第220話 乙女の宣言

 ルドルフは別室にてシャテルロー公爵夫人と話をしつつ、ソラノが戻ってくるのを待っていた。

 こうして会いにきても顔も見られない日々が続いているわけなのだが、ルドルフは根気強く待っている。

 そもそもこの事態を引き起こした原因の一端は自分にもあるとルドルフは感じていた。

 ミーティアはもう二十一歳になっており、本来ならばとっくに結婚していておかしくない年齢だ。待たせたのはルドルフ自身の我儘に過ぎず、負い目がある。


「ミーティア嬢を不安にさせてしまい、申し訳ありません」

「そんな、気になさらないで。ルドルフさんはエア・グランドゥールの未来を担うお人、色々とおありなのは重々承知しておりますわ」


 夫人はそう言ってくれるものの、ミーティアが引きこもっている事実は変わらず、結婚についての話は何も進展していない。式は後回しにしてしまうという手も考えたが、こうも心が離れ離れになった状態で強引に婚姻状態を結んでも上手くいかないのは明白だ。


(ソラノさんが彼女の気持ちを動かしてくれるといいんだが……)


 こうなるともう、人心掌握に異様に長けているソラノに命運を託すしかない。これまで数々の人と触れ合い、距離を縮めてきたソラノであればミーティアの気持ちを前向きにしてくれるかもしれないと、半ば祈るようにルドルフは考えていた。


「ルドルフさん!」


 まるでルドルフの考えを読んでいたかのようなタイミングで扉が開き、ソラノが勢いよく入ってきた。出入り口へと視線を向けたルドルフは、ソラノを見て面食らった。


「ソラノさん、なぜ服装が変わっているんですか?」

「ミーティアさんにお借りしました」


 ソラノとミーティアの二人は確かに初対面のはずだ。それなのに、衣装を借りるとは一体どういうことなのだろう。この短時間に何があったのか想像がつかず、ルドルフは戸惑った。

 しかし次の瞬間、ソラノの衣装が変わったことなどどうでもよくなった。ソラノの背後から控えめに顔を覗かせたミーティアを見つけ、ルドルフは思わず席を立つ。夫人も驚きの声を発した。


「ミーティア、貴女、やっと出てきたのね」

「はい。ルドルフ様、お母様、ご心配をおかけして申し訳ありません」


 そうしておずおずと前に出てきたミーティアは、真っ直ぐにルドルフを見つめた。宝石のような青い瞳は、最後に会った時の自信なさげなものではなく、決意に満ちた色を宿している。


「わたくし、決めました。ルドルフ様の隣に立つのにふさわしい姿になるべく……ソラノさんと一緒にダイエットします」

「ダイエットですか」

「はい、ソラノさんに言われたのです。外に出て、人に触れ、体を動かし、適切で健康的な食事をして、ダイエットをするべきだと」

「それは前向きで良いことですね」


 今の屋敷に引きこもっている状況よりもよほど健康的な生活である。やはりソラノを連れてきてよかったな、とルドルフが思っていると、ミーティアの母である公爵夫人も立ち上がり「まぁ!」と喜色の声を上げた。


「貴女が自ら何かやろうと言うなんて、思ってもみなかったわ」


 そうして胸に手を当てて、悔恨の言葉を紡ぎ出す。


「この子を大切に思うあまり、過保護に育てすぎたと心配していたの。でもこうして自分から何かしたいと言い出すのを聞いたら、安心したわ」


 夫人はソラノに近づくと、手を握った。


「ソラノさん、この子をよろしくお願いいたしますわ」

「はい、お任せください。一緒に頑張ります」

「なんて心強いお答え……! 箱入り娘なので世間には疎いかと思いますが、どうぞ粗相をしたときは遠慮なく叱ってくださいまし。ミーティアはもう少し打たれ強くなった方が良いのです」

「…………?」


 ここでソラノとルドルフは同時に首を傾げた。なんだか話の雲行きが怪しい。しかし夫人はしきりに首を縦にふり、一人納得している。


「ええ、ええ。わかっております。この子は曲がりなりにも公爵家の一員……ですが遠慮は要りません。外に出るということは、厳しい目がつきもの。甘やかすだけがこの子のためではないと、やっとわかったのです」

「あの……」


 戸惑うソラノが何かを言う前に、夫人は爆弾発言を落とした。


「ミーティアがヴェスティビュールで働く間は、どうかこの子を平等に扱ってくださいまし!」

「「!?」」


 夫人を除くその場にいる全員が絶句した。

 唐突すぎる話に、どこからどう突っ込みを入れていいのかわからない。ソラノは手を握られたまま固まっているし、ミーティアも驚きのあまり夫人の顔を見つめて口をぱくぱくさせていた。

 ひとまずルドルフは、一人暴走する夫人の説得にあたる。


「落ち着いてください。ミーティア嬢の決意はとても前向きで喜ばしいものではありますが、ソラノさんは夫人が思っている以上に丈夫な方です。ソラノさんと同じ動きをミーティア嬢がしたら、きっと一日と持たずに倒れてしまうに違いありません」

「いいえ」


 夫人はキッパリとルドルフの意見を否定した。


「そうやってこの子を甘やかして育ててきたから、こんな事態になってしまったのだわ。私はこの子に変わってほしい。どんな困難にぶつかっても、挫けずに立ち向かって行く心を手に入れてほしいのです」

「確かに……わたくしは軟弱だわ」


 夫人の話に心を動かされたのか、ミーティアまでもそんなことを言ってきた。


「わたくしは、わたくし自身を変えたい……! 痩せて、元通りの体型になって、そうしてルドルフ様の隣に堂々と並び立ちたいんです」

「僕は今のままの貴女も十分素敵で魅力的だと思っていますよ」

「ありがとうございます。でもわたくしは、自分で自分を許せないのです」


 公爵家の親娘の決意は固かった。


「お二人の気持ち、私に届きました」


 そして手を握られたままのソラノまでもがそんなことを言い出す。


「お店で雇えるかどうかは相談が必要なので、今すぐに返事は出せませんけど……説得してみます」

「まあ、ありがとうございます!」

「雇用された暁には、わたくし精一杯働かせていただきます!」

「これも社会勉強だわ。しかもルドルフ様が働くエア・グランドゥールならば花嫁修行にもピッタリ」

「皆様の邪魔にならないようにいたします」


 女性陣の間で勝手に話が進んでいき、ルドルフは蚊帳の外だった。完全に置き去りである。

 シャテルロー夫人は、感極まったかのようにハンカチで目元を抑え、くぐもった声を絞り出した。


「引っ込み思案のこの子がこんなにもたくましいことを言うなんて……素晴らしいわ!」

「ですが夫人、働くというのはあまりにも突飛すぎるのでは」


 貴族の、それも由緒正しい公爵家の令嬢が店の給仕係をするなど前代未聞である。場合によっては公爵家の品位を落とす事態にまで発展しかねない。

 しかし夫人はハンカチを握りしめながら、ルドルフの心配に対して力強く言った。


「いいえ。店の場所がエア・グランドゥールである以上、婚約者であるルドルフさんのお仕事を間近で見るためですとか、花嫁修行の一環ですとか、何とでも理由はこじつけられます。娘がやる気になったのですもの、公爵家が全力を上げて支えてみせますわ!」


 ずっと塞ぎ込んでいた娘のやる気を目の当たりにしたシャテルロー夫人は、この機会を絶対に逃すまいとしていた。

 ミーティアはソラノに向き直るとその手をがっしり握りしめる。


「ソラノさん、よろしくお願いいたします」

「母親のわたくしからもお願いいたしますわ」

「断言はできませんけど、善処します」


 公爵夫人と令嬢に期待を寄せる眼差しで見つめられたソラノは、そう返事をした。

 もうこれは止められない、とルドルフは直感した。

 ソラノと話すことでほんの少しでもミーティアの気持ちが上向きになればいいと思っていたルドルフとしては、想像以上の事態の進展に驚かざるを得ない。

 だが、確かにこれはチャンスだ。

 やる気を出したミーティアがこのまま彼女の理想とする体型を手に入れられれば、結婚話も進むことだろう。そのためにルドルフにできることといえば、シャテルロー家と共にミーティアが店で働いても不自然のない状況を作り上げることだ。

 一刻も早く結婚したいルドルフは覚悟を決めた。


「ミーティア嬢、僕も微力ながら手伝います」

「ルドルフ様……! ありがとうございます」


 こちらを見上げるミーティアは蝶のように可憐であり、目標を定めた瞳はきらきらと輝いている。抱きしめたい衝動を理性で押しとどめたルドルフはミーティアの肩を両手で優しく包み込むと、激励の言葉をかけたのだった。

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