三年目・春編

第233話 春の王都

 季節は春となっていた。

 石畳に残っていた雪は溶け、草木が芽吹き、花が咲いている。

 王都が一年で最も美しく色づく季節において、ソラノは足取りも軽く郊外の市場を歩いていく。

 ソラノの店での勤務時間は主に夕方から夜にかけてなので、午前中は自由時間だ。寝ているにも勿体無い春の陽気、せっかくなので市場散策でもしようかと早めの時間に家を出ていた。

 王都郊外の市場は中心街に比べるとこぢんまりとしているが、ソラノは店の人との距離感の近さが気に入っている。小さい分親しみのある接客をしてくれる人が多く、今ではソラノも常連の一人だ。

 中でも気に入っている店はーー


「お、ソラノちゃん、らっしゃい!」

「こんにちは、おじさん」


 ねじり鉢巻を巻いたおじさんがソラノに威勢のいい声をかけてくれた。

 白髪混じりの髪を角刈りにし、年季の入ったエプロンを締めているおじさんの前に並ぶのは、米、味噌、醤油、みりん、かつおぶしといった和食材の数々。

 ここは王都でも珍しい、和食の食材を専門に扱っている店だった。


「今日は何を買いに来たんだい?」

「かつおぶしを」

「好きだねえ! 今日は何本買っていくかい?」

「三本お願いします」


 ソラノが指を三つ立てると、おじさんがよしきた、と削っていないかつおぶしをソラノが持参しがバスケットへと詰めてくれる。

 ソラノがこの世界に転移してきてからずっと世話になっている店で、このおじさんも日本から来たとの事だ。当時、転移したばかりで右も左もわからなかったが、ともかく日本食恋しさにおじさんは自ら米や味噌、醤油といったあれこれに似た材料を探して作り出した、と聞いている。材料の大部分はこの地より遥か東に存在するヴィーホットという国で入手が出来たらしく、そこで日本食もどきを作り上げたおじさんは、東の地で永住しようかと考えていたのだが、なんだかんだあってグランドゥールへとやって来たらしい。

 今でも東国<ヴィーホット>の人とは親しくしているらしく、材料が定期的に運ばれてくるとの話だった。

 当時の苦労は筆舌に尽くし難く、おじさん大変だったんだなぁ、と話を聞いたソラノは心底感心した。そしてそんなおじさんのおかげでソラノは苦労する事なく和食にありつけているので、非常に感謝している。

 もし日本食を一生食べられないとなれば、いくらソラノとてストレスでおかしくなっていただろう。以前蕎麦を作った時にも思ったが、やはり日本食はいい。カウマンやバッシの作る料理だって文句なしに美味しいのだが、出汁と醤油の香りにはやはり心を落ち着かせるものがある。


「お、そうだ、ソラノちゃん。コイツぁヴィーホットからやって来た新作なんだが、中々良さがわかってもらえなくってな。ソラノちゃんにあげるから、これで何か一品、シェフの人に作ってもらえねえか」


 言っておじさんは掌ほどの大きさの木筒を振ってみせた。


「何ですか、これ?」

「抹茶だよ」


 おじさんがパカっと蓋を開け中身を見せてくれると、中には確かに粉末状になった濃緑の抹茶がぎっしりと入っていた。

「俺の馴染みの商人が持ってきてくれたものなんだがな。どこの国に行っても売れないと言って嘆いていたんだ。そのまま飲むには苦味が強いし、何かアレンジして作ろうにも、俺たちは料理人じゃねえからどうすればいいのかわからねえし……だからソラノちゃん、これを使ってあっと驚くような料理を作ってもらってくれよ。あのエア・グランドゥールにあるビストロ・ヴェスティビュールで人気が出たとあっちゃあ、大売れ間違いなしだからさ!」

 おじさんは、ソラノが雲の上の空港エア・グランドゥールの看板娘である事を知っている。

 確かに店で抹茶を使った料理を出せば、人気が出るかもしれない。

 ビストロ・ヴェスティビュールの名前は最近よく噂になっているらしく、評判を聞きつけた旅行客が立ち寄る事もしばしばあった。そうした客が抹茶の良さを伝えてくれれば、噂が噂を呼び、抹茶を使ったレシピが広まる、という可能性も大いにある。

 実際、グランドゥール王国の王女フロランディーテが婚約者であるフィリスと共に食べたフリュイ・デギゼや、レシピ発案に苦労した黒麦のガレットの例もある。

 ヴェスティビュールはあくまでもビストロ店なので、全面的に抹茶を押し出した料理展開は出来ないが、料理の風味を増す引き立て役に使う事ならば可能かもしれない。

 頷いたソラノは、木筒を受け取った。

「大売り出しはできないかもしれませんけど……ひとまず相談してみま

す」

「お、さすがソラノちゃん。話が早くて助かるよ!」

 おじさんはかつおぶしの上に木筒を置くと、にこりと笑ってソラノに手渡してくれた。

「ついでにこっちの小豆もどうだい?」


 言っておじさんは手のひらに一掴み、小豆を乗せてソラノに差し出してきた。


「これ、乾燥した状態ですよね。どうやって使うんですか……?」

「これはな、一晩水に浸した後に鍋で煮るんだ。どれ、やり方を書いてやろう」


 言うが早いが、早速インク壺とペンを用意したおじさんはサラサラと紙に小豆の水煮の作り方を書いてくれた。


「ほらよ。サービスだ」

「ありがとうございます!」


 紙袋に小豆をたっぷり入れたおじさんはメモ用紙と共にソラノにそれを渡してくる。

 受け取ったソラノは、早速店が今日にでも作ってみようと考えた。

 春。

 人のざわめきも大きくなり、空港の利用客も増えてくる。

 一年で一番忙しい季節が、やって来た。


+++

コミカライズ第3話公開されました。

ちゃんと準備運動するソラノが可愛いのでぜひどうぞ!

https://comic-growl.com/episode/2550689798423869831

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