第193話 完璧な再現を目指して

「そんなわけで苦労してチーズを手に入れてきたんですよ」


 翌日の営業が終わった店の中で、ソラノは昨日のチーズ捜索における出来事をバッシとレオに語って聞かせた。結局のところぼったくられたのに変わりはないのだが、まあ最初に提示されていた金額よりだいぶん安くなったので良しとしよう。これも勉強代だと思うことにする。

 話を聞いたレオが呆れたようなため息をついた。


「何でそんなにチーズにこだわるんだ。あんな愛想のないおっさんのために、休日潰してまで探す必要あるのか?」


 レオが至極もっともな問いかけを口にしたので、ソラノは力説する。


「私は、ハウエルさんの笑う顔を見たいんです。一緒に働く人とは仲良くしたいと思いませんか?」


「いや、一緒に働くっつったって一時的なモンじゃねーか。あのおっさんが笑おうが笑うまいが、俺はどうでもいい」


「まあ、そう言わずに。商業部門の人なんだから、これから先も顔をあわせることもあるし、円滑な付き合いは大切だと思うよ私は!」

「そうかぁ……?」


「まあまあレオ。人付き合いは大事にしておいた方がいいというのは正しい」


「バッシさんもこう言っていることだし! とりあえずこのチーズを試食してみようよ」


 手早く切り分けたソラノはバッシとレオにチーズを一切れずつ皿に乗せて渡す。

 レオはそれをかなり不審そうな目で見つめている。


「断言するけど、これは美味くない」


「何で」


「西方諸国で食ったことがあるから」


「あ、そうなの?」


「ああ。癖が強すぎるんだよ、山羊のチーズってソラノ食ったことあるか?」


 言われて首を横に振った。チーズといえば牛だ、それ以外口にしたことない。

 そんなソラノを見たレオは口の端を持ち上げて「じゃあまあ食ってみろよ」と意地悪く言った。

 デルイさんは普通に食べてたし、ハウエルさんも食べたがっていたし、そんな酷いものじゃないでしょと考えたソラノは何の気なしにフォークにチーズをプスッと刺して口に放り込んだ。

 直後、そんな自分の行動を激しく後悔した。


 口の中に広がったのは牛のものとはまるで異なる独特の風味で、一足遅れて表面の黒カビの味わいがやってくる。

 そして食べ慣れているクリーミーな口当たりのチーズとは全く異なりとても酸っぱい。

 チーズなのに、酸っぱい!

 ねっとりした口当たりが口内全体に否が応でもチーズの味を伝えてきた。

 

「……みっ、みず、水!!」


 たまらずソラノはグラスを引っ掴んで水を一気飲みした。この口にとどまるチーズの塊を、早く流し込んでしまいたい。涙目になって水をあおるソラノを見てレオが「はははは!」と笑っていた。


「言った通りだろ? 慣れてねー奴に食える代物じゃないんだよ」


「うう……っ! デルイさんは美味しかったって言って食べてたのに!」


「あの人は何であんなに色々規格外なんだ?」


 何だか負けたような気持ちになった。バッシも一切れフォークに刺して鼻先に持っていき、香りを確かめた後に口に運ぶ。もぐもぐ咀嚼した後飲み込むと難しい表情を作った。


「シェーブルチーズってのは総じて独特な風味を持ってるが、こりゃあまたその中でも一段と癖が強いな」


「だろー? でも西方諸国には牛のチーズはほとんど流通してねーからよ、これだってご馳走の部類に入るんだぜ」


 レオは言って顔をしかめた。


「王都は恵まれているとつくづく感じるな」


「で? ソラノ、何でこれを今日ハウエルさんに出さなかったんだ?」


「よくぞ聞いてくれましたバッシさん。それには深いわけがあるんですよ」


 ソラノは胸を反らした。そう、昨日手に入れたのだから今日の手伝い帰りにチョチョっと渡せば良かったのだが、それではつまらない。

 せっかく苦労して手に入れたのだから、もう一工夫したいなとついつい思ってしまったのだ。


「ズバリですね、このチーズと一緒に黒麦のおかゆを作ろうと思うんですよ!」


「おお、成る程な。故郷の味を再現してやろうって魂胆か」


「はい。いくら何でも懐かしい味わいの料理を食べたら、ちょっとは笑ってくれるんじゃないかなあと思いまして」


「そこまでして笑わせたいか……」


「笑わせたい!」


 レオの言葉に食い気味に答える。


「だってこの店の扉をくぐって、あそこまで表情を変えない人ってハウエルさんくらいなだよ? 共に働いているのにこれだとなんか悔しいじゃん! 笑って欲しい! 笑顔が見たい!」


 人はそれを余計なお世話と呼ぶが、ソラノはそんな事を気にする性格ではない。

 とにかくハウエルの表情を変えさせるのに必死だ。あの能面のような顔に楽しそうな表情を浮かばせたいのだ。


「そこでレオ君にお願いがあるんだけど」


「何だ……嫌な予感しかしねえぞ……帰る」


「待って!」


 席を立ち上がろうとしたレオの肩をガシッと掴んで引き戻そうとするが、長身な上にソラノの百倍は力があるレオに敵うはずもなく、ソラノが逆に椅子から引きずられてバランスを崩す羽目になった。


「わっ、ちょっと待ってって」


「何だよお前は、絶対ろくな事言い出さないだろ」


「そんな事ないよ」


「まあまあレオ、聞くだけ聞いてみようぜ」


「えーっ、俺なんか想像できるんだけど」


 ものすごーく嫌そうに顔をしかめるレオをバッシが宥め、「で、ソラノのお願いっつーのは何だ」と聞いてくる。


「それはですね、黒麦のおかゆの試食をレオ君にお願いしたいなあって!」


「嫌だ。断る」


 ソラノのお願いを予想していたレオは即座に断った。


「何で!」


「前にも言っただろ、黒麦の粥は西方諸国で嫌ってほど食ったからもう見たくもねーって!」


「まあ、それは聞いたけど。だからこそ味にリアリティが出るじゃん。ちょっとでいいから手伝ってよ」


 めげずに食い下がるソラノに向けるレオの視線は冷たい。長身を生かして覆いかぶさるようにソラノを上から見つめ、凄みのある声で問いかけてくる。


「……それ手伝ったら、俺に何かいい事あるのか?」


 レオは目つきが悪いので、こうなってくると威圧感が凄い。いくら仕事仲間だといってもちょっと恐ろしい。しかしここで負けるわけにはいかなかった。きっと睨み返すと、ソラノは言い返す。


「お店で仕入れてる高級ワインを一本奢る」


 最高級の凄い高いやつだ。試飲したところレオも気に入ったようで、折に触れて飲みたがっていたからこれなら乗ってくれるだろう。見下ろしてくるレオに人差し指を突き立ててずいっと迫ると、満足そうに頷く。


「乗った」


「よし、じゃあ早速作りましょう」


「お前達仲良いよなぁ。ところで黒麦の粥に使うのは店で使ってる製粉した奴だと駄目だぞ」


「大丈夫です、バッシさん! ちゃんと黒麦の実の状態のものも異国街で買ってきましたから」


 用意周到なソラノは足元のカバンから紙袋を取り出した。ちょうど五百グラムの小麦粉の袋くらいの大きさだ。


「よく手に入ったな」


「何でも、異国街の人が王都外れの畑で黒麦の栽培をしているらしいんですよ。需要がないから王都内では出回ってなかったみたいなんですけど、異国街の人は結構食べているみたいでした」


「で、それいくらで買ったんだ?」


「そんなに高くなかったよ……五百ギール」


「この量で?」


 レオがソラノの手から袋をひったくる。


「せいぜい百ギールくらいが妥当だろ。またぼったくられてんじゃん」


「だって適正価格がわからなかったんだよ」


 頰を膨らませて反論するソラノをレオが小馬鹿にしたように見た。


「世間知らずだなァ」


「そんな事言うなら今度からレオ君ついてきてよ」


「おーいいぜ。俺が値切り方を教えてやる」


 よくわからないけれど自信満々にそう答えるので、次に異国街に行く必要があれば絶対にレオを誘おうと心に決めた。元冒険者のレオならば腕も立つのでスリなんかの犯罪に巻き込まれる事もないだろう。

 もっともレオの場合、デルイと違ってソラノがスリに遭おうが守ってくれなさそうな気もする。いつのまにか財布を盗まれて慌てるソラノを見て笑っていそうだ。やっぱり自分の身は自分で守らないとダメかもしれない。


「ほんじゃ、黒麦の粥とやらを早速作ってみようぜ」


 話が逸れまくる二人に対してバッシが声かけをした。


「じゃあレオ君、味見よろしくね」


「しょうがねえな」


 高級ワインにつられたレオが嫌々ながらも付き合ってくれる。

 黒麦のお粥の味わいを完璧に再現するべく、夜更けまで三人による試食大会が行われた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る