第230話<2巻発売記念S S>王都外でバーベキュー
ことの発端は、ソラノの一言から始まった。
その日、ヴェスティビュールは閉店間際であり、店には馴染みの顔のみが残ってのんびりと食事をしたりお酒を楽しんだりしているところだった。
給仕がひと段落したソラノは、ポツリと呟く。
「バーベキューがしたいなぁ」
季節は春になろうかという頃合いで、ヴェスティビュールに存在する大きな窓からは日中は暖かな日差しと穏やかな雲海が見える。
日がな一日を建物の中で過ごしているソラノは、たまには外に出てのびのびしたいなぁと思っていたのだ。
ソラノの呟きに真っ先に反応したのは、アーニャである。白いウサギの耳をピッと立て、青い瞳を輝かせて食いついてきた。
「いいわねバーベキュー。外で食べるいつもと雰囲気変わって、より一層美味しく感じるわよね」
「でしょ? わかってくれる?」
「ええ、わかるわ」
すると会話を聞いていたバッシが話に入ってきた。
「そろそろ外も暖かい季節だから、バーベキューにはもってこいだな」
「バッシさんもそう思います?」
「ああ。俺も久々にやりたくなってきた」
「何? バーベキューすんの? 俺も混ざりたい」
「レオ君も?」
「おう! バーベキューは人数いた方が楽しいよな!」
「確かに」
ソラノはカウンターでワイングラスを傾けていたデルイとルドルフにも話を振った。
「デルイさんたちも一緒にどうですか?」
「参加していいなら、喜んで」
「ミーティアも呼んでいいでしょうか」
「もちろんどうぞ!」
ソラノは参加人数を指折り数えてゆく。
「アーニャにバッシさんにレオ君、デルイさんにルドルフさん、ミーティアさん。カウマンさんとマキロンさんも呼べば来るかな? 私も入れて全部で九人、たくさんいるから賑やかで楽しそう! ……ところで、どこでやればいいと思いますか?」
ソラノは首を傾げた。
ソラノやアーニャやレオ、カウマン一家といった一般庶民はともかくとして、デルイとルドルフとミーティアは貴族だ。特にデルイは容姿が良すぎて目立つし、ミーティアだって深窓のご令嬢である。街中の広場や公園でバーベキューなどしていたら、奇異の目で見られるかもしれない。
ソラノの疑問に答えたのは、デルイだった。
「王都の外の平野でやろう。あそこなら王都民はいないし、のんびりバーベキューできるよ」
ソラノは以前、魔法の練習をするためにデルイに連れられて王都の外に何度か行ったことがある。低レベルの魔物が跋扈するその場所を思い出し、ソラノは頬を引き攣らせた。
「平野って……魔物いますよね」
「雑魚しかいないから大丈夫。俺と、ルドと、レオ君も戦えるでしょ? どうとでもなるよ」
「まあ、確かに……」
「そうだ、久々にソラノちゃん魔法使ってみたら?」
「えっ、何の魔法ですか?」
「そりゃあ当然、火魔法だよ。ソラノちゃんの熾した火でバーベキューしよう」
「いいわね、ソラノやってみなさいよ!」
「なんでアーニャが乗り気なの?」
「ソラノ、全然魔法使えねーもんな。いい機会だからやってみれば」
「えぇっ、レオ君までそういうこと言う?」
もはやソラノが火魔法を使うのが決定事項のようになりつつある。困ったソラノが助けを求めるかのようにデルイを見ると、にっこりと良い微笑みを返されてしまった。
「俺が教えてあげるから」
「はい……お願いします」
かくして参加者たちは次の店休日に合わせて休みを取り、王都の外でバーベキューをすることになったのだった。
***
ソラノは王都外で、すーはーすーはーと深呼吸を繰り返してから右手を構えた。人差し指をぴっと伸ばし、それから呪文を唱える。
「じゃあ、いきますよ……
ソラノの声に呼応して、指先から小さな炎が出た。炎はそのままソラノの指先から離れ、目の前にある炭を赤々と燃やしてゆく。
「やった! 成功しました!」
「お見事、ソラノちゃん」
「えへへ……!」
デルイに褒められたソラノは、両手を握りしめて笑う。
「魔法使うの久々だったので、緊張しましたけど、上手くいってよかったです」
「こんな初歩中の初歩の魔法を失敗するなんてあり得なくねえ?」
「レオ君にとってはそうかもしれないけど、私は失敗する可能性が高いんだから!」
「そんな威張って言うことじゃねえだろ」
「じゃあ火もついたことだし、どんどん焼いていこう」
「はい!」
ソラノは現在、カウマン一家とレオ、デルイ、ルドルフやアーニャといった店の常連、そしてミーティアと共に王都外の平野にバーベキューに来ていた。
総勢九人のバーベキューはワイワイガヤガヤと賑やかである。
テーブルの上には、焼かれるのを待っている食材たちと、今日のためにカウマン一家が腕によりをかけて作った料理が並んでいる。
ソラノはテーブルの上を見て、思ったままの感想を述べた。
「なんか、思っていたよりお洒落なバーベキューですね」
「そうか? こんなもんだと思うぞ? 一体どういうバーベキューを想像してたんだ?」
「生のままの切った食材をコンロの上で焼いて食べるだけだと思ってました。私が経験したバーベキューはそんな感じでした」
「そりゃあ、味気ないな」
カウマンがソーセージをトングで掴んで鉄板の上に載せながら言う。
現在、ソラノたちが持参したテーブルの上には、所狭しとさまざまな料理が載っていた。
前菜として野菜がゼリーの中で華やかに固まったテリーヌが並べられている。
それからローストビーフ、チーズと生ハム、茹でたエビと輪切りのオリーブ、そしてペースト状になったグリーンピースが口金で絞り出されて、それぞれスライスバゲットの上に乗っている。オープンサンドというやつだ。
メインのバーベキューの食材は、肉の他にソーセージや帆立に似た貝、香草をまぶした切り身の魚などが揃っている。
バケツ型のワインクーラーの中では各種ワインやシャンパンがたっぷりの氷で冷やされており、皆に飲まれるのを今か今かと待ち構えていた。
皆、思い思いの食材をトングで掴んで鉄板の上に載せ、焼けるのを待ちつつ前菜を食べたりワインを飲んだりしていた。
「こうして皆で料理を楽しむことってないから、いいわね」
ワイングラス片手に上機嫌に言うのはアーニャである。
ソラノは茹でたエビと輪切りにしたオリーブが載ったオープンサンドを頬張りながら頷く。プリッとしたエビの食感と輪切りのオリーブ、そしてバゲットの歯ごたえが楽しい一品だ。
「うん。ほとんど毎日顔を合わせてるけど、全員で食事することないから新鮮かも」
アーニャもデルイもルドルフも店がオープンした当初からの常連なので頻繁に顔を合わせているが、一緒に全員で食事をするのは初めてではないだろうか。
ソラノが見ている先で、ミーティアがお皿に料理を取り分けてルドルフに渡していた。
「はい、どうぞルドルフ様」
「ありがとう」
給仕に勤しむミーティアとルドルフの間には、ほんわかした雰囲気がただよっている。仲が良さそうで何よりだなぁとソラノは二つ目にオープンサンドに手を伸ばしながら思った。
と、料理を楽しむソラノの耳に、何やらおかしな音が聞こえてきた。
「え、何……?」
見ると、ドドドド、と平野を駆け抜ける何かの群れの姿がある。
群れを指差してデルイが言った。
「ご覧、ソラノちゃん。あれが暴走牛の群れだよ」
「あっ、あれが暴走牛ですか。食材としてではなく、生きているところは初めて見ました」
「中々に語弊がある言い方だね」
ソラノはデルイの軽口を受け流しつつ、まじまじと暴走牛の群れを見つめる。
暴走牛は、ソラノがよく知る白と黒の模様を持つ穏やかな気質の牛とはまるで違う生き物だった。巨大な体は灰色の長い毛に覆われており、頭部からは二本の鋭いツノが生えている。
一体どこに向かっているのか、二、三十頭ほどの集団で平野を駆けつつ、ブモー! ブモー! と荒々しい声を上げている。
牛というよりもバイソンっぽいなとソラノは思った。
散々料理に使っている店でお馴染みの暴走牛であるが、こうして群れで走っているのを見ると圧巻だ。
ソラノは少したじろいだ。
「向きを変えて急にこっちに来たりしませんよね」
「大丈夫大丈夫。来ても俺が返り討ちにするよ」
「デルイさんに言われると頼もしいです」
「でしょ? だから安心してバーベキューしよう。なんなら狩って来ようか? 捌いて焼いたら美味しいかもしれない」
「冗談ですよね?」
ソラノの問いかけに、デルイはただただ笑みを浮かべている。
ソラノは、もしかしたら本気なんじゃないかなという気持ちになった。
「嘘。冗談だよ」
「……よかったぁ〜」
胸を撫で下ろすソラノの頭をポンと撫でたデルイが「そろそろ焼けたみたいだよ」と言ったので、視線を網の上へと戻した。
そこには、頃合いに焼けたソーセージや、蓋の上で躍るように焼ける貝柱が。
「美味しそう!」
ソラノはいそいそと近づいて、皿の上に焼けたソーセージや貝柱を載せた。
ソーセージにフォークをプスッと刺すと早速食べてみる。
「んんっ、ジューシー!」
口の中で肉汁が弾けて溢れ出す。カウマン一家がバーベキューのために市場で仕入れてきたソーセージはボリューム満点で、一本食べるとかなりの満足感がある。食べ応え抜群のソーセージの次は、貝柱に手をつけてみた。バターと塩で味付けされた貝柱は肉厚で、こちらもとても美味である。
「ソラノ、うかうかしてると食うもんなくなるぞ」
「えっ!」
レオの言葉でソラノがテーブルの上を見ると、確かにあれだけあった前菜もオープンサンドもなくなりつつあり、鉄板の上の肉や魚も次々にいい色に焼けては皆の口の中へと消えていっていた。
「早い者勝ち」
にぃっと笑うレオの顔を見て、ソラノの負けず嫌いな魂に火がついた。今しがたレオが取ろうとしていた肉の塊を、横から掻っ攫う。
「あっ!」
「えいっ! ふふーん、早い者勝ちだもんね!」
「お前それ卑怯だぞ!」
「もう遅いよ」
ソラノは悔しがるレオを横目に、肉に齧り付いた。ソーセージとは違いしっかり噛み締めて食べる肉も、これはこれで良い。表面に焦げ目がついているのが、バーベキューならではという感じがする。
そこからは、争奪戦だった。
「ねえレオ君っ、それまだ焼けてないからね!?」
「ソーセージだから焼けてなくても食えるんだよ」
「ずるいよ!」
「ソラノちゃんは真似しないように」
「わかってますよデルイさん!」
レオとソラノの奪い合いに負けじとカウマン一家もたくさん食べ、アーニャも奮闘し、デルイは隙をついて肉を颯爽と奪っていった。ルドルフとミーティアは参戦せず、生暖かい目で見守っている。
あっという間に料理がテーブルの上から消え、残すはデザートのみとなった。そしてデザートを見てアーニャが首を傾げる。
「ねえ、どうしてデザートにマシュマロが混じっているの?」
「それはね……こうして炙って食べるから」
ソラノはアーニャの質問を受け、串にマシュマロを刺して網の上に乗せて焼いていく。次第にマシュマロは周囲に甘い匂いを漂わせ始め、いい色に焼けたところで網から持ち上げアーニャに差し出した。
「はい、どうぞ」
「いいのかしら?」
「うん。食べてみて」
「じゃあ、遠慮なく」
アーニャはマシュマロが少し冷めるのを待ってから口に入れる。パクッと齧ったアーニャは、「んん!」と声を上げた。
「マシュマロが蕩けて美味しい……! 新食感!」
「私がいた国では、バーベキューの定番デザートだったんだよ。ビスケットに挟んでも美味しいの」
「本当だわ、サクサクのビスケットとふわとろのマシュマロの甘さがマッチしてる!」
「どれ、アタシにも一つおくれよ」
「どうぞマキロンさん」
「こりゃあ美味しいねえ。アンタも一つどうだい。バッシも」
「おぉ、もらうぜ」
「あのう、わたくしにも一つ頂けませんか?」
「はいどうぞ、ミーティアさん」
ソラノたちがわいわいとデザートを食べている一方、甘いものに興味のないレオとデルイは平野を見てこんな会話を交わしていた。
「なあデルイさん、俺とどっちが多く魔物狩れるか勝負しねえ」
「いいよ。じゃあ制限時間は三十分ね。ルドもどう?」
「俺は遠慮しておく」
「ノリ悪いなぁ」
デルイの挑発には乗らず、ルドルフは一歩離れたところでマシュマロを食べる皆の輪を見守っている。
デルイとレオの二人は、散開して周辺の魔物を狩り出した。
ソラノは炙りマシュマロを食べながら二人の様子を見つめた。
「レオ君が戦ってるとこ、初めて見た」
元冒険者のレオは足を怪我して引退して店で働いているのだが、こうして低ランクの魔物を狩っている姿を見ると別段不自由なさそうである。初めから魔物を狩ろうと考えていたのか、持参していた剣を抜き淀みない動作でどんどんと魔物を屠っていた。
一方のデルイは、左腰に帯びた剣は使わずに魔法のみで魔物を仕留めている。その場をほとんど動かずに、放つ魔法が的確に魔物に当たっているので動き回るレオに比べると非常に効率の良い討伐となっていた。もはや作業と言い換えてもいい。
果たして二人はスライムや空を飛ぶコウモリ型の魔物といった低ランクの魔物を次々と狩り、制限時間の三十分が過ぎる頃にはうずたかく魔物の山が積み重なっていた。周囲にちらほらいる駆け出しの冒険者たちが尊敬の眼差しで二人を見つめていた。
「どっちが多いと思う?」
やや息の上がっているレオが剣をしまいながら言った。
「数えるの面倒臭いね」
腰に手を当てたデルイは疲れを感じさせない佇まいだった。
「引き分け?」
「でいいんじゃないかな」
デザートも食べ、満腹なソラノは二人に話しかけた。
「二人とも、勝負終わった? この魔物の山どうするの?」
「あぁ……考えてなかった」
「雑魚ばっかだから換金しても大した金になんねえし、放置しておけばいいんじゃねえの。素材集めの新人冒険者が持っていくだろ」
「適当だね……」
狩り終えた二人は魔物に興味を無くしたようだった。レオはデルイを見て、ニカっと笑った。
「久々に剣を振ったら楽しかった。今度は手合わせしてくれよ!」
「いいよ。エア・グランドゥールの詰所に来てくれたら、訓練場でいつでも付き合ったげる」
「デルイさんノリいいよなぁ!」
「二人とも、一体いつの間にこんなに仲が良くなったの?」
「いつからだろ。なんか、いつの間にかって感じ?」
レオが首を傾げつつ言うと、デルイも頷いた。
レオは人懐っこいし、デルイも人当たりがいいタイプなので、店で顔を合わせているうちに親しくなったのだろうか。
「よーし、じゃあ、片付けるかぁ」
「ソラノちゃん、火消しもよろしく。水魔法覚えてる?」
「うっ、た、多分大丈夫です」
デルイに水を向けられたソラノは、ちょっと自信なさげに頷いた。
抜けるような青空の下、春の王都の外で行われたバーベキューは終わりを告げる。
店員と常連客が集う、賑やかで楽しい食事もいいなぁ、とソラノは思ったのだった。
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