第192話 チーズ捜索隊③


 先ほど入ったチーズ専門店とは異なり、ここではそのまま店先でチーズが売られている。こんな保存方法で大丈夫なのか少し心配になるところだったが、よくよく見るとチーズの下に石板が置かれていてそこから冷気が漂っていた。一応冷蔵保存されているらしい。

 カウマンは頭巾をかぶった店の老婆に話しかける。


「やあ、ここにアルヴァのチーズは売ってるかい」


「お客さんツウだねえ。今日は丁度いいのが入ってるよ」


 どす、と出したチーズの包みを軽く開けてみせると、表面にびっしりと黒いカビが生えている。独特の風味が漂った。


「一角山羊のチーズ、西方諸国の中でも一部の地域で食べられているモンだよ」


「おぉ、これがそのチーズか」


「この国の人が食べるとは珍しいね。あたしらはともかく、王都の人間の口に合うものとは思えないよ。特に後ろにいる兄さん」


「ん? 俺?」


「ああ。そんな綺麗な顔した兄さんが口にするようなチーズじゃないよ」


「俺は割となんでも食べるよ」


「嘘つきだねぇ」


 老婆はデルイの言葉を真に受けずに鼻で笑った。


「で、買うのかい?」


「ああ、ひとかたまりくれ」


「じゃあ五千ギールだね」


「ごっ!?」


 明らかなふっかけにカウマンとソラノは目を剥いた。


「高い高い! そんなに払えるわけないだろうが!」


「そうかねえ? あんたらなら払えそうだけど」


「俺らはしがない料理店の経営者だよ! もっと普通の値段で売ってくれ」


「じゃあ、四千九百ギールだねえ」


「それでも高いだろうが!」


 完全にカモにされている。カラカラと笑う老婆はしかし、その瞳に鋭い眼光を宿らせており抜け目がない。


「なあ? あたしらはこの王都の中で最も貧しい人間なんだよ? そんな婆あにお恵みくださってもいいと思わないかい」


「言いがかりです、適正価格で売ってくださいよ」


「おや、お嬢ちゃん言うねえ。しかしこれが適正価格だよ。あんたらに売るならば、四千九百ギール。ここからは一ギールたりともまけられないよ」


「じゃあ他のお店を探すからいいです」


 ムッとしたソラノは踵を返し、さっさと店を去ろうとした。


「お待ちよ、お嬢ちゃん。見た目によらず結構たくましいんだね」


「こんなあからさまな吹っかけに乗るほど馬鹿じゃないですよ」


「おやおや、参ったねえ。お嬢ちゃんの啖呵に免じて三千ギールにまけてやるよ」


「それでもまだ高いと思います」


「そうかねえ?」


 老婆はため息をつき、首を振り振り語り出す。


「あたしらは見ての通り、貧しい暮らしを強いられている。西方諸国から飛行船にこっそり乗って命からがらこの国について、それでも何の学も技術もないせいでこうして日々を生きるのだけで精一杯さ。取れるところから金を取って、何が悪い? 払える人には払ってもらう、それがここでの常識だ」


「無茶苦茶ですね! ものが同じなんですから、ここにいる人たちと同じ値段で売ってくださいよ!」


「嫌だねぇ。大体あんたら、何に使うつもりなんだい? このチーズだってあたしらにとっちゃ貴重なものなんだよ。物珍しさでちょっと食べてみようってのかい。それで口に合わなければ、捨てるんだろう? そんな奴らに売るものなんて本来無いのに、こうして親切にも売ってやるって言ってるんだから大人しく金を払うか払わないか、さっさと決めておくれ」


 店から物を買うのにこれほど苦労したことがあっただろうか。

 大体において店の人間というのは下手に出るものなのに、この老婆は謎の理論と強気な物言いで全く引く気が無いらしい。絶対に金をせしめてやろう、という気概すら感じられる。

 どうしたものか、もう三千ギールくらいであれば払っちゃおうかなとソラノが考えていると、老婆が急にデルイの顔を指差す。


「そうだ、そこの兄さんがこのチーズを一切れ、うまそうに食べてくれるのなら半額の千五百にまけてやっても構わないさ。その代わり少しでも不味そうな素振りを見せたら、最初に言った通り五千ギール払っておくれよ」


「いや、デルイさんはこの買い物に何も関係ないから巻き込まないでください! わかりましたよ、三千ギール払います」


「いいよ、ソラノちゃん。一切れもらおうか」


「おいおいデルイの兄ちゃん、やめておけよ。兄ちゃんを巻き込む気は無い」


「そうですよ、これは私たちお店の問題です」


「いいからいいから」


 護衛をしてもらっているだけでもありがたいのに、よくわからない勝負に乗ってもらうなど恐れ多すぎる。カウマンと二人で説得するも、老婆の動きの方が早かった。錆びついたナイフで一切れ切り出すとデルイに差し出す。それを受け取ったデルイはひょいと口に放り込んでしまう。


「あっ」


「食べちゃった」


 表情を変えずにもぐもぐと口が動き、やがてごくんと飲み込んだ。

 固唾を呑んで見守る三人の前でーーデルイは世にも鮮やかで美しい笑顔をその整いすぎた顔に浮かべる。


「美味しかったよ、ご馳走様」


 そう言って、口の端をペロリと舐めて老婆の方へ少し身を乗り出せば。

 

「ーーーっ!!」

 

 その破壊力の高さに老婆が仰け反って顔を赤らめる。まるで銃で撃ち抜かれたかのように二、三歩下がって心臓を抑えてうずくまった。

 普段あまり意識していないせいで忘れがちであるがデルイは凄いイケメンなのだ。それがこうも魅せる笑顔を作ったとあっては、赤面するなという方が無理である。

 デルイは自分の見せ方をよく知っている。計算しつくされたその表情にやられた老婆に、ソラノは心の中で合掌をした。これに耐えられる人なんてそうそういないだろう。


「いいもん見せてもらったよ……! 長生きはするもんだねえ。いいさ、お代は千五百ギールにまけてやろう」


「やった! デルイさんありがとうございます!」


 一切れ切り取られたチーズを購入しほこほこと店を後にしようとした時、入れ違うように他の客がやってきた。


「ちわーばあさん。アルヴァのチーズくれよ」


「あいよ、二百五十ギールね」


「!!」


 やっぱりもの凄く吹っ掛けられていたんだなと気づいても、もう後の祭りだった。

 

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