまで椅子が並べられており、そこに座って待っている者までいる始末。待たされているのは貴族の従者のようで、お仕着せを着た召使いたちが背筋を伸ばして一様に座っている様はなかなかに圧巻だ。


「こんな場所に人気の店があるとは知らなかった」


 人が集まる店というのは食文学を追求している者としては気になる所だ。

 ちらりと横にいる茶色いスーツの連れを見ると、わかっていると言いたげに苦笑を漏らした。


「入ってみるか?」


「ああ」


 腕時計をちらりと見ると、時刻は夕方を少し回ったところ。昼食は船内で取ったし、夕食にしてはかなり早い。午後の軽い食事、といったところだろう。

 本日は予定もない。今更地上に降り立つのが少し遅れたところでどうということもないので、二人は並んで待つことにした。

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