第49話 怒涛の三日間

「アーニャッ!!!」


 バッシとの通信を切った後、ソラノはアーニャへ連絡を取っていた。この通信石というものは手のひらサイズの魔法石で、魔力を込めれば通信可能な便利なアイテムなのだが一人一台が持つには高価すぎて、現状は一家に一台の固定電話機のような立ち位置になっている。勿論職務上どうしても必要な保安部の人間やバッシのような独身貴族は一人一つ持っているが、ソラノはカウマン夫妻と共用だった。


「今度はどうしたのよ……忙しい子ね」


 アーニャは歯磨き中だったのかシャカシャカと音がする。


「アーニャ、出番出番!」


「! 私の? 一体何をすればいいの?」


 アーニャはワクワク半分、何を言われるのかドキドキ半分と言ったところだった。あんまり無茶振りされないといいのだが。


「富裕層向けエリアの店舗の特徴を教えて。視察に行くことになった」


「え? それってお店に入るってこと?」


「そう。朝昼晩にアフタヌーンティー、それぞれ強みを握っているお店を教えて欲しいの。後お店に行かないといけないから……服選びを手伝って!」


「!!」


 アーニャはこの時、感動していた。あの、かつて一緒に買い物に行った時「服は動きやすいものに限る」と言っていたソラノがまさか「着飾って」と言うだなんて。理由はなんであれ、お洒落に興味を持つことはとてもいいことだ。出来れば「好きな人とデートだから可愛い格好がしたい」くらいのことを言って欲しかったが、仕事の鬼と化しているソラノからそんな言葉が出てくることを期待しないほうがいいだろう。


「いいわ。私がソラノを、完璧なレディに仕上げてあげる!」


 アーニャは力強く請け負った。貴族然とした服を選んだことはないが、毎日空港の利用客を見ていればなんとなくわかるものだ。それに、舞踏会用のドレスを選べと言っているわけではない。空港利用客というのはあくまで旅装に適した服装でやってくるので、生地のちゃんとした裾長のドレスにヒールの靴を着用すればいい。あとは化粧と髪型だ。


「いつまでにやるの?」


「三日後」


「みっ……全然時間がないわね! 残業になっちゃうじゃない」


「店舗の手助けをするのも商業部門の仕事でしょ。残業して」


 自分に厳しいソラノは他人にも容赦なかった。


 この日から怒涛の三日間が始まった。ひとまずアーニャは空港の富裕層向け飲食店のリストと特徴を記した資料を作らされる羽目になった。結構な数の店舗数があるので、全てを回るわけには行かない。バッシの言う通り、店ごとに強みが異なるので何時に、どこに行くのかを考える必要がある。


「うーんうーん……」


 アーニャはリストを作るにあたり、自席で唸り声をあげていた。アーニャは商業部門の職員とはいえ冒険者エリアの担当なので、富裕層エリアのレストランのことなど知ったことではなかった。一応職員が閲覧できる店舗別の売り上げリストを見ながらそれらしいものを作ろうとするのだが、ガストロノミーだとかグランメゾンだとか馴染みのない単語が羅列されておりさっぱりわけがわからない。定時を回り自分の仕事が一通り終わったところでのリスト作成は完全なるサービス残業だ。仕事に全く関係がないため残業代をつけてもらうわけにいかない。

 この空港はホワイトな職場だ。事務職員がいるフロアを照らすライトは定時を周って一時間すると消えてしまう。アーニャは薄暗いフロアで自分で灯した明かりの魔法の下、一人机に向かっていた。

 と、そこに現れた人影がひとつ。


「アーニャ君、まだやってたの?」


「主任」


 先ごろカウマン料理店に退店勧告を突きつけたガゼットだ。忘れ物でもしたのだろうか。


「仕事はもう終わっただろう。何してるんだい?」


「富裕層エリアのお店をリストアップしています。朝昼晩とアフタヌーンティーでそれぞれ強みのあるお店のリスト化です」


「何でそんなこと?」


 ガゼットは疑問を呈しながらアーニャの隣の空いている席へと腰掛ける。


「カウマン料理店の手伝いです」


「えっ、何で手伝ってるんだい?」


「……従業員のソラノが友達なんです」


「ああ……あの、部門長に喧嘩売ってた子か」


「見ていたんですか」


「あんな目立つ場所でやってたらねえ。ほとんどの職員が見ていただろう」


そう言われてみれば確かにそうだろう。あの時の一騎打ちは本日の商業部門の職員中の話のネタになっていた。面白い子がいるもんだと言う者や、命知らずにもほどがあると言う者、部門長は意外にああいう子を嫌いじゃないと言うものまで、様々な意見が交換されていた。


「で、リストアップできそうかい?」


「うーん、どうやればいいのかさっぱりです」


 この世界にPCなんて便利なものはないから、各店舗が手書きで寄越してくる売上報告をまとめて資料化するのも商業部門の仕事だ。そしてその売上報告書は月単位でファイリングされている。アーニャはそれを引っ張り出してきて、数字とにらめっこをしていた。


「こういう時はだね、売上が高い店舗を上位三つくらい書き出してやればいいんだよ」

「あ、なるほど」


 確かにそれならわかりやすく人気の店がリスト化される。


「ていうか主任、いいんですか?退店勧告しておいて、お店を助ける手伝うようなことをしても」


「ま、店舗を助けるのも商業部門の大切な仕事の一つだしな」


 万年やる気のなさそうな顔をしているくせに、意外なことを言う。アーニャが驚いたような顔で見ていると、ガゼットは気まずそうに咳払いをしてごまかした。


「別に部門長の邪魔をしているわけでもないしな」


「そうですね」


「それよりアーニャ君は資料の作り方を覚えた方がいい。四年も働いていてこんな簡単なリストも作れないようじゃマズいよ」


 アーニャは最もな指摘にシュンとした。


「はい……頑張ります」



 そんなわけアーニャが残業して作り上げた資料を、ソラノが午後の空いた時間に眺める。とりあえず富裕層向けの店は全て予約をしなければ食事に行くことすら出来ないので、リストの上から順にソラノが使用人のふりをして取りに行った。この世界にある通信石は、通信したい相手の魔素を予め流し込まないと相互に使えないため、このようなレストランの予約などには使えない。一般的には主人に命じられた使用人が予約を取りに行くのだが、ソラノたちにそんな存在は当然いないため自分で行くことにした。

 幸いにしてアフタヌーンティー以外は空きがあったので、リストの一番上の店の予約を取ることができた。一番上ということは一番売上が高い店ということで、守秘義務があるので一体月次売上が幾つなのかまではソラノにはわからないが、きっと相当な金額なのだろう。そしてそれはつまり、単価も高いということになる。予約を取るよう言われた時点でソラノは恐れ慄いたが、バッシに「大丈夫だ、経費で落とせる!」と力強く言われて背中を押された。経費で落とす、便利な言葉だと思う。


 そして服選びだ。ドレスコードの存在する店に行く以上、それなりの格好をしなければ示しがつかないし、変な服でいけば最悪門前払いを食らってしまう。これに関してはアーニャがノリノリだった。常であれば足を踏み入れることすらしないような高級ファッションブランド店に行き、女子が憧れる裾長の高価なワンピースを購入できるのに、テンションの上がらない女子などいまい。さすがのソラノも年頃の娘として心が躍った。


「ここがね中心街でお忍びで遊ぶ令嬢や豪商の娘に人気のお店なんですって!」


「確かに高そうな店構え」


「よし、入りましょう!」


 勢いよく入店するアーニャに付いていくソラノ。店内には色とりどりのドレスやワンピースを着たマネキンが立っており、恐ろしいことに値段が展示されていない。そしてどれ一つとして同じ服が存在していなかった。全部一点ものだ。キョロキョロする二人に、店員が一人話しかけてくる。


「お客様、本日はどう言った服をお探しで?」


「ガストロノミーへ行くことになったので、その服を探しに来ました」


「まあ、でしたらこちらのドレスなどいかがでしょうか」


 ソラノが告げた言葉に店員が持って来たドレスは、クラシカルな丸襟のついたベルベット生地のもので、上品かつフォーマルな雰囲気が漂っていた。着るだけでお嬢様になれそうな服だ。


「帽子と靴も揃いの生地で仕立てたものがございます。バッグはこちらのクラッチタイプのものでいかがでしょうか」


「いいわね、ソラノ、着てみてよ」


 全てのセットを一まとめに手渡され、アーニャによって試着室へと押し込まれる。一人になったところでこっそりと値札を見てみると、全部合わせて十万ギールは下らない代物だった。明らかに高価な生地に、ソラノの服を持つ手が震えた。ソラノが日本で着ていた服は大量生産された定価二千円ほどのものばかりだったし、こちらに来てからも同じような低価格帯の服ばかりを着ていた。こんな高い服、身につけたことなど無い。

 しかし買わないと言う手はないので、ともかく着てみる。素早く今着ている服を脱いでドレスに袖を通し、後ろでチャックをあげる。結構ぴったりと体のラインが出るドレスだった。襟ぐりは下品にならない程度に開いており、長袖が今の季節にちょうどいい。帽子をかぶってヒールの高いパンプスを履けば、即席お嬢様の出来上がりだ。


「どうかな」


 個室を出てアーニャへと聞けば、


「いいじゃない! それっぽく見えるわよ!」


 と及第点をもらえた。


「お似合いですね。どういった方とお食事をされるのですか?」


 そう言う店員にバッシの特徴を告げようとすると、なぜかアーニャの方が熱心に語り出した。


「その人はですね、伯爵家の出身にして色気と整った顔立ちを持つ女性にとても人気の高い人なんですよ。剣と魔法の腕も見事で、そのスマートな戦いぶりに見た人はみんな惚れてしまいますし、誰もが一度は声をかけられたいと思っているんですよ」


 一体それは誰のことなんだ。まかり間違ってもバッシではないことは確かだ。バッシは庶民の出身だし、料理の腕は見事だが戦うところなど見たことはない。ソラノはアーニャの語る人物に全く心当たりがなく戸惑った。そんな完璧な人間がこの世にいるのか? 

 彼女の妄想が生み出した人物だろうか。

 しかし店員はそんなソラノの心中など知らず、アーニャの話に相槌を打っている。


「まあ! そんな素晴らしい方とのお食事なら、さぞかし素敵でしょう。そうですわ、そのような高貴な方とご一緒するのでしたら、こちらのドレスなどいかがでしょうか?総レースでできていまして、お客様の清楚な雰囲気にぴったりだと思います」


 トークの上手い店員はさらに追加でドレスを出してきた。それはオフショルダー気味の総レースでできた空色のドレスで、腕の部分が長袖のシースルーになっている。


「あ、そっちの方が好きかも」


「でしたら是非! こちらのハイヒールとバッグを合わせてください」


 セットで手渡されたのは同じく空色のレースで編み上げられた繊細なハイヒールと白のクラッチバッグで、ソラノは受け取り試着室へと戻る。庶民派なソラノはとりあえず値段を確認してしまう。全部合わせて二十五万ギールだった。さっきより遥かに高い。

 しかし着てしまえばそんな値段のことなどどうでもいいと思わせるほど、そのドレスは素敵だった。動きに合わせて揺れるスカートの繊細なレース模様をついつい目で追ってしまうし、揃いの透け感があるハイヒールもいい味を出している。レース編みのパンプスなど初めてお目にかかったが、すごい……なんと言うか、気分はシンデレラみたいだった。


「どう?」


 恐る恐る扉をあけて尋ねてみると、アーニャが親指を立てて力強く言った。


「そっちに決まりね!」


「まるで天使が舞い降りたような可憐さですわ」


 ニッコリ微笑む店員に珍しく乗せられ、ソラノは一式お買い上げした。


「あとは髪型と化粧ね。任せてよ、私、ヘアセットには自信があるの」


「でもアーニャ、ボブヘアだからセットしているのなんて見たことないけど」


「前までは長かったのよ。化粧も勿論してあげる」


「化粧くらい自分でできるよ」


「ダメよ! ソラノってばいっつもナチュラルメイクじゃない。アイメイクもリップももっとちゃんとしないと」


 そんなわけでソラノはもはやアーニャのされるがままとなった。

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