第227話 二日目

「おはようございます、ミーティアさん」

「ええ、おはようございますソラノさん。ですがもう、時間としてはお昼時ではございませんこと……?」

「仕事の挨拶は『おはようございます』か『お疲れ様です』と決まっているんですよ」

「まあ、そうでしたの」


 ビストロ ヴェスティビュールに足を踏み入れ、またも知らない事実に驚愕しながらの二日目が始まる。


「大丈夫ですか? 昨日の疲れは残っていませんか?」

「ぐっすりと眠れたので大丈夫ですわ」


 実際、ミーティアの昨夜の眠りは深く、目覚めは快適だった。

 程よい労働で体が疲れていたミーティアはいつになくあっという間に眠りへと落ち、気がついたら朝になっていた。こんなのは久しぶりだわ、と思う。

 スッキリ目覚めた本日、ミーティアは弾む心で店までやって来ていた。


「今日はミーティアさんに、お客様をお席まで誘導してもらおうと思っています」

「はい」

「人数をよくみて、テーブルかカウンターかにご案内してください。満席の場合は少々お待ちいただくようにと」

「はい」


 ミーティアは昨日のソラノの動きを思い出しながら返事をする。

 そしてエプロンを受け取り腰に巻き付ける。昨日より手際良くリボン結びができたミーティアは口元を綻ばせ、「では早速、行ってみましょう!」とソラノに励まされて店前にいるお客様の元へと向かった。


「いらっしゃいませ」


 と言いながらのお辞儀は、ソラノがやるような頭を下げるタイプではなく、反射的に体に染み付いてしまっている淑女流のスカートの裾を握って膝を折るものになってしまった。しまったと思いつつ、もう今更お辞儀をやり直すのも変かしらと内心で焦る。

 しかしお客様は感心したように口を開いた。


「驚いた、給仕係にしては優雅で洗練されたお辞儀だこと……!」


 顔を上げると、立っていたのはミーティアが見知った壮年のご婦人であった。


「モンテスキュー伯並びにご夫人でいらっしゃいますわね」

「ほう、我々を知っているとは感心な給仕係だな」


 ミーティアは公爵令嬢の嗜みとして、数々の社交界に顔を出す貴族の顔を覚えていた。ミンテスキュー伯爵夫妻はさほど目立つ貴族ではないが、王国の西に領地を持っている由緒正しい家系だ。

 夫妻はミーティアの正体に気が付かず、ただの給仕係だとみなしている。ここ一年社交界に顔を出していなかったので、初見では気がつくのは難しいだろう。おまけに今のミーティアは社交界に出ていた時より体型が丸くなっているし、化粧は極薄く、そして服装も髪型も正装とはかけ離れた地味なものだ。知り合いによくよく見つめられでもしない限りは、給仕係のミーティアが実は公爵令嬢のミーティア・シャテルローであるとはわかるまい。

 そうしてミーティアの挨拶に気をよくしたモンテスキュー伯爵夫妻は上機嫌に食事をし、店内でくつろいでいた。


「いや、いや。エア・グランドゥールへ来たら、ここへ寄ろうと決めていたんだ。何せこの店は、今や社交界でも話題だからな」

「ありがとうございます」


 ワインのおかわりを伯爵に注ぎながら話しかけられているのはソラノだった。すると向かいに座っていた伯爵夫人も夫の言葉に同意する。


「リゴレット伯夫人が熱心に勧めているのよ。『店のおかげで家族仲が良くなったわ』と話していてねぇ。あの方のあんなにも柔らかい笑顔は、初めて見たわ。きっと素敵な時間を過ごしたのね」


 ほほほ、と笑う伯夫人に相槌を打つソラノの顔が一瞬引き攣ったのをミーティアは見逃さなかった。


「あら、噂をすればリゴレット家の三男がやって来たわ」


 ミーティアもつられて視線を移せば、店の出入り口には確かに今日もルドルフと連れだってデルロイが入ってきた。すっと近づいたミーティアは、やはり「いらっしゃいませ」と言って挨拶をする。


「こんにちは、大丈夫ですか」

「はい、おかげさまで今日もこうして働かせていただいております」


 至極心配そうな顔をするルドルフを見上げると、ミーティアはこのお二人は確か席が決まっているのだと思い出す。しかしミーティアが何かいう前に、ルドルフが口を開いた。


「今日はテイクアウトなので、席の案内は要りません」

「なあ、知ってる? いつもは俺に任せで自分で店まで買いになんて来ないのに、婚約者に会いたくてわざわざ足を運んだんだよ」

「デルイ、お前な……!」


 慌てた表情のルドルフの肩にニヤニヤ笑いながら手を回したデルロイが、切れ長の蜂蜜色の瞳でミーティアを見た。

「愛されてるねー、君。慣れない労働で倒れないかって、めちゃめちゃ心配されてたよ」


 どう考えても面白がっているだろうデルロイに、ルドルフは顔を赤くして肩に回された手を振り払う。


「余計なことばかり言うな!」

「ルドは取り繕いすぎだ。婚約者の前なんだから、もっと本音をさらけ出せばいいだろ」

「本能のままに生きているお前と一緒にするな」


 そうして眉尻を下げると、困ったように頬をかく。


「すみません、こいつの言うことは気にしないでください」

「いえ、あの……嬉しいです」


 気にかけてもらっていることが、この上なく嬉しい。ミーティアの体型にもいつもと違う装いにも苦い顔をせず、ただただ自分を心配してくれているのだという事実が、あらぬ妄想に取り憑かれ落ち込んでいたミーティアに自信を取り戻させる。

 はにかみながら答えたミーティアに手を振ったルドルフは、カウンターにいるソラノに声をかけ、注文を通していた。


「では、また来ます」

「はい、ありがとうございました」


 あっという間に去って行ったルドルフを見送り、頑張らなければ、と思う。

 そうしてミーティアは本日もビストロ ヴェスティビュールでの仕事に勤しんだ。

 

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