第228話 労働の尊さを知り、働く喜びを知る

「いらっしゃいませ、デルイさん、ルドルフさん」

「今日はお弁当二つね」

「はい、かしこまりました」

「ちなみに夜も来るから。ルドも一緒に」

「ミーティアさんが心配ですか?」

「ええ、まあ」


 カウンターでお弁当を注文するデルイがいい笑顔で余計なことを言うので、ルドルフが硬い表情で首を縦に振っている。


「働いたことがない彼女が、店できちんとやっていけるのかが気になってしまって」

「確かにそうですよね」


 ミーティアはもてなされる側の人間であり、もてなす方に回ったことなどないのだろう。カウンター上に硬貨を置きながらデルイもなんてことのないように説明を加える。


「もっと爵位の低い家のご令嬢なら、花嫁修行とかで王宮の侍女になったりもするけどね。公爵家ともなれば労働とは無縁だよ。ルドの心配もまあわからなくはない」

「疲れが溜まるようでしたら、早めにあがってもらいます」

「そうして頂けると助かります」


 慣れない労働で体を壊してしまったら本末転倒だ。

 楽しく無理のない範囲で働く、これが基本である。

 ヴェスティビュールで働く面々は喜んで仕事に従事しているので、ミーティアにもそれを味わってほしい。


「無理はさせないようにしますから。はい、お待たせしました」


 出来上がったお弁当を手渡し、見送る前にデルイと目が合う。いつもはなんとも思わないのだが、昨日店で言われたセリフが脳裏をよぎり、手渡しする際に少し触れ合った指先に動揺してしまった。

ーーちゃんと痩せたか、夜通し確かめてあげるから

 あれが冗談ではないことを、ソラノは知っている。

 わざわざ人目のつくところでそんなことを言うなんて、とデルイの意地の悪さを呪ったが、ソラノに対する意趣返しだろう。


「一ヶ月で痩せるのでそれまで触らないで」と言ったソラノの発言を根に持っているに違いない。

 デルイは言ったことは必ず実行する人間なので、痩せようが痩せまいが一ヶ月後にはソラノはデルイの腕に絡め取られて逃げ場を失う。

 ソラノが何を思っているのか見抜いたデルイは薄く笑って「じゃあね」と言い去って行った。その表情の余裕っぷりと、状況を楽しんでいるであろう態度に、ソラノは決意を固くする。

 とにかく痩せなければ。

 どんな状況に陥ろうとも、痩せてなければ話にならない。この身についた脂肪のかたまりを見られるわけには行かないのだ、絶対に。乙女の矜持にかけて。


「おい、ソラノ、注文待ってる客いるぜ」

「あ、ごめん」


 料理を運ぶレオにすれ違いざまに声をかけられ、ソラノは我に返った。

 首を左右に振ってデルイのことを頭から追いやる。

 今はそんな未来について想像している場合ではない。カウンターから出たソラノは、笑顔を浮かべてお客様に近づきながら自分に言い聞かせた。

 働け。

 働くのだ。

 一切の雑念を捨て、目の前のやるべきことに集中し、お客様のために全力で体を動かす。

 そうすれば自ずと結果はついてくるだろう。

 やがて忙しい時間帯へと突入し、ソラノもミーティアも自身の恋人について考えている余裕などなくなった。

 

 エア・グランドゥールは巨大な空港であり、行き交うのは多様な種族。

 当然来店するのは人間の貴族のお客様だけではない。

 冒険者も来るし、商人も来るし、どこかの国の研究者や調査団もやって来る。

 時に大柄な獣人族のお客さまがいらっしゃり、時には手のひらサイズの小人族もいらっしゃる。用意する座席やカトラリーといったものにも注意する必要があるし、食事の作法がグランドゥール王国とはまるで異なるお客様もいる。

 食べられない食材があるお客様はその旨をきっちりと記載して厨房に伝え、間違いが起こらないようにする。

 ミーティアは皿を下げてお客様を出迎えるだけであったが、細かな客の要望に応えるソラノたち店の面々をいつしか尊敬の眼差しで見つめるようになった。


(一口に給仕係と言っても、これほど色々な仕事があるのね……)


 屋敷でも茶会でも夜会でも、食事とはミーティアが座っていれば全てが自動で進んでいた。出来立ての料理が運ばれ、皿が空になれば下げられて次の料理が供され、料理に合った飲み物がグラスへと注がれる。

 ミーティアは好き嫌いなど特にないし、食事に関してあれこれと注文をつけたことはないけれど、それにしても一回の食事にかける料理人や使用人の労力は並大抵のものではないだろう。

 自分達が快適に食事をしている裏側で汗水流して働いている人々がいることを知り、この一年間ぼんやりと屋敷の中で無駄な時間を過ごしていた己をまたも恥じる。


(働くって、大変なのね)


 きっとルドルフも大変な思いをしながらエア・グランドゥールで働いているに違いない。

 誠実の塊であるような彼が結婚を引き伸ばしにしたのは、のっぴきならない事情があったからなのだろう。

 ならばミーティアがすべきことは、毎日懸命に働く婚約者の不貞を疑い塞ぎ込むことではなく、笑顔で出迎えること。

 ミーティアは前を向き、笑顔を作ることを知った。それは彼女が持つ公爵令嬢としての生来のたおやかなものに加えて、己の意志が上乗せされたものであった。

 どんな時でも笑顔で。見る人もつられて元気になるような魅力的な表情で。


 こうしてミーティアは労働の尊さを知り、体を動かす楽しさを知り、人に尽くす喜びを知り、空腹時に食べる食事の美味しさを知った。

  

 ひと月経つ頃には二人ともかつての体型を取り戻し、モスグリーンのワンピースの腰回りは布地に余裕を持ち、ソラノは息を止めて着るなんて真似をしなくても良くなり、ミーティアに至っては服のサイズがワンサイズダウンしソラノと同じサイズのものを着られるようになったのだった。

 

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