第219話 乙女は打ち解ける

「誤解です。私とルドルフさんは、そんな関係じゃありません。ただの店の従業員と常連さんです」

「ですが、ルドルフ様が女性を連れて家を訪ねて来るなんて初めてで。とうとうわたくしに愛想を尽かしたのかと」

「いえいえ、ルドルフさんはそんな人じゃありませんよ。ミーティアさんのことをものすごく心配していましたよ」


 ソラノは真向かいに座るミーティアの誤解を解こうと力説した。ミーティアは相変わらず頭からショールを被ったまま、俯いてボソボソと喋っている。これではミーティアの姿形がまるでわからない。気になったソラノは思い切って提案をした。


「とりあえず、そのショール外しませんか……?」


 するとミーティアは、ショールをキュッと強く握り体を小刻みに震わせた。


「……わたくしを見て、笑いませんか?」

「笑いません」


 ソラノが即答すると、しばしの逡巡を見せた後にミーティアはショールをゆっくりと外す。


「見ての通り、令嬢にあるまじき恥ずかしい体型で……これではとてもではないけれどルドルフ様の前に出ることなんて、できません」


 ミーティアはショールが無くなると落ち着かなさそうに身じろぎをした。

 確かにミーティアは少しふっくらとしている。

 しかし肌は真っ白できめ細か、腰まで伸びた金色の髪は枝毛の一本もなく艶やかで真っ直ぐ、金色のまつ毛に縁取られた大きな青い瞳は神秘的で美しい。

 少し痩せればさぞかし美姫になるだろうことが易々と想像できるご令嬢だ。

 一体何にそんなに自信がないのか、ミーティアは青い瞳に卑屈そうな色を浮かべると、ソラノを見ながら言い訳を述べる。


「わたくしとて、ルドルフ様にお会いしたい気持ちはあります。けれど、そもそもわたくしなんかがあのお方に釣り合うのかどうか……」

「どういうことです?」


 ソラノが首を傾げて問いかけると、ミーティアはゆっくりと語り出した。

 ミーティア・シャテルローは由緒正しき公爵家の令嬢である。

 幼い頃からミーティアは清く正しく、令嬢の見本たり得るようにと躾けられて育ってきた。そんなミーティアに婚約話が持ち上がったのは十五歳の時だ。

 お相手は侯爵家の次男ルドルフ・モンテルニ。噂では若く、才能に溢れ、穏やかな性格の人格者であるとのことだった。

 そうして実際に会った彼は噂に違わぬ人物だった。

 エア・グランドゥールで働くルドルフの話題は豊富であり、日々のほとんどを屋敷で過ごしているミーティアを様々な話で楽しませてくれ、知らない世界を教えてくれた。

 ルドルフといるととても幸せで、ミーティアが心から彼を慕うのにさほど時間はかからなかった。

 遠からぬ将来、結婚できるのだと思うと胸が弾み、早くそうならないかしらと思う日々の中でーーミーティアの予想とは裏腹に五年の月日が流れても結婚に至らず二人の関係は婚約者のままであった。


「すみません、仕事が立て込んでおりまして」


 と申し訳なさそうな顔でいうルドルフの言葉を額面通りに受け取り日々を過ごしていたミーティアであったが、一年前のある時の夜会でこんなことを言われたのだ。


「ミーティア様もおかわいそうに。もう年頃だというのに、まだ婚約者のまま話がちっとも進んでいないなんて」

「本当に。一体ルドルフ様はどういうおつもりなんでしょうね」

「お仕事がお忙しいようですの」


 ミーティアが控えめな笑顔を浮かべながら言えば、ご令嬢たちはまぁ、と扇で口元を隠しながら大げさに驚いてみせた。


「いくら忙しくても、話を進めておくくらいできるでしょうに」

「二十歳も過ぎようという婚約者をずっと放ったらかしにしておくなんて、失礼にも程がありますわ」

「でも、彼は必ず結婚するからと約束してくれています」

「どうかしら」


 ミーティアが反論すると、令嬢の一人が意地悪く揚げ足を取った。


「口先ではなんとでも言えますわよ。実はルドルフ様には、既に別の想い人がいる……なんてことには思い至りませんこと?」

「まさか」


 想像だにしていなかったことを言われ、ミーティアは首を横に振った。


「ルドルフ様に限ってそんなこと、あるはずがございません」

「殿方の考えていることなんてわたくしたちにはわかりませんわ」

「そうそう。愛妻家ぶっているのに愛人を囲っている方など、ごまんとおりますもの」

「そんな……」


 純粋すぎるミーティアは、このご令嬢たちがあらぬことを吹聴して二人の中を引き裂こうとしているなど思いつきもしなかった。

 ルドルフは社交界に身を置く令嬢たちに人気が高い。

 身分があり、教養があり、天下のエア・グランドゥールで働き、物腰も柔らかく優しげな美貌を有するルドルフと結婚したいと思っている令嬢はごまんといる。

 そういう令嬢にとってミーティアは邪魔な存在だ。公爵令嬢という身分を考えるとむやみやたらに攻撃していいような相手ではないが、しかし隙あらば破局させて後釜に座ろうと虎視眈々と機会を狙っている者は多い。

 だからルドルフが随伴していない夜会にてこうしてチクチクと嫌味を言って不安を煽る。

 そんな事実に気づかないミーティアは動揺に視線を泳がせた。

 すると先ほどまで不安にさせるようなことを言っていた令嬢は、扇をパチリと閉じると励ますように言う。


「まあ、ですが、ミーティア様は由緒正しいシャテルロー公爵家のご令嬢。ルドルフ様のお心がどこにあっても、きっとご結婚はできますわ」

「そうそう、たとえ何年待たされようと、お家の力で必ずや結ばれますわよ」

「家の力で……」

「家格というのは重要ですわよね」

「わたくしも公爵家に生まれたかったものですわ。そうすればルドルフ様のような素敵な方の婚約者になれるもの」

「…………」


 ミーティアは気がついてしまった。


(ルドルフ様がわたくしと結婚するのは、家のため……?)


 ルドルフに愛されているのだと浮かれていた己が恥ずかしくなってくる。彼は別にミーティアのことを愛してなどおらず、家のために一緒にいることを承諾したのだとしたら。貴族にとって政略結婚などなんら珍しくもない状況であるが、自分は違う、特別なんだと思い込んでいたのだとしたら。

 なんて傲慢だったのだろう、とミーティアは己を恥じ、責めた。

 世間擦れしていないミーティアは、令嬢たちの罠にまんまとはまり、きっとこの恋は一方通行なのだと結論づけた。

 どんどんと気が滅入り、ルドルフに会うのが億劫になる。表面上笑っている彼が心の奥底で自分に会うことを面倒だと思っていたらどうしよう、と思うだけで恐ろしくなる。

 やがては社交界に出るのも嫌になりミーティアは屋敷から滅多に出かけなくなった。

 家族はそんなミーティアを心配し、気分を変えさせようと珍しい異国の食材や甘い菓子を与え、ミーティアも現実逃避するかのように食事に手を伸ばした。

 結果的に運動不足と食べ過ぎによりミーティアは太り、鏡を見て絶望した。


「……もう絶対に、嫌われているに決まっています。こんなわたくしを好きになる理由なんてないもの」


 顔を覆ってさめざめと泣くミーティア。

「ルドルフさんはミーティアさんを好きですよ」

「どうしてそんなことがわかりますの」

「だって、そうじゃなかったらわざわざ私に相談までして休みの日に会いに来たりしませんって」


 ルドルフは誠実な人間である。根が真面目で優等生タイプのルドルフは心底ミーティアを心配していたし、なんとか彼女に会って結婚話を先に進めたいと考えていた。


「絶対に愛人を囲うタイプの人じゃありません。会って話をするべきだと私は思います」

「でも……今のわたくしを見たらきっと幻滅されるわ。こんな体型になってしまって」

「それでも勇気を出して、一度会ってみましょうよ」

「ソラノさんみたいに細い方にわたくしの気持ちはわからないわよ」

「ミーティアさん」


 ネガティブ発言を連発するミーティアに、ソラノはテーブル越しに前のめりになって近づいた。


「太った姿を見られたくないというその気持ち、痛いほどわかります」

「嘘よ、だってソラノさんはこんなに細いのに」

「いいえ。細く見せかけているだけです。このドレスを着るために限界までコルセットを引き絞っているから、呼吸はうまくできないし、実は今にも倒れそうなんです……うっ」


 言いながら、急に動いたせいかくらりとしたソラノはテーブルに手をついて荒い息をした。


「きゃあ、大変! ばあや、ばあや、早く来てちょうだい!」


 ミーティアは立ち上がり、テーブルの上に置いてあったベルを手に取りけたたましく鳴らした。扉が開くと慌てた様子の老婆が中へと入ってくる。


「お嬢様、どうなさいましたか?」

「お客のソラノさんが、呼吸困難で……!」

「お客様、失礼いたしますよ!」


 言うがはやいが老婆は素早く扉を閉め、部屋を横断するとソラノの許可を得る前にドレスの後ろのチャックを下し、目を剥いた。胸元から腰にかけてのコルセットは紐がぎゅうぎゅうに結ばれており、明らかに体型を無視した着方だった。


「これは、なんて無茶なコルセットの締め方! こんなに締め付けたらろくに息も出来ませんよ!」

「どうしてこんな無茶を……!?」

「ミーティアさん、私の知り合いならきっと、こう言うと思ったからです」

 ソラノは頭の中で、エア・グランドゥールの商業部門長エアノーラを思い浮かべた。

「『体型が変わったのは自分の責任。多少無理してでも、そのドレスを着なさい』」

「……!!」


 ミーティアは両手で口元を押さえ、目を見開いた。

 実際エアノーラがそんなことを言うかどうかは別として、まあそのくらいのことを言われてもおかしくはない。商業部門の最高責任者である彼女は自分にも他人にも厳しく、仕事ができるだけでなくお洒落にも余念がない。

「食べすぎて太りました」などと言えばきっと、侮蔑の目を向けられることだろう。


「全くもう、そうは言ってもこれではいつ倒れてもおかしくないですよ!」


 老婆は苦言を呈しながらソラノがドレスを着るために自分でぎゅうぎゅうに締め上げたコルセットの紐を素早く解いて、適切に結び直した。


「あっ、楽になった」

「ですがこれでは、今着用されているドレスは着られませんねぇ」

「わたくしのドレスを貸しましょう」

「そんな申し訳ないこと出来ません」

「でも着て帰るものがないと困るでしょう?」


 ミーティアの言葉に老婆が隣の部屋へと駆け込み、ドレスを見繕って戻ってくる。

 ソラノは少し迷ったが好意に甘えることにした。ソラノは老婆にドレスを着せてもらいながら、ミーティアに励ましの声をかける。


「ご覧の通りに私も太ってしまったので、ダイエットしようと心に決めたばかりなんです。絶対に一ヶ月で、このドレスも普段着ているワンピースも楽々着られる体型にしてみせます」

「まあ、一ヶ月で……?」

「こういうのは勢いです。決めたからには絶対にやり遂げます。そうだ、ミーティアさんも一緒にダイエットしませんか?」

「い、一緒に……ですか?」

「はい。話を聞いて思ったんですけど、いつもどういう生活を送っているんです?」

「大体屋敷にいて、刺繍をしたり詩を読んだり、たまにお庭の散歩をしたり……」

「つまりほとんど外に出ていないんですよね」

「ええ」

「それじゃあ、痩せるのも難しいです。外に出て、人に触れ、体を動かし、適切で健康的な食事をして、ダイエットしましょう」

「確かにそうね……」

「とりあえずはじめの一歩として、ルドルフさんに会いませんか?」

「ですが……」

 なおも渋るミーティアに近寄り、ソラノは説得をする。

「断言しますけど、ルドルフさんはミーティアさんに会っても幻滅なんてしませんよ」

「そうかしら」

「ミーティアさんから見たルドルフさんは、そんなに不誠実な人に見えるんですか?」


 これにミーティアは、胸の前で組んだ手にぎゅっと力を入れてからブンブンと首を横に振った。もう一押しだとソラノは思う。


「なら、その気持ちを信じたほうがいいですよ。他の人がなんて言ったって、そんなの所詮想像に過ぎないじゃないですか。ルドルフさんの気持ちを知るには本人に聞くのが一番です」

「そんな、恐れ多い」

「今まで培ってきた関係を信じるんです。絶対、大丈夫です」


 ソラノが言い切ると、ミーティアは青い瞳を眩しそうに細めながらソラノを見つめてきた。


「ソラノさんは不思議な方ね。なんだか勇気が湧いてくるみたい」

「微力ながら私もついています。きっと今も、ミーティアさんがくるのを待っていると思いますよ。会いに行きましょう!」

「……はい!」


 ミーティアはここで初めて笑顔を見せてくれた。はにかむような笑顔は見ているこちらの心を和ませる、妖精のごとき微笑みであった。

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