第222話 機嫌の悪い男

 世界最大の空港エア・グランドゥール。様々な人間が行き交うこの場所は、往々にして揉め事が起こる。発生場所は大体が冒険者エリアだ。

 この日もそうだった。

 最初は、酔っ払った冒険者同士の小競り合いだったそうだ。自分のあげた功績を語る冒険者同士がちょとした言い合いになり、それが段々とヒートアップして、暴力沙汰になる。

 よくある話である。

 ここで酒場の連中か、空港の職員が宥めて場を諫めるまでが一連の流れなのだが、今回の場合それがうまくいかなかった。

 一人の冒険者が喧嘩相手を殴り飛ばしたところ、思った以上にそいつが吹っ飛び、別の冒険者集団に突っ込んでいった。不意打ちを食らった冒険者は料理の大皿やエールのジョッキが載ったテーブルの上に顔面から突っ伏し、怒り狂った男は仲間と共に喧嘩に乱入し、己の宴会を邪魔した男を蹴り上げた。蹴られた男が別の冒険者集団の食事をテーブルごとひっくり返し、当然に怒った冒険者たちが立ち上がる。

 こうしてちょっとした小競り合いが酒場中の冒険者たちを巻き込んだ大騒動に発展し、空港職員が呼ばれた時にはすでに手のつけられない状態になっていた。

 エア・グランドゥールを利用する冒険者たちは高ランクの者たちばかりなので、喧嘩一つとっても止めるのに相当の労力を要する。二十人三十人の高レベルの冒険者に暴れられると、精鋭揃いの空港職員とて鎮圧には時間がかかるのは当然だ。

 中央の冒険者エリアの一部地域はことがおさまるまで関係者以外立ち入り禁止となった。


「というわけだからデルイ、行って来い。お前こういうの得意だろう」

「わかった」


 今しがた出勤したばかりのデルイはルドルフからの説明を聞き、二つ返事をすると自身の相方の後輩職員スカイを呼び、中央エリアへと向かった。


「あぁ、あそこっすかね」


 階段を上ってエリアへ顔を出すと彼方での騒ぎを耳にしたスカイが言う。近づくにつれて只事ではないことがはっきりとわかり、スカイの顔に不安がよぎった。


「結構な数がいますね……聞いた時よりも暴れている連中が増えていそうな。応援に行くの俺たちだけで大丈夫っすか? もっと人数揃えるように、伝えましょうか」

「いいよ。要らない」


 デルイはスカイの提案をにべもなく却下した。


「えぇ……職員側が負けたら大ごとになりますけど。あ、ほら、魔物も暴れてます」

「テイムされて飼い慣らされた魔物が何匹暴れていようが、俺の敵じゃない」


 これは本音である。

 デルイは幼少期からずっと、「訓練だ」との父の一言でやたらに魔物狩りをさせられていた。七歳の時には雪山に放り出され、獰猛な魔物である白狼を一〇匹狩るまで帰ってくるなと言われた時もあった。流石にそのまま死んでは不味いので、どこかで父か兄か、屋敷の護衛兵かが見張っていたのだとは思うが、助けてくれることはなかったのでいないも同然である。結局デルイは雪山の凄まじい吹雪の中、凶悪な魔物を相手取りながら、死に物狂いで白狼を一〇匹狩り、気を失った記憶がある。目覚めた時には屋敷にいた。

 ベッドの中で目を覚ましたデルイに向かって、老執事は無事でよかったと涙ぐみながら言った。そしてその後、急に真顔になった。

「デルロイぼっちゃま、ダンスの練習が遅れていますので、起きたらすぐにレッスンです」

 この屋敷に俺の居場所はないとデルイが悟った瞬間だった。

 そんなわけで親兄弟及びに老執事に比べれば、野生を失った魔物など怖くもなんともない。

 立ち止まり応援要請をしようと通信石を取り出そうとするスカイの腕を掴んで、「止まるな」と言うとスカイはあからさまに不安そうな表情をした。


「この制服を着てここに立っている以上、お前は治安維持を任されてるんだからそんな顔するな。利用客が不安に思うだろうが」

「そりゃそうっすけど……」

「俺たちを派遣すればどうにかなるとルドが判断したんだから、どうにかすんのが仕事だ」


 スカイは働いてもうすぐ一年になるが、その間にここまで大規模な乱闘が発生した試しはない。怯む気持ちはわからないでもないので、励ます代わりに及び腰なスカイの背中を右手で軽く叩いて指示を出した。


「現場に着いたら、相手できそうな奴を探せ」

「先輩は?」

「俺は勝手に動く」


 現場が近づいてきた。野次馬が中に入らないよう見張る職員に軽く挨拶をしてデルイは左腰の剣に手を添える。

 スカイは覚悟が決まったらしく、顔つきが変わった。


「俺は先輩の相方なんで、先輩の行く場所について行きますよ」

「助けないぞ」

「そんなこと言っても先輩は、本当に危なくなったら助けてくれるでしょう」

「まぁ……」


 見破られてるな、と思った。スカイはなかなか頭が良いので、きっともう数年もしたら中核の職員になるだろう。

 酷い騒ぎだった。やぶれかぶれに職員相手に拳を振るうのは、雇われ傭兵の冒険者だろう。けしかける魔物も上位種ばかりだ。マナーが悪すぎて、どうしようもない。

 何をどうしたらこんな大乱闘になるのだろうかと考えながら、剣をすらりとぬいた。白い上着をはためかせ、デルイは一気に駆ける。隣を走るスカイの顔つきも中々様になっていて、デルイは思わず口の端を持ち上げた。



+++



「やりすぎたな」


 うずたかく積み上げられた人間の山を見上げながらそんな言葉を口にしてみたが、デルイの蜂蜜色の瞳に反省の色は見られない。上辺だけの言葉であるのは、誰の目にも明らかだった。

 デルイが登場したことで拮抗していた戦局はあっという間に職員側の優勢に変わった。

 空港を守る職員は数多くいるが、デルイは中でもダントツに場数を踏んでいる。高ランクとはいえ酔っ払って正常な判断ができない冒険者が何人いようが、敵ではない。

 鎮圧で最も難しいのは、相手に致命傷を与えてはならないという点だ。

 いくら暴れているとはいえ、曲がりなりにもこのエア・グランドゥールを利用している客であり、各地の魔物を討伐している貴重な戦力である。回復士でも直せないような傷を負わせるわけにはいかず、必然的に職員側は手加減せざるを得ない。しかし酔っ払って前後不覚に陥っている相手は容赦無く攻撃してくるので、これがなかなか難しい。


 デルイはこの難題を易々とクリアする。


 一人また一人と的確に人体の急所をついて気絶させた冒険者を、山のように積み上げていった。気がつけば刃向ってくる者はいなくなり、エア・グランドゥールの中央エリアは平和を取り戻し、治安維持にあたった職員には喝采が送られた。

 デルイは椅子に座って足を組み、背もたれに腕を回して自身が築き上げた山を悠々と見上げた。そうしてため息をついた。


「全く、君らは暴れることしか能がないのかよ。悩みがなくて幸せそうで何よりだ」


 この言い方が癪に触ったのか、山の最下層で潰れかけている髭面の冒険者がうめき声を上げる。


「おうおう、言ってくれるじゃねえか。そういうお前さんには御大層な悩みがあるんだろうなぁ」

「ある。君たちには無縁な悩みだろうけど」

「なんだ、女絡みかぁ?」


 図星だった。先日のソラノの様子を思い出し、眉間にシワを寄せてしまう。


「私が痩せるまで一ヶ月、触らないで下さい!」との言葉は、ソラノが思っている以上にデルイの心にダメージを残していた。太った姿を見られたくないという繊細な乙女心から来ているというのはわかるのだが、一ヶ月は長すぎじゃないだろうか。ていうか昨日今日で急に太ったわけでもあるまいし、隠すのは今更じゃないかなと思ったが、それを言ったら怒りを買うのは目に見えていたからやめた。

 高ランクの冒険者も魔物も怖くないが、たった一人のごく普通の女の子である彼女に嫌われるのだけは恐ろしい。

 動きを止めたデルイに、意識のある冒険者たちが山の間から首だけを回らせてニヤニヤ笑いを向けてくる。


「なんだなんだ、女絡みか」

「兄ちゃんみたいな綺麗な顔した男なら、恋人もさぞかし美しいんだろうな」

「どこの令嬢だ」

「もしやお姫様か」


 下世話な質問をしてくる冒険者相手に「そんなんじゃない」と答える。なんでこいつらとこんな話をしているんだろう。誰でもいいから聞いてほしいと思っていたのだろうかと、自分の内心がわからないままに口だけを動かす。


「俺の恋人は、俺が仕事を終えると白いエプロンを翻して近づいてきて、『お疲れ様です』と笑顔で言ってくれるような子だよ。それで美味しい料理を出してくれる」

「おぉ、いい子じゃねえか」

「素朴だな」

「俺もそんな恋人が欲しい」


 デルイの語った恋人像が意外だったのか、冒険者たちは口々に羨む声を上げた。

 なお、デルイの話すソラノは店で働いている時のそれである。だからソラノが出してくる料理はカウマンやバッシが作ったものだし、当然金を支払っているのだが、別段それを説明する気はなかった。休日であればソラノは手ずから料理もするので、あながち間違ったことは言っていない。


「兄ちゃんならモテモテだろうよ」

「他の女にいきゃあいいだろ」

「俺はあの子がいいんだよ。だからこんなに悩んでるんだろうが」


 断固とした口調で言うと、冷やかしの声や口笛とともに同意する声も上がった。


「わかる」

「俺もカミさんに出会った時は、そうだったな」

「運命の相手った奴だな。兄ちゃん、そういう相手は大切にしたほうがいいぜ」


 今や冒険者たちは、デルイの悩みに同調し、励ましてくれていた。そうするうちに酔いが覚めたのか、上に乗っていた者たちから体を動かしバラバラと立ち上がり下山し始めた。


「あーあ、何やってんだかな、俺ら」

「さっさと王都に降りよう」

「迷惑かけたな」

「頑張れよ、兄ちゃん」


 騒ぎを起こした冒険者たちは、方々にいる職員に迷惑料と飲食代を支払い散って行く。

 椅子に座るデルイの肩を叩き、励ましの言葉さえもかけながらいなくなる彼らの顔は、なんだか優しげだった。

 近づいてきたスカイはデルイを尊敬の眼差しで見つめた。


「先輩、すごいっすね。力ずくで叩きのめした挙句、機嫌まで治させるなんて。さすがです。俺には真似できません」


 彼らの機嫌が治った理由は、見目がよいデルイの恋人が意外に庶民的であることや、真剣にその恋人を思って悩んでいる姿に感銘したり共感したりしたからなのだが、デルイはいまいちその辺りをわかっていなかった。よくわかんないがともかく騒動が治まってよかったなくらいにしか思っていない。

 ゾロゾロと帰って行く冒険者を尻目に、組んだ足を解くと立ち上がる。

 傷ひとつ負っていないデルイと違い、スカイは結構ボロボロだった。早いところ治療した方がいい。


「戻ろう」

「っす」


 まぁ、今更デルイが何を言ってもソラノの決意は変わらないだろう。大人しくひと月待つしかないが、それも癪なので、今日店に行った時にはちょっとした仕返しをしようかと考えながらその場を後にした。

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