第14話 商業部門からの刺客②

 アーニャはひそかに興奮していた。初めて、一人で店舗への仕事を任された。白いウサギの耳がピクピク揺れ、ボブカットにされた金髪を撫でつける。

 今までは会議の議事録取りだとか、上司に言われて店舗へお知らせの紙を配るだとか、そんな仕事ばかりだったが、ついに交渉を任されるようになったのだ。


 第一ターミナルにあるカウマン料理店。存在は知っているものの、近づいたことすらない。ターミナルの隅っこにある、いつも窓も扉も締め切られているやっているんだかやっていないんだかもわからないような店だ。

 アーニャは職員用通路を歩き、第一ターミナルまでやってきた。そしてカウマン料理店へと近づき、初めてその店構えをじっくりと眺める。

 元は白かったであろう壁の塗装は色褪せて灰色になっているし所々剥げて中の建材がむき出しになっていた。店前の看板は何年もかけ替えていないんだろう、かろうじて店名が読めるばかりだ。そして致命的なことに、壁にかかっているメニューの文字が小さすぎてかなり近くまで来ないと読めない。


「もうっ、こんなお店が我が空港にあるなんて信じられない!」


 アーニャは腰に手を当てぷんすかと店の前で怒った。エア・グランドゥール空港は王国が世界に誇るハブ空港だ。こんな店の存在を許しているなんて、商業部門の恥だ。店舗開発推進課に報告して、速やかに取り潰してもらわないと。

 アーニャは深呼吸して気持ちを落ち着け、店の扉を開いた。


「失礼いたします」


 店の中では牛人族の夫婦が二人と、見慣れぬ珍しい黒髪の女の子がなにやらサンドイッチを頬張っている。営業中の店の中でのんきに食事とは、接客業の風上にも置けない行為だ。落ち着けたはずの心に再び怒りがこみあげてくる。


「私は当空港の商業部に所属するアーニャと申します。テナントであるカウマン料理店へ進言があり参りました」


 務めて冷静に、アーニャは名乗りを上げる。続けて上司に言われた言葉を一字一句間違わず、一気に諳んじた。


「こちらの料理店が朝、走りながら大声で販売をしていると聞きました。与えられた区画を超えての販売は厳禁、大声での客引きは禁止、空港内で走って販売することは他のお客様への迷惑になるためお控えいただけますかっ」


 アーニャは驚き固まる三人に向かってドヤ顔でそう言い放った。怒りがこみ上げる心を抑え、尊敬するエアノーラの真似をして冷静にズバッと言ってやった。ぐうの音もでないだろう。「すみませんでした」と言われるに違いない。もしかしたら店舗開発推進課に報告する前にこの場で立ち退きの話が一気に進むかもしれない。そうしたらアーニャのお手柄だ。下っ端社員から脱出できる。


「わかりました、売り方を変えます」


「そう、わかればいいんです……えっ?」


「えっ、ソラノちゃん、変えちゃうの? いいのか?」


「良いんです、これがだめなら違う方法を考えるまでです」


 全員が戸惑う中、ソラノがはっきりと告げた。彼女は一度注意されたくらいでめげる質ではない。そんなことでは女子高生などやってられない。彼女たちは様々な規則の隙を突いて新しいことを発案し、先生に怒られれば別の方法を考え出す生き物だ。そして時には、忠告を無視することもある。


「ところでアーニャさんとお呼びしてもいいですか?私はソラノ、十八歳です。見た感じ、私と年が近そうですね!」


「わ、私は二十二歳ですよ」


「そうなんですか? 十代に見えますよ、ウサギの耳って可愛いですね。私は普通の人間なので、羨ましいです」


 ソラノは唐突に販売員モードにチェンジし、相手の個人情報を聞き出しにかかった。ソラノにとって店に足を踏み入れた人間は皆、客だ。しかも相手は空港職員。空港の利用客と違って囲ってしまえば何度も足を運んでもらえる上客だ。さらに都合のいいことに、彼女は商業部と言っていた。テナントの運営母体オーナーだ。

 ソラノは知っている。間借りして店を続けている以上オーナーとの関係を良好にしておくことは、必須事項だということを。何でもいいから味方を増やす。目の前のアーニャはソラノにとってカモがネギ背負ってやってきた状態だった。


「そういえば、異世界人さんですか? ちょっと前に保護されたって噂になっていた」


「そうなんですよ。こっちにはいろいろな人がいて面白いですね! 食べ物も違って。今、ローストビーフサンドを食べていたんですけど、これがすごい美味しいんです」


「えっ、ローストビーフ?」


 アーニャが食いついた。今までの聞いた話でローストビーフが高級品だというのは調べがついている。ならばきっと、この社員さんも食べたことが無いに違いない。なにせこんなうらぶれた店に派遣される人だ、きっと社内では下っ端なのだろうし、先ほどの忠告の仕方を聞くにとても交渉ごとになれた人とは思えなかった。こっちのペースに巻き込んでしまえば、ソラノの勝ちだ。


「そうなんですよ。パンに挟んであるんですけど、お肉と野菜とソースのバランスが絶妙ですっごい美味しくて。よかったら一つ食べてみませんか?」


「えっ、いいんですか?」


「どうぞどうぞ、出来上がったばっかりのサンドイッチですよ」


 すかさずカウマンが皿にサンドイッチを乗せてカウンターから提供してくれる。もはや阿吽の呼吸だ。三人のチームワークはこの数週間ですっかり完成されていた。

 アーニャはソラノのペースに乗せられるがままにサンドイッチを手に取った。ずっしり重いサンドイッチからはお肉と野菜が顔をのぞかせている。

 パクリと一口かじると、アーニャの顔は笑みが広がる。


「美味しい……!こんなおいしいサンドイッチ、初めて食べました。お肉が柔らかくて!すごい!」


「ちなみに暴走牛の肉を使っている」


「あの暴走牛がこんなに美味しくなるんですか!? すごい、美味しいです!」


 アーニャは美味しい以外の語彙力を失っていた。もう一押しだろう。ソラノは止めを刺しにかかる。


「ちなみに値段は一つ四百ギールですよ」


「えっ、こんなに美味しくて、ボリュームもあって、四百、ギール……!? か、買います! 私明日から、毎日買いに来ます!」


「ほかの社員さんもぜひ、誘ってくださいね!」


「試食用に切ったやつ、持って行ってくれや。皆で分けて食べてくれ」


 カウマンが絶妙なアシストを見せてくれた。マキロンが四分の一に切ったサンドイッチを紙にくるみ、袋に入れてアーニャへ渡す。


「明日から冒険者の人へ売り出そうと思ってたんですけど……残念です。朝は忙しくて、こちらも走らないと目を留めてもらえないんですよ」


「確かにそうですよね……こんなに美味しいものを売れないのはもったいないですよね」


「例えば走らず、大声を出さず、静かに売るならアリですか?」


「うーん……どうでしょうか。上司に相談してみないと何とも……」


「与えられた区画を超えての販売は禁止ってことだったけどね、朝だけ出張販売って形をとっちゃダメなのかね」


 マキロンもアーニャへと尋ねる。アーニャは難しい顔をして唸っていた。


「どうでしょう……? 一度検討してみます」


「はい、お手数かけちゃってすいません」


「いいえっ! このサンドイッチ、名前はなんていうんですか?」


「よくぞ聞いてくれた、これはな、究極のBLTだ!」


「究極の、BLT……!」


 アーニャは持たされたお土産とともに上機嫌で店から去っていった。


「チョロいお嬢ちゃんだったなあ。ソラノちゃんとは大違いだ」


 完全にソラノの口車に乗せられたアーニャを見送り、扉が閉まったとたんカウマンがそう言った。

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