第221話 臨時雇用
「と言うわけで、ミーティアさんを臨時で雇い入れたいんですけど、どうでしょうか」
翌日ソラノはミーティアを伴い早速店の皆に相談をした。まだ開店前に店に集まった面々は、突拍子のないソラノの提案に明らかにリアクションに窮していた。
ソラノが連れてきたミーティアは国でも上から数えた方が早い、王家とも縁のある古参の大貴族シャテルロー家のご令嬢だ。この店には貴族のお客様もやってくるが、そうした人々と比べても並外れた血筋の持ち主である。
そんな生まれついての高貴なご令嬢を捕まえて、「一時的に店で働かせたい」などと言う人物は、グランドゥール王国広しといえどもソラノぐらいなものである。
ソラノは異世界からやってきたせいなのかこちらの身分制度に疎く、時々こうして予想も出来ないようなことをやってのける。王女が来店した時も然りだ。
錆びついたブリキ人形のような動きで首をぎこちなく動かしたバッシは、どうにかこうにか口を開く。
「まぁ……事情はわかったが、公爵家のお嬢様を給仕係として雇うというのはちょっとなぁ……」
「もうシャテルロー家の皆さんの許可は貰っています。ルドルフさんも協力してくれるそうです」
根回しまで済ませているソラノに、もはや一同は黙り込むしかなかった。
家の人々も婚約者も許しているのならば、ここでカウマン一家が突っぱねたら逆に角が立つだろう。大貴族を敵に回したくはない。まして相手は、この店の常連で何かと店の協力をしてくれているルドルフの婚約者である。
「皆様のご迷惑にならないよう、精一杯頑張りますので、少しの間だけこちらに置いていただけないでしょうか」
ミーティアは深窓のご令嬢らしい純粋な眼差しでカウマン一家とレオを見つめ、やる気に満ち溢れていた。あまりにも世間擦れしていない無垢な様子に、心が洗われると同時に逆に心配になってくる。確か話では今年で二十一歳になるということだが、こんな箱入りお嬢様な様子でこの先、大丈夫なのだろうか。
カウマンが頬をポリポリ掻きながら、どうしたもんかと口を開く。
「あー、ミーティア様」
「働かせていただく身です。どうかミーティアと呼び捨てにしてください」
「いやそれは……」
「ぜひ、ミーティアと」
「…………なら、ミーティア嬢で勘弁してください。えー、ミーティア嬢。働くとなると色々なことが起こります。水仕事で手は荒れるし、立ちっぱなしだから足腰に負担はかかるし、お客様のご要望に添えないとお叱りを受けることもあります。そうした諸々に耐えられるかどうか」
「ソラノさんから伺っております。重々承知の上ですわ。わたくし、引っ込み思案で打たれ弱い自分を変えたいのです」
並々ならぬ決意をしているミーティアに何を言っても無駄そうだった。
顔を見合わせた一同は、ソラノの腕を引っ張ると、「ちょっと待っててください」と言ってミーティアをその場に残して店の裏にある倉庫へと引っ張った。
食糧庫となっているその場所は非常に狭い。牛人族三人と長身のレオ、それに小柄であるとはいえ成人しているソラノの五人で入るには無理のある空間なのだが、現状他に相談できるような場所がなく、ぎゅうぎゅうになりながら倉庫に入る。
入るなりまずレオがソラノに指を突きつけて非難の声を上げた。
「お前、何考えてんだよ。世間知らずのお嬢様を焚き付けて店で働かせたって、こっちには迷惑にしかならねえだろーが」
するとマキロンがフォローを入れつつも、概ねレオの言葉に同意を示す。
「まあ、レオ君の言葉にはちょいとばかし棘がありすぎるけど、流石に公爵家のお方を働かせるのはちょっとねぇ……」
「怪我でもさせたらどうすればいいのか……いや、手荒れひとつとっても大騒ぎになるんじゃねえか」
「いずれにせよ、まともに働けるとは思えん」
飛び出す否定的な意見。この批判はある程度予想できていた。
ソラノは居並ぶ店の面々を見回す。
「ヴェスティビュールには貴族のお客さまがたくさんいらっしゃいますよね」
「あぁ」とカウマンが頷いて、
「そうだねえ」とマキロンが同意し、
「そりゃそうだ」とバッシが言い、
「それがどうしたんだよ」とレオが目をつり上げる。
「でも、私たちって、みんな一般庶民ですよね。なら一人くらい貴族の従業員がいたら参考になることがあるんじゃないでしょうか」
ヴェスティビュールには日々さまざまなお客様が来店する。店は誰でも分け隔てなく受け入れるので、貴族も冒険者も商人も学者もやって来るのだが、やはりどの客層が一番多いのかと聞かれれば、貴族及びに上流階級の人々だ。
王女殿下とデルイの母親がどうも社交界で店の話をしているらしく、興味をそそられ「エア・グランドゥールに行く時はヴェスティビュールに立ち寄ろう」と考える人が沢山いるらしい。
非常にありがたいのだが、ソラノもカウマン一家もレオも、全員が平民であるというのが少し気がかりだった。
「私たちの接客に問題はないと思いますけど、やっぱり生まれついてのお嬢様の仕草や言葉遣いを見たら違いに気付かされるんじゃないかなって。どうでしょうか」
「そうさねぇ……」
「春が近づいてお客さまが増えてきたので、人手があると助かりますし」
祭りのある春は観光客が押し寄せるので空港は利用客が多くなり必然的に店も忙しくなる。昨年の経験を鑑みるに現在の人手だとやや心もとない。クララは青天の霹靂亭の主戦力であるため、このヴェスティビュールに来るのは早くても夏だ。
そうなると一人でも多くの働き手があることは、店にとってもいいことであった。
ソラノの意見は理に適っている。連れてきた人材が公爵令嬢でなければ、カウマン一家とレオとて諸手を挙げてミーティアを歓迎していたに違いない。
目配せをする四人の気持ちが揺れているのを、ソラノは感じ取っていた。
「大丈夫ですよ。店までは護衛の方がつくそうですし、そんなに大事故も起こらないでしょうし。少しの怪我や手荒れくらいならば目を瞑るとの許可も頂いています」
「そんな許可もらって来んなよ。断りづらいだろ」
あまりの用意周到さにレオが苦言を呈する。
どうしようかという空気が漂う中、声を上げたのはバッシだった。
「まあ、いいんじゃねえか」
「バッシ、お前」
「親父、心配は色々あるだろうが、ここで働きたいって気持ちのある奴がいるなら雇うのが筋だろう」
「確かにそうだが……」
「大丈夫さ。上手くいけば店の評判ももっと上がるだろうし万々歳じゃねえか」
チャレンジ精神旺盛なバッシがソラノの味方につくと、夫妻も恐る恐るといった風に「そうかもな……」「そうさねえ」と同調する。レオはレオで、
「まあ、人手が増えると俺が接客に回る時間が減るからいいかもな」
と言い出した。基本的に調理がしたいレオとしては、給仕係が増えるのは喜ばしいことである。
「よし、じゃあ、いいですか?」
と問いかけると、しばらくの沈黙ののちに全員が頷いた。
ホッとしたソラノが扉を開くと、店にぽつんと取り残されたミーティアと目が合う。こちらを見るなり立ち上がったミーティアの顔は、不安げであった。
「あの、やはり、ご迷惑でしたでしょうか……」
これに対応したのはバッシだ。バッシは二メートル以上の高みからミーティアを見つめると、真剣な声を出す。
「ミーティア嬢。いや、ミーティアさん。働く以上は、厳しくいくぞ。時に辛いこともあるだろうが、ついてこられるか」
「はい、覚悟の上です」
「よし。わからないことがあれば、遠慮なく聞いてくれ。今日から君はウチの従業員で、仲間だ」
「はい!」
ミーティアは令嬢らしい上品な声量で、しかし並々ならぬ決意を感じさせる声で返事をした。
かくして店には臨時での従業員が一人増えることになった。
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