第234話 アーニャの受難①

 商業部門に所属する兎耳族のアーニャは充実した毎日を送っている。

 なんと言っても憧れの人、商業部門のトップに君臨するエアノーラ部門長の直属の部下として働いているのだ。

 最初のうちはあまりの仕事量の多さにヒーヒー言っていたが、最近では慣れてきて大分手際も良くなった。エアノーラからの叱責を受ける回数も減り、なんなら「ありがとう」と礼を言われる時だってあった。

 流石にお褒めの言葉を頂戴する機会は無いが、それでもずいぶん成長したなと自分で自分を褒め称える。誰も褒めてくれないので、自分が褒めるしかない。

 このままいけば、エアノーラの右腕として商業部門の職員たちに憧れの眼差しを向けられる日も近いだろう。

 そう考えたアーニャは、金髪のボブカットにした頭から生えた耳をぴっと真っ直ぐに立てて顎を逸らし、いい気分で書類を分類分けした。

 今やアーニャの席はエアノーラの真横、商業部門の事務フロア最奥の窓際の席である。大きな窓からは絶えず穏やかに流れる雲海が見え、仕事をする手もはかどるというものだ。今までは事務フロアの出入り口すぐに席を構えていたのだから、大した出世である。


「アーニャ、そろそろ出るわ」

「はい」


 アーニャは頷き、今しがた終わった整理した書類をデスクの引き出しへと仕舞い込む。ハンガーからコートを手に取ると、エアノーラの後に続いて事務フロアを横断する。

「お疲れ様です」と声をかけて頭を下げる職員たちに見送られながら外出するのはたまらなくいい気分だ。こう、「私、仕事しています!」という気持ちにさせてくれる。このエア・グランドゥールで働き始めてから四年。常に見送り続け、憧れの人を見上げ続けるだけの自分がここまで出世するとは……世の中って何が起こるかわからない。

 コートを片手に、コツコツとヒールの音を響かせながら颯爽と歩くエアノーラの横に並び、キリリとした声で問いかける。


「今日の視察は第一ターミナルに誘致する候補の店、三店舗ですよね。いずれも王都の中心街にある店で、今人気のパン屋」

「その通りよ」


 エアノーラは短く返事をした。

 第一ターミナルには現在、ヴェスティビュールというビストロ店が存在している。中央エリアに存在している富裕層、冒険者向けいずれにも属さない第三形態の店であり、価格はやや低めながらもそのアットホームな店構えと、料理の美味しさはさることながら美しい見た目で人気を博している店だ。

 この店の人気に着目したエアノーラは、同様の店を何店舗か第一ターミナルに誘致しようと考えている。

 ポイントは、気兼ねなく入りやすい店であること。そして船内に持ち込めるテイクアウトの商品を扱っている事。

 パン屋はどちらの条件も満たしているので、今回は事前にピックアップしておいた店の視察に行くというわけだ。

 アーニャは頭の中で本日行く予定の三店舗の情報を整理した。

 一口にパン屋といってもさまざまな種類が存在している。

 グランドゥール王国の主食であるバゲットに重点を置いた、地元民に愛される日常使いができる店。

 豊富な種類のパンで国外からの観光客に人気のある店。

 パンだけでなくパティスリーにもこだわりのある店。

 それぞれの強みを活かした店作りがされており、アーニャとしてもこれから行く店に期待に胸が膨らむ。

 何せ、仕事で人気店の美味しいものが食べられるというのだから、嬉しいことこの上ない。役得とはまさにこうした出来事を言うのだろう。


(人気ブーランジェリーの美味しいパン……! 今から楽しみだわ)


 ウキウキした気分を表に出さないよう、努めて冷静な顔を保っていたアーニャにエアノーラが「そうだ」と声を掛ける。


「今日の視察、同行者がもう一人いるの。第一ターミナルで合流予定だからそのつもりでいて」


 アーニャは言われ、誰だろうと思った。商業部門の人間だろうか。

 第一ターミナルに店を誘致するにあたり、商業部門内でも新しく部署を立ち上げる話が進んでいる。かくいうこれから向かう三店舗も、その新部署に所属する予定の職員が最終候補として挙げてきた店だ。エアノーラは最終判断として店へ行くので、職員がついてきたとしてもおかしくはない。

 けれど、とアーニャは首を傾げ問いかけた。


「商業部門の人間でしたら、事務フロアで一緒に出てくるはずですよね。先ほども、フロア内にいましたし」

「あぁ、商業部門の人間じゃないのよ」

「では一体、どちら様でしょうか?」


 予定に無い同行者の存在を知るべくアーニャが問いかけると、エアノーラは階段を登り職員用通路を歩きながら事も無げに言う。


「ロベール殿下よ」

「……えっ?」


 言われた言葉が理解できずに、思わず問い返してしまった。「聞いた事は一度で覚えなさい」と常々言われているので、これは失態である。また叱責が飛んでくるかもしれないが、しかしアーニャは疑問を覚えずにはいられない。

 ロベール殿下。

 その名を冠するのはこの空港、いや王国を見回してもただ一人しか存在しない。

 ロベール・ド・グランドゥール。

 三十五歳にしてこの空港経営の一人に参画するその人物は、名前の通りにグランドゥール王国が王子の一人である。

 その人物が、パン屋の視察に同行?

 富裕層向けの高級店ならば理解もできるが、これからアーニャとエアノーラが行く場所は庶民にも親しみのあるパン屋だ。

 なんで? なんで来るの? 本当に来るの?

 理解に苦しむアーニャにエアノーラは補足説明を入れてくれた。


「殿下は新しい店の誘致に大変興味を持たれてね。空港経営者の一人として、どのような店を誘致するつもりなのかぜひその目で見たいとおっしゃっていたわ」

「そうは言っても、パン屋ですけれど……王族がパン屋を視察ですか……」

「あのお方はそうした些事にはこだわらないわ」

「はぁ……」


 そしてアーニャは恐ろしい事実に気がついた。


「もしかして三人で視察、ですか」

「当たり前でしょう。殿下の護衛もいらっしゃるけれど、気にしなくて構わないわ」


 アーニャはひいいっと息を呑んだ。

 エアノーラと二人でいるのには慣れたが、ここに殿下までもが加わるとなると話は別だ。


「私、王族の方への振る舞い方がわかりません……」

「くれぐれも失礼のないように」


 エアノーラの無茶振りに、しかしアーニャは首を縦に振るしかない。

 かくして職員用通路を抜けた、扉を開くと第一ターミナルに二人はやってきた。アーニャは殿下の姿形など全くもって知らないが、エアノーラは違う。


「お待たせいたしました、殿下」


 真っ直ぐにエアノーラが歩み寄った人物は、仕立ての良いグレーの上下服を身に纏っており、同色の帽子を目深にかぶっている。タイの色は濃い紫、顔を上げるとタイと同じ深い紫色の瞳がこちらを射抜く。

 帽子の隙間からはらりと流れ落ちた、ウェーブのかかった髪の色は銀。

 その唯一無二の色合いに、この方こそが王族ロベール殿下なのだとアーニャは姿勢を正した。


「この者は私の部下でございます」

「アーニャ・クニークルスと申します。僭越ながら、この度の視察に同行させていただく事になりましたっ」


 アーニャは持てる語彙力を駆使して精一杯の礼儀正しい態度を取る。

 だがこの視察はそもそもエアノーラとアーニャの二人で行く予定であったもので、どちらかといえば同行者はロベールだ。

 緊張のあまりおかしな言葉遣いになっている事にも気がつかず、アーニャは至極真面目に言った。


「成程。では、アーニャくん。よろしく頼む」

「は、はい!」

「さて、では、行こうか」

「はい」


 短いやり取りののち、エアノーラとロベールの二人は飛行船へと乗り込んでいく。アーニャもその後を慌てて追った。

 商業部門を出た時の余裕の態度は何処へやら、この空港内、いや国内でもトップに君臨するロベールを目の前に、アーニャは初めてエアノーラに出会った時のように萎縮しきり、ガチガチに緊張していた。


+++

コミカライズ4話更新されました!

ソラノとデルイの距離感がとてもいい感じです。

https://comic-growl.com/episode/2550689798855237996


GCノベルズさんより書籍化が決まった他作品もよろしくおねがいします。

もふもふと行く、腹ペコ料理人の絶品グルメ探訪

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