第137話 歴史学者と変わった料理②
本日のオススメ
ガレット・コンプレット
パンペルデュ・サレ
シルベッサを使ったデザートタイプのパンペルデュ
「お待たせいたしました、二名様でしょうか?」
「ああ」
「ではこちらのお席へどうぞ」
モスグリーンのワンピースを着た若い給仕係に案内されて中へと入り、テーブルへとつく。高い天井からはランプが吊るされており、ダークブラウンを基調とした店内に落ち着いた灯りを投げかけていた。時折配色されているモスグリーンがアクセントとなり、まるで木陰にいるかのような落ち着いた気持ちにさせられる。
ことりと置かれた氷が浮かんだ水に口をつけると、ほんのりと柑橘類の味。一口飲んでほうと息をついた。
「こういうちょっとした気遣いも有り難い」
「一等客室に泊まる貴族ならいざ知らず、二等客室だと水といえばただの水だったからな」
常温で出てくる水を自分で冷やすのだ。魔法を使うので大した労力ではないが、こうして冷えた果実水が出てくるのはとびきりの贅沢に感じた。
「本日のオススメはガレット・コンプレットとパンペルデュ・サレ。シルベッサを使ったデザートタイプのパンペルデュです」
「ガレット・コンプレット?」
無精髭の男が聞き返す。古今東西の食文学に精通している彼をしても聞いたことがない名前の料理だった。
「はい。黒麦を薄焼きにして、その上に卵とハム、チーズを乗せた料理になります」
「ほほう、この国で黒麦料理が食べられているとは知りませんでした」
「つい最近なんですよ。国の王女様が婚約されて、お相手の国でよく食べられている黒麦をこの国でも美味しく食べて欲しいという思いから、この料理を普及させることになりました。ただ黒麦は人によっては体調を悪くしてしまうこともあるので、事前に確認させていただくことになっていますが」
若い給仕係は愛想よく説明してくれた。ご飯好きが高じて食文学専門の歴史学者となった者としては、そう言われると好奇心がムクムクと湧いてくる。
「では私はそのガレット・コンプレットとやらを頂こう。林檎酒はあるかな?」
「はい、ございます。お連れ様のご注文はいかがしますか?」
「私はパンペルデュ・サレにするよ。飲み物は林檎酒で」
「かしこまりました。先に黒麦を食べても問題がないか確認する薬液をお持ちします」
そう言うと給仕係は小皿と小さなティースプーンを手に持って戻って来た。中には何やら薄水色の液体が入っている。
「こちらを皮膚の一部に垂らして頂き、赤く反応が出なければ問題ありません」
「なるほど」
実は男は黒麦を食べたことがありなんら問題ないのだが、興味本位でその薬液を試してみる。しばらく待っても当然のことながら何の反応もない。
「問題ないようなので、ガレットをお作りいたしますね」
気持ちのいい笑顔を残して去っていく給仕係を興味深そうに見つめているのは茶色いスーツを着ている男の方だ。無精髭の男へと向き直りやや声を潜めて言う。
「あの給仕係、<転移者>だ」
転移者。歴史学者の使う用語ですなわち「異世界から転移して来た者」の事だった。無精髭の男も頷く。
「ああ。黒髪黒目、体内魔素の不安定さ。間違い無いだろうな」
グランドゥール王国は転移者の数が多い。古くは森に顕現<けんげん>したという転移者は現在、世界各地の空港で発見されるようになった。学者たちの通説では、雑多に人が行き交う空港という場所は異界と繋がりやすいのだろう、という話になっている。
「転移者といえば、ある共通点があるという話は知っているだろうか」
「当然。常識だろう」
たとえ食文学専門とはいえ、仮にも王立歴史学術機構に名を連ねる歴史学者の端くれ。知らないはずがない。
「転移者はーー大抵が黒髪黒目でニホンという国出身。そして全員、宗教的観念が薄い」
「そう、その通り」
転移者はこの世界に莫大な恩恵をもたらしている。蓄音機の発明や造船技術の発展、食文化への貢献。武力面で言えば短期間での並外れた魔素の吸収による、高火力の魔法使用。功績を挙げれば枚挙に遑<いとま>がなく、この世界は転移者のおかげで大きく進化しているといっても過言ではない。
「だが、転移者はこの世界に決して元の世界の宗教を持ち込まない」
「どうやらそのニホンという国自体、宗教観がかなり薄いみたいだからな。異世界でも特殊な位置付けにあるとか」
宗教というのはいつだって争いの火種になる。一神教、多神教。自然界の万物神を崇める宗教もあれば、唯一神を崇める国家もある。いずれにせよデリケートな問題だ。そういったものを持ち込まないというのはそれだけで有り難い存在だった。
だが、年に一度のペースで現れる転移者全員が無神論者なんて偶然があり得るのだろうか。
そこで一つの説が生まれた。
<転移者>の似通った身体的特徴、文化的貢献度、数多くの素質を秘めた者たちの転移。
「つまり転移者は偶然この世界に紛れ込んだわけではなく、選ばれ、必然的にこの世界にやって来ている」
「だがどうやって選ばれている」
無精髭の男の指摘に茶色いスーツの男は首を横に振った。
「それこそ神の思し召しだという人間が多いが、真実は未だ分からないままだ」
肩をすくめながら男が言うと、両手に料理を持った給仕係が丁度近づいて来る。
「お待たせいたしました、ガレット・コンプレットとパンペルデュ・サレです」
取って返して飲み物を持って来た給仕係は「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていこうとする。茶色いスーツの男は思わず呼び止めた。
「お嬢さん、つかぬ事をお伺いするが、君には信じている神というものはおりますか」
「神、ですか?」
「ええ。宗教でも差し障りありません」
突然の突飛な質問に気を悪くしたわけでもなく、給仕係は足を止めて顎に人差し指をやり、天井にその黒い瞳を向けて考える。
「そうですねぇ……絶対にこれ! と信じているものはありませんね」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ、ごゆっくりどうぞ」
お辞儀をしてから去っていく転移者の給仕係を見送り、「やはりな」と目の前の無精髭の男に目配せをした。
「ひとまず食べよう」
言ってナイフとフォークを手に取る。目の前に置かれたガレット・コンプレットという料理はこれまで食べて来たどんな黒麦料理にも似ていなかった。薄く焼いた茶色い生地が四角く折りたたまれ、中央にはチーズの雪を被った卵が包まれている。
真ん中から、ナイフを入れた。
とろっとろの黄身が溢れ出す。
それを絡めて生地をフォークで折りたたみ口へと運ぶ。
瞬間、感じたのは衝撃だった。
これまで食べたどんな黒麦料理とも違う味わい。
独特な黒麦の味わいがハムと卵とチーズを包み、そして高みへと押し上げている。
この濃厚な旨味を持つオレンジの黄身の卵はおそらく、王都近郊で採れるというツィギーラのもの。その濃ゆい卵の味わいにこの生地は全く負けていない。
小麦では決しで出せない味わい。
このふくよかな黒麦でしか感じられない味が、ここにはある。
「おい、どうした」
ナイフとフォークを持って小刻みに震える相棒にスーツの男が心配したように声をかけた。
「完璧だ……」
「何?」
「まさしくこれこそ、
無精髭にちょっと黄身をつけたまま、目を輝かせて言う。スーツの男はやや面食らった顔をしていた。構わずガレットを食べ進める。
「こんな料理は聞いたことがない。やはりグランドゥールには美味しい料理があるな」
「我々は転移者の共通点について議論をしていたはずでは」
「そんなことは今現在、どうでもいいだろう。こうして美味い料理を五感で味わいつくすことが先決だ」
こうなってしまってはもう男を止めることはできない。肩をすくめたスーツの男も自身の料理を食べるべくナイフとフォークを手に取った。
卵液と牛乳が染み込んだバゲットはこんがりときつね色に焼かれており、上に乗ったハムとチーズも適度なボリュームがある。
ナイフを入れると柔らかい弾力を感じる。そのまま切り分け、フォークに刺した。
パクリ。
適度な食感のバゲットはふんだんに卵液と牛乳を吸っており、噛めば噛むほどにその味が広がっていく。
しょっぱいハムとチーズに合うように甘味がないパンペルデュに仕上がっており、それがまたこの夕方時の軽食に最適だった。
口の中が幸せだ。
連れに目配せをすると、林檎酒を手に取った。二人でグラスをカチンとぶつけ合い乾杯をする。
アルコールに溶け込んだ林檎の甘味が美味い。
冷えた酒はそれだけでご馳走だった。
どういった意図でこの世界に転移者が来るのか。それはまだ誰も解明できていない謎だ。それこそ神が選んで連れて来ている、とする説を唱える者もいるがその辺りは神学者の分野だろう。
歴史学者としては過去の文献からその謎を読み解く必要がある。
ともあれ、今はこの食事を楽しむことに集中したい。
「ついた途端にこんなに美味しい料理にありつけるとは幸先がいいな」
「全くだ」
ナイフとフォークを握る手が止まらない。
まだ王都にも降りてない内から、二人は美食の都の新しい料理を存分に堪能した。
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