第218話 シャテルロー公爵家のミーティア嬢
カタコトと進む馬車の中に、ソラノはルドルフと向かい合って座っていた。
公爵家にお邪魔するということでソラノは以前に購入した空色のドレスを着て、ルドルフもいつもの制服姿ではなく襟付きの改まった格好をしている。
しかし服装は違えども態度はいつもと変わらず丁寧であり、申し訳なさそうに眉根を下げていた。
「せっかくの休みの日に駆り出してしまって、すみません」
「いえいえ、行きますと言ったのは私ですし」
「ところで顔色が悪いようですが、馬車酔いしましたか? もう少し速度を緩めるよう御者に言いましょうか」
「いえ、大丈夫です。ちょっと緊張しているのかもしれません」
ソラノはルドルフの言葉に適当にごまかしを入れた。
勿論ソラノは馬車酔いなどしていない。
(ドレスが……きつい……)
コルセットをしているし、体にフィットするタイプのドレスなので、いつものワンピース以上に苦しい。
着る前から嫌な予感はしていたのだが、その予感は見事に的中し、ソラノは部屋で一人絶望した。
とはいえドレスを買い直すような時間も予算もなかったので、無理やりに着用してルドルフの用意してくれた馬車に乗り込みシャテルロー公爵家へと向かっていた。
十分な呼吸が得られず息苦しい思いをしているのをルドルフに見抜かれ、さらには気を遣われてしまいソラノは冷や汗をかいた。
(気絶する前に早く、早く着いて)
そんなことを思っているなどとは知らないルドルフは、ソラノの緊張をほぐすべく公爵家に関しての説明をしてくれた。
「シャテルロー公爵家は由緒正しい家系ですが、妙な思想や偏見などは持ち合わせておりませんので、そうかしこまらなくてもソラノさんであれば何も問題ありませんよ」
「はあ……私そんなに大した人間じゃないですよ。そういえばお屋敷にお邪魔する時のマナーとか、知りません」
「ソラノさんが貴族ではないことや、異世界からいらしたことも含めて事前に伝えてありますので、店にいる時と同じように振る舞っていただければ大丈夫です」
「助かります」
さすがルドルフは色々と根回しをしてくれていたようでソラノは安心した。
馬車は郊外から中心街を通って王城にほど近い貴族街へと辿り着き、止まる。
馬車から降り、ルドルフについてソラノは屋敷の門をくぐった。
出迎えてくれたのは金色の髪を結い上げた貴婦人で、おそらくミーティアの母親だ。
「まぁ、ルドルフ様、お久しぶりでございます。お待ちしておりましたわ。そちらのお嬢さんが、例の……?」
「ええ。ソラノさんです」
「まあ、噂はかねがね」
言って貴婦人はたおやかな笑みをたたえながらソラノに近づくと、すっとドレスの裾を摘んで華麗なお辞儀をした。
「初めまして、オデット・シャテルローと申します」
「初めまして、木下空乃です」
久々にフルネームを名乗ったソラノはオデット夫人の真似をしてお辞儀をしようかと思い、不恰好になるのが目に見えているために止め、いつも店でしているように頭を下げたお辞儀を返した。
オデット夫人は顔を上げると目を輝かせてソラノの手を取る。そうして熱く語り出した。
「ソラノさんはエア・グランドゥールにあるビストロ店で働いているのでしょう? 社交界でも話題になっていますのよ。フロランディーテ王女殿下が足繁く通い、リゴレット伯夫人がお認めになり、あのシャインバルド家のお嬢様とも仲が良いとか。そのような方が娘の話し相手になってくれるだなんて、本当に幸運だわ」
ものすごい過剰に評価されている、とソラノは思った。
確かに王女もデルイの母親であるリゴレット伯夫人もシャインバルト家の令嬢システィーナも店に来たが、あくまでお客様だ。ソラノはただの店の給仕係に過ぎない。
「私でお役に立てれば良いのですが」
「こうして訪ねて話をしてくださるだけで、十分すぎることですわ。さ、どうぞ、娘の部屋まで案内させます」
使用人に導かれるまま城かと見紛うほどに広い玄関ホールを抜け、廊下を進む。
やがてたどり着いた一つの扉の前で止まると、夫人が部屋の扉をノックした。
「ミーティア、ルドルフ様がお見えですよ」
すると扉の先からパタパタと音がして、扉越しにくぐもった声が聞こえた。
「……今は、お会いできません」
「まあ、そんなこと言って。お忙しい中わざわざ会いに来てくださったのだから、挨拶くらいはしましょうよ」
「ですけど……」
「シャテルロー夫人、僕は別室で待たせていただきますから」
「まあ、でもねえ」
「無理強いは良くありません。ミーティア嬢、僕はまだこの屋敷にいますから、気が向いたら顔を出してください。先に伝えていた通り、客人を連れて来ているので、その方と少し話してもらえないでしょうか?」
「…………」
扉の向こうから返事はない。三人は顔を見合わせた。夫人が扉に向かってなおも言う。
「ミーティア。お客人というのはね、とても素晴らしい方なのよ。フロランディーテ王女様やリゴレット伯夫人、シャインバルド家のお嬢様も懇意にしているお店で働くお嬢様でね。そうそう、そのお店はエア・グランドゥールにあるんですって」
「…………」
「ね、少しお話ししてみる気になって?」
ドアノブが回り、キィと扉が少し開いた。
「……どうぞ……」
ソラノがルドルフと夫人を見ると、二人は入るよう促した。ソラノは軽く頷くと中へと入る。
「失礼します」
ソラノを通すと扉はすぐさま閉じられた。
中にいたのは、一人の令嬢だった。部屋の中にいるのに頭からすっぽりとショールを被ったご令嬢はゆっくりとソラノに向き直る。そしてショールがずれないように気をつけつつ、夫人顔負けの優雅なお辞儀をした。
「初めまして、ミーティア・シャテルローと申します」
「初めまして、木下空乃です」
そうして顔を上げたミーティアの瞳には怯えの色が見えた。
「ソラノさん……貴女は、ルドルフ様の新しい恋人ですか……?」
「え……ええええ!?」
ものすごい誤解がされている、とソラノは思った。
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