第15話 商業部門からの刺客③
「ただいま戻りました」
「それで、どうだった?」
「はいっ! ちゃんと伝えてきました。そうしたらお土産をいただきました」
アーニャは事務所に戻ると早速上司へ報告した。出来るアーニャはちゃんと報告を欠かさない。上司は爪をぱちぱち切っていてアーニャを見もしない。
「で、納得してもらったのか?」
「えーっと……大声を出さず、走らず、出張販売という形をとりたいと言っていました」
上司の男はため息をつく。
「駄目でしょうか。各店舗の要望を聞くのも商業部の仕事の一つだと思いますが……」
「駄目だ。一つの店舗でそれを許したら、他も真似したがるかもしれないだろう。面倒なことになる」
要するにこの男は、面倒なことをしたくないのだ。新しいことをするとなれば相応のパワーが必要になる。上への報告、プレゼンテーション、各部署への調整。そこまでのエネルギーを使ってまでカウマン料理店の要望を聞く義理など、商業部には存在しない。
「あの、これ、カウマン料理店からの試食品です。ローストビーフが入ってるそうですよ」
「ほお、ローストビーフ」
そこで初めて上司は顔を上げ、包みを手に取った。
「ありがたくいただくよ。じゃ、もう昼休みに入っていいから」
「はい」
アーニャは自分のデスクに戻り、書類をひと整理してから休憩へと入った。休憩はよほど立て込んだ仕事がない限り一斉に取ることになっている。立ち上がり食堂に向かう人、デスクで持参の弁当を食べる人と色々だ。
「みなさんこれ、カウマン料理店からいただいた試食のサンドイッチです」
アーニャは休憩をとる人たちにサンドイッチを配り歩いた。特にこんなことをする義理はないのだが、せっかくたくさんもらったサンドイッチ、配らないと損だ。それにこのローストビーフは本当に美味しかったので是非ほかの人にも食べてほしい。
「あら、ありがとう」
「すまんね、アーニャちゃん」
「カウマン料理店から? そいつぁ懐かしい名前だな」
商業部はその職業柄、様々な店から差し入れをもらうことが多い。それを配り歩くのも日々のアーニャの仕事だった。要するに彼女はパシリだ。新人が入ってこないこともあり、いつまでたっても雑用を押し付けられている。それでも彼女がめげずに働いているのは空港で働くのが彼女の夢であり目標だったから。いつかはエアノーラのように、バリバリのキャリアウーマンになることが今のアーニャの夢だった。
アーニャはチームの仲間と一緒に食堂に向かい、お昼にした。社員向けの食堂は二つあり、アーニャたちがいつも利用するのは安めのメニューが中心の方だった。もう一つはメニューが少し高めの価格帯になるため、アーニャのような一般庶民は気軽に利用できない。給料日に奮発して使うくらいだ。
「あたし今日はシチューにしよ」
「俺はカツレツ。アーニャはどうする?」
「うーん……」
込み合う食堂でトレーをもってメニューとにらめっこする。お昼のメニューは日替わりランチやシチューなど結構たくさんのラインアップがあるが、日々来ていると飽きてしまう。その点今日もらったサンドイッチはそれ一つで野菜もお肉も取れるし、あまり食欲がない日にもピッタリだと思う。
それに、店の外観はアレだったが入ってしまえば気のいい牛人のおじさんおばさん、何より異世界から来たソラノという明るく可愛い女の子が出迎えてくれてとてもアットホームな雰囲気だった。空港内のお店は社員用食堂も含め大規模な店が多い。ああいう家庭的なお店がひとつくらいあってもいいんじゃないかな。
アーニャは行く前と百八十度異なる見解でカウマン料理店を評価していた。たった一度のローストビーフで、あまりにもチョロすぎる。
「それで、今日はカウマン料理店へ行ったんだって?どうだったの」
お昼を食べつつ、そう尋ねてきたのは二つ上の先輩だった。
「はい。異世界人がいましたよ。ソラノって名前の女の子でした」
「へぇ、ちょっと前に空港で保護されたって子? まだここにいたんだね」
「もしかして変な販売方法ってその子が考えたのかな」
カウマン料理店はもう何年も新しいことなどやっていない。何かやるとしたら新しく人が入ったと思うほうが自然だろう。
「そういえば以前、新規雇用したって書類を受け取ったような……飛行船の乗船券を発行したっけ」
向かいに座る男の先輩が考えながら言った。
「可愛くて明るい子で、お店のおじさんおばさん達もいい人でした。サンドイッチも美味しかったし、お店の外観をなんとかすればもっと人が入るんじゃないかなって気がします」
「ローストビーフが入ったサンドイッチだっけ? 食べてみよーっと」
いち早く昼食を食べ終えた先輩が、さきほどアーニャが渡した包みを開けてかぶりつく。
「あ、おいしっ。冷めてるのにお肉が柔らかくてすごいね」
「じゃ、俺も」
次々に包みを開け、食べてみる商業部の人たち。
「暴走牛を使ってるらしいですよ。明日から一つ四百ギールで売るらしいです」
「へぇー、暴走牛ってこんなに柔らかく仕上げられるんだね」
「言われなきゃわからないくらいだ」
「こんなに美味しいもの作れるならもっと早くに売り出せばよかったのに」
もぐもぐと一口大に分けられたサンドイッチを食べ、感想を言い合う。品評するのは職業病のようなものだった。
「明日、買いに行こうかなー」
「俺も食堂にメニューにちょっと飽きてたんだよね。たまにはサンドイッチもいいかな」
「あたしも。異世界人、見てみたいし」
「私も行くから、一緒に行きましょう!」
アーニャはちょっとうれしかった。この美味しさを共有でき、お店に興味を持ってくれた。そして同じころ、事務所のデスクで愛妻弁当を食べ終わった彼女の上司も、サンドイッチを口にして「うまいな」と思わずつぶやいているのだった。
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