第50話 三日後
やることがあると時間が経つのが早い。光のように時間が経ち、バッシの来る三日後がやって来た。現在店の中にはカウマンにマキロン、一張羅を着込んだバッシにこれまた着飾ったソラノ、そしてアーニャがいた。本日はソラノとアーニャが選定したお店に、バッシと二人で行く日だった。
「あっという間の三日間だった」
「私はソラノに付き合わされて死にそうだったわ。何であなた、そんなに元気なのよ?」
「アドレナリンが出ているから」
ソラノは腕を組み、座り慣れたカウンターのグラグラする椅子に座って時計をにらみつけていた。時刻は夕方。そろそろディナータイムとなる時刻だ。
「お嬢さん、なかなか素敵な格好を選んだな」
「でしょう? 私がオススメする人気のお店で買ったのよ。ソラノにぴったりよね」
「ああ、清楚な雰囲気がお嬢さんにぴったりだ」
「ありがとう。これで敵に正体がばれずに済む」
「お嬢ちゃんが言うことはいちいち逞ましい」
「そんな格好してるんだから、もっとしおらしくして見たらどうだい?」
「難しいですね……これから敵地へと潜入するというのに」
ソラノは現在、つい昨日アーニャとともに購入した空色のドレスを着用していた。それだけではない。髪型はいつもの無造作に結んだお団子ヘアーではなく低めの位置で複雑に編み込まれていたし、化粧も気合いを入れて施され、目はいつもよりパッチリとして唇は美味しそうな色に色づいていた。
それだと言うのに、ソラノが一目見た自分の姿の感想は「完璧な擬態!」だった。せっかく気に入った高価なドレスを着て、それに見合う髪型と化粧をしているのだからもっとこう、「これが私……? 素敵、まるで別人みたい!」とか言って欲しかったのだが、ソラノからそう言った言葉は一切出てこなかった。仕事モードに入っているソラノから色気付いた言葉を引き出すことは絶望的だった。
今現在も、自分の服装にそわそわすること無く、カウンターの上に並んだ皿やグラスを前にバッシとディナーにおけるマナーを総復習しており、その目は真剣そのものだ。マナーについて散々叩き込まれたソラノだったが、店に行くのは初めなので粗相がないか少し心配だ。
「そんなに心配しなくても、アタシらから見たらソラノちゃんのマナーは完璧だよ」
「そうだ。これまでの努力をみせてやろう」
「はい……見ていてください。私、必ずや敵の弱点を発見してみせます」
そう言うソラノはさながら敵地に潜入捜査へと向かう隠密のようだった。ソラノ・隠密モードだ。そんなやりとりをしている最中、何ともタイミングよくデルイとルドルフがやってくる。これは偶然では無く、アーニャが事前に知らせておいたためだった。「今日の夕方にお店に来ると、いいものが見れますよ!」と笑顔で言われ、何だろうかと来たのだ。
「ソラノちゃん、やっほ……!?」
閉店の札がかかった扉を戸惑いなく開けたデルイは、そこに座るソラノを見て固まる。いつもの装いとはまるで違い、踝までのドレスに身を包んだ彼女は楚々とした雰囲気だった。体のラインの出るドレスはほっそりとしたソラノをさらに華奢にみせていたし、その繊細なレース編みのデザインが彼女をガラス細工のように儚いものにみせている。髪型から化粧、つま先に至るまで統一された装いを施されたソラノを前に予想もしていなかったデルイは度肝を抜かれていた。
「デルイさん、こんばんは」
彼女は突然現れた二人にお辞儀をして挨拶をする。二人が意味もなく店を訪れるのにもはや慣れきっていた。
「こんばんはソラノさん。素敵な衣装ですね」
「ソラノちゃん、そんな可愛い格好してどこ行くの?」
「敵情視察です」
「富裕層向けエリアに出店している店に食事に行くんだ。どんな店がどんな料理を出しているのか知らなければ、こちらも対抗手段を構築できないからな」
ソラノの言葉を補完するようにバッシが説明してくれる。ソラノは神妙に頷いた。デルイは半分露わになっている細いソラノの両肩を抱いて、真剣な眼差しで問う。
「ね、俺と一緒に行こう。俺なら完璧にエスコートしてあげられるよ」
「デルイさん……」
確かにデルイならつつがなくエスコートしてくれるだろう。はっきりと聞いたことはないが、彼の普段の立ち居振舞いを見るに恐らくいいところの出自なのだろうし、見目が整っているデルイと連れ立って歩けばさぞかし優越感に浸れそうだ。しかしそれではダメだった。別にソラノは着飾っていい男と一緒に高価なレストランへ行き、羨望の眼差しを集めて優越感に浸りたいわけではない。これはあくまで仕事の一環だ。この空港に出店する富裕層向けの店がどんな内装でどんな料理を出しているのか見に行くためにやっていることだ。それには数々の知識と確固たる経験を持つバッシとともに行くことが必須だった。よってデルイの出る幕など微塵もない。
そうした結論に至ったソラノの口から出たのは、容赦のない次の一言だった。
「ごめんなさい、バッシさんじゃないとダメなんです」
「!」
「時間だ、行こう」
「はい!」
清々しい程一刀両断にデルイの誘いを断ったソラノはバッシの腕を取り店を出て歩き出す。来て早々に振られたデルイはもう、何がなんだかわからないという表情をしていた。こちらを振り返ることもせずにソラノが出て行き、扉が閉まると中にはカウマン夫妻とアーニャ、そしてデルイとルドルフが取り残された。微妙な空気が漂っている。
「あの……なんかすみません。せっかくだから可愛くなったソラノを見てもらおうと思ったんですけど」
呼んでしまった手前、この空気の責任の一端が自分にあると感じたのかアーニャがおずおずと謝る。
「俺としては間抜けなこいつの姿が見られて面白かった」
「ルドルフさんってデルイさんに時々容赦ないですよね」
「二人ともひどい……俺、何のためにここに来たの? 振られるため?」
「まあまあデルイの兄ちゃん、そこ座んな。倅が持って来たワイン開けてやるから」
固まるデルイを席に促したのはカウマンだ。彼は一連のやりとりを傍観していた立場として、また齢六十という年配者として、このややこしい事態がなぜ起こったのかはっきりと理解していた。
デルイはため息をつき言われるがままに先ほどまでソラノが座っていたカウンター席に腰掛ける。ワインの注がれたグラスを揺らしながらどこかに物憂げな瞳を向けていた。断られたのがよっぽどショックだったらしい。そりゃそうだ。他の男と比較された挙句に断られるなんて、今までひたすらにモテていたデルイにとって屈辱以外の何物でもないだろう。しかもソラノはおめかししている姿で、全く悪びれずに見向きもせず出て行ってしまった。
しかし、この状況、両者には決定的な思考の違いがあることをーーカウマンは見抜いていた。
「嬢ちゃんに相手にされなくて凹んでるんだろ。兄ちゃんは女に苦労したことなさそうだからな」
「わかる?」
苦労したことがない、ということをあっさり肯定するあたり苦労したことがないのだろう。
「兄ちゃんが嬢ちゃんと距離を縮められずに焦れているのはわかるんだが。嬢ちゃんの立場に立って考えて見な。あの子は格上相手に一世一代の大勝負を仕掛けちまって、それに勝つために奔走している最中だ。そんな時に色恋沙汰を考えている余裕なんてないだろう。ただでさえ恋愛とは無縁そうな子だしな。全部終わって落ち着くまで待っててあげるのが大人の男ってもんじゃないか?」
デルイは少し考える素振りを見せる。
「兄ちゃん今いくつだ?」
「二十五……」
「嬢ちゃんより六つも年上じゃねえか。もう少しどっしり構えてろ」
「デルイさん、実はあのドレスを選ぶ時、私はソラノの隣にデルイさんがいることを想定したんですよ」
アーニャも助け舟を出す。
「だから、あの子に余裕ができたら、今度はデルイさんがちゃんと誘ってあげてください」
「アーニャちゃん……ありがとう」
デルイは少し落ち着きを取り戻したのか、アーニャに向かって微笑む。
「じゃ、今日は嬢ちゃんの話でもしてやろう」
「あたしも」
「私も! この三日間どんだけ大変だったか聞いてくださいよ」
「みんな優しいね。俺、この店が改装されたら毎日通う」
閉店の札がかかる店の中、カウマンが出してくれる料理とワインを肴に話に華を咲かせる。これはこれで楽しそうな空間が出来上がっていた。
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