第229話 成果
「ーーありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
本日最後の客を見送ったソラノはふぅと息をつく。
「お疲れ様でした、ミーティアさん」
「はい、お疲れ様でした」
スクリーンを下ろしてから振り向くと、ミーティアはお皿を片付けていた。その声ははつらつとしていて、一日働いた後だというのに顔色が良い。
ひと月店で働いたミーティアは、まるで別人のようになっていた。
全体的に体はほっそりし、表情豊かになり、笑顔が増えた。見た目だけではなく内面からほとばしる美しさが眩しい。
きっとこれが彼女本来の姿なのだろう。元気を取り戻してよかった、とソラノは思う。
「ミーティアさん、明るくなりましたね」
「おかげさまで、最近はとても楽しいの。それもこれもソラノさんのおかげだわ」
晴れやかに笑う彼女を見ているとつられて笑顔になる。
「じゃあ賄いにしましょうか」
「わぁ、楽しみにしていたの。今日は何を作ってくださるのかしら」
「今日は魚の煮付けです」
ソラノはもはやすっかり慣れた手つきで賄いを作るべく厨房に立った。
魚の煮付け。和食の定番と言ってもいい料理である。
魚を使うときに大切なことは、下処理をしっかりとすることだ。これを怠ると臭みが残っておいしさが損なわれてしまう。
ソラノは魚に酒と塩を振ってしばらく置いておき、その隙に米の準備に取り掛かった。
土鍋でご飯を炊くのも慣れたものだった。炊飯器だと一時間近くかかるが、土鍋だと三十分ほどで炊き上がる。とはいえ水に米を三十分ほど浸しておくとさらにふっくらツヤツヤと炊けるので、都合一時間かかるのであまり変わりないと言えばそうなのだが。
「ソラノさんの作る和食、とても美味しくて。ねえ、時々食べにきても良いかしら」
「勿論どうぞ」
約束のひと月が経ったので、ミーティアが店で働くのも今日でおしまいである。
「ずっと働いていて欲しいが、そうもいかねえもんなあ」
バッシが皿を拭きながら残念そうにそうこぼした。確かにずっといてほしい気持ちはあるが、流石に公爵家のご令嬢をひき止めるわけにはいかない。あの時勢い任せで店で働くことを提案したが、よくよく考えると無謀だっただろう。むしろよく乗ってくれたなとしみじみ思う。
「あの……皆様さえよろしければ、時々手伝いをしにきてもよろしいでしょうか」
おずおずと言うミーティアに全員の視線が集中した。
「いいんですか? これ以上働いてもらったら、怒られませんか?」
「公爵家の人間が労働してはいけないという規則もありませんし、問題ありません」
ソラノの疑問にミーティアは微笑みながら返事をした。
「それにわたくし、とても楽しかったので……働くって素晴らしいですわね。これからはわたくし、感謝の気持ちを持ってそばで働く人々に接しようと思います」
輝く笑顔を向けられて一同はほっこりした。全く世間擦れしていないお嬢様というのは、こうも眩しいものなのか。まさに「純粋」という言葉が似合うミーティアにソラノも癒された。ルドルフさんが心配するのも無理はない。
しかし、彼女はやりきったのだ。
ひと月に及ぶ労働とダイエットを遂行し、目的を達成した。
「さて、じゃあ、賄い食べましょうか!」
「はい!」
「ソラノ、いい加減俺の作った賄いも食えよ」
人に料理を食べさせたいレオがしきりにソラノに勧めてくるが、カロリーの暴力である料理を前にして首を横に振った。
「ここで気を抜いたら、元の木阿弥」
「チェ……まあいいや。俺らで食うから」
そんなわけでソラノは自分で作ったタイの煮付けをミーティアと共に食べる。
ほろりと身が崩れるように煮込んだタイは、じんわりとした優しさで疲れた体に染み渡った。
ミーティアはひと月の間にはしも使えるようになっており、美しく身をほぐしながら煮付けを食べていた。
「この煮付け、美味しいです。ソラノさんはお料理も上手なんですね」
「自分が食べたいものだけは作れるように頑張りました」
そもそも和食文化が浸透している国で助かった、とソラノはしみじみ思っていた。しかし魚の煮付けや甘酢あんかけなどはメジャーとは言えず、再現に苦労した。船技師のノブ爺やカフェ経営者のカイトなど同郷の人々にも手伝ってもらい、なんとか形にしたものである。
いまいちうまく出来上がらず、時に全員が諦めかけてもソラノは諦めなかった。
もはや「和食を食べたい」というソラノの執念に他ならない。ビストロ料理だって美味しいが、日本に生まれ育ったソラノからすればやはり和食が食べたい。
きんぴらごぼうや肉じゃが、魚の煮付け、甘酢あんかけ。
そうしたものを白米のおかずにして食べたいのだ。しかしレシピがないと結構難しい。難しいが、不可能ではない。少なくとも蕎麦を一から打つよりは遥かに簡単だ。
そんなわけで今ミーティアが食べているタイの煮付けは、ソラノを筆頭にこの世界にやってきた日本人達の努力の結晶に他ならなかった。
ほくほく顔で食事するミーティアは、ほぅ、と息をつく。
「あぁ、幸せ……」
「今度はお客さんとして、ルドルフさんとお店にいらしてください」
「良いんですか?」
「はい、もちろんです」
ミーティアは店で働いているが、賄いはソラノが作った和食ばかりを食べているので、店の料理を食べたことがない。
「ずっと頑張ってきたので、たまには好きな人と一緒に美味しいものを召し上がってください」
「……嬉しい。今ならわたくし、堂々とルドルフ様の隣に並んでいられますもの。体型だけじゃないわ。誰に何を言われても、言い返せる気がするの」
「ルドルフさんにふさわしいのはミーティアさんだけです。自信を持ってください」
「ありがとう、ソラノさん」
煮付けを食べながら、笑い合う。
後日やってきたミーティアは給仕服姿ではなく淡い黄色のワンピース姿で、ルドルフと並んで食事をする姿はお似合いのカップルのそれであり、見ているこちらまでが幸せになるような光景だった。
+++
これにてダイエット編、完結です。
お読みいただきありがとうございます。
次は夏頃に、番外編を更新したいなと思っています。
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