第131話 レシピの公開

「もし。フロランディーテ殿下の使いの者でございますが」


「はい、お待ちしておりました」


 ソラノが身に纏っているワンピースよりよほど高価な服を着込んだ王家からの使者が店先へとやって来たのは、ガレット・コンプレットが出来上がってから三日ほど経った時のことであった。

 使者が来る事は事前に手紙にて知らされていたが、こうして対面するといよいよ公式で訪問が間近なのかと実感する。 

 客がいるときに話せるような内容では無いので、使者は開店前にやって来ていた。そんなわけでソラノもバッシも本日は出勤時間が早めだ。ここから一度自宅に戻るのも面倒なので、代わりに本日は休憩を長めに取ろうという話になっている。

 背中に定規でも当てているかのように直立不動の姿勢をとるその使者は、仰々しい手つきで手に持った羊皮紙の紐を解くと内容を読み上げ始める。

 殿下達が本日、直接訪問できなかったことに対する謝罪ともったいぶった前口上を述べた使者は、咳払いを一つした後に続ける。


「殿下達は黒麦を国で輸入管理するための手はずを着々と整えておいでです。そこで貴店には一つ、お願いの儀があり参上致しました。その儀というのは今回の目玉であるガレットなる料理のレシピ公開でございます」


「レシピの公開ですか?」


 予想だにしてなかった事を言われてソラノは首を傾げた。使者は重々しく頷く。


「左様でございます。殿下達が召し上がる料理が人々の話題になる事は必至。なれど、その料理が口にできる店が貴店ただ一つという事になれば、黒麦の流行は限定的になってしまうでしょう。商会に卸したとて買い取る店がなければどうしようもありません。是非ともレシピを事前に公開していただき、黒麦とともに普及させて頂きたいのです」


「ああ、なるほど」


 ソラノはぽんと手を叩いた。


「勿論レシピというものは料理人の宝であるという事は重々承知しております。しかしそこを曲げて、お願いを致したいのです。黒麦の輸入を成功させたいという思いのため、ひいては貧しい国々をも助ける一大事業のためと思い、いかがでございましょう」


 使者は一歩前へ足を踏み出し、こちらへずずいっと迫って来る。並んで使者の話を聞いている他の皆はどう思っているのかと顔を見た。この店の店主はカウマンとバッシであり、料理人の二人の許可なく勝手な事を言う事はできない。そう思っていたのだが、二人は意外にもソラノの顔を見返して、そして尋ねてきた。


「どうするか? ソラノ」


「ソラノがいいって言うんなら俺たちは構わんが」


「え?私が決めていいんですか?」


「そりゃ、ソラノが作ると言い出した料理なんだから決定権はソラノにあるだろう」


「レシピだってソラノが言った通りに作っていただけだしな」


 そんなものなのだろうか。確かに言い出したのはソラノだが、苦労して作り上げることができたのは他ならぬ皆の協力があってこそだ。しかし二人と、そしてレオとマキロンまでもがウンウンと同意している様子を見ればもう、それが必然の事柄のようだった。

 決定権はソラノに委ねられた。

 ならば迷う事は何もない。


「いいですよ」


「そうですか、やはり難しい……えっ?」


「いいですよ」


 勝手に落胆し、そして驚き聞き返して来る使者にソラノは同じ言葉を繰り返す。


「元々私の世界にあった料理を再現しただけで、独占するべきものではないと思うので」


 多分この世界に伝わっている料理の数々もこうして広がっていったのだろう。ならばその一助ができるというのは中々に壮大な事で興味深い。そんな経験、滅多に出来ることではないし。独占したところで旨味はあまりないどころか、フリュイ・デギゼの二の舞になるくらいなら王都中のレストランでガレットが食べられるようにしておいて客足を分散させた方が遥かにいい。ガレットは持ち帰りに向いていないので、また客が殺到したら待ち時間が発生してしまいまたも空港に多大な迷惑をおかけしてしまう。


 そんな思いでレシピ公開を承諾すると使者はホッとしたように息をつく。


「ご理解ご協力いただきまして感謝いたします。その旨しかと殿下にお届けいたします」


「はい。なんなら今レシピ書きましょうか」


「そうして頂けるとありがたく」


 飽きるほどに焼いたガレットであるのでレシピは頭に叩き込まれていたが、念のため店用に作成したレシピ書を見ながら書き写す。

 あれほど作るのに苦労したガレットだったがレシピに書き起こしてしまうと呆れるほど単純だった。

 黒麦、塩、水の分量をはかる。

 材料を混ぜて一晩寝かせる。

 おたま一杯分をすくってクレープパンに均一に広げる。

 表面が焼けたら卵を落とし、両端にハムを敷き、上にチーズを乗せる。

 卵の白身に火が通ったら生地の端を折りたたむ。


 これだけの手順だ。

 認<したた>めたメモを手渡すと、話を聞いていたカウマンとバッシが使者に声をかける。


「メモを見ただけじゃわからないこともあるだろうから、直接調理指導をしてもいいぜ」


「店休日が週に一度あるからその日にガレット作りをしようか」


「重ね重ね御礼申し上げます。その旨、殿下にお伝えいたしますので」


「何か決まったらまた教えてください」


 使者は手にしたメモを大切そうに小箱にしまい、腰を折ってお辞儀をしてから去って行った。


 +++


 そこからの動きは驚くほど早かった。

 城から商会を介して卸し先の飲食店に通知が行き渡り、ガレット作りに参加したい料理人がリストアップされて店へと届けられた。その数は想像していたよりも多く、とてもではないがこの小さなビストロ店に一度に収容できる人数ではなかった。

 各料理店から代表参加者を一人に絞り、ガレット作りは朝、昼、夜、夜間の四部制とする。一部につき四十人の参加、計百六十人の参加となる。それでもこの王都中のレストランの数からすればほんの一部であるが、今回はそもそも卸し先の商会が絞られている上にその商会の方でも納品先のレストランの数を厳選しているようだった。

 万が一にも、お客様が体質に異常をきたすようなことがあってはならない。

 きちんと接客をこなせる信頼の置ける店にのみ黒麦が卸されることとなっている。


 真剣にガレットの作り方に耳を傾けるシェフは名だたる料理店の人々ばかりらしく、カウマンとバッシは珍しく緊張していた。中にはバッシの前職場である女王のレストランのシェフ、エルフのスーリオンまでもがいた。齢<よわい>二百歳を超えるシェフですらこのガレットを知らないとなると、いよいよこの世界では伝えられていない料理だということになる。

 

 黒麦のガレットの騒動は続いていく。

 ガレットを焼くために各店でクレープパンが買い求められ、一時的に品切れを起こした。工房はフルスロットルでクレープパンを作製し続け、特需が巻き起こる。

 黒麦の輸入はすでに国の方で管理されており、国を通さずに各商店へと卸された場合は厳罰に処される。第一便はオルセント王国のブランデル地方のものがエア・グランドゥールより大量に納品され、それが国の管轄する倉庫へと運ばれて行った。王子と繋がりがあったレェーヴ商会のものが使用される事となり、他の商会のものに関しては貿易府の方で現在精査中とのことだ。

 この騒動は水面下で起こっているわけではなく、むしろ王室主導で煽られて情報が氾濫した。

 王女の婚約者の祖国で食べられている黒麦。それがこの王都で珍しい料理となって食べることができる。なにやら二人は思い出深い空港のビストロ店へ行き、その料理を口にするらしい。

 危険な食べ物かと思っていたけれど、どうやら食べる前に黒麦が体質に合うかどうかの確認ができるらしい。

 さすがに王女たちの来訪日時が流出することはなかったが、それでも店の周りには空港の利用客でない人々の姿がチラつくようになった。


 黒麦のイメージは変わりつつある。

 貧民国で食べられる粗野な食物、食べると体調が悪くなる恐れがある毒のような食物というイメージから、ごく限られた一部の店でしか食べられない貴重な食物という風に人々の意識の中に刷り込まれていった。


「バタバタしてるなぁ」


「そうですね」


 店はガレット提供の準備を進めつつも通常営業をこなしていた。季節は着々と進み、すでに真夏も近くなっている。黒麦騒動の熱気と相まって王都は例年よりも暑いくらいだとはバッシの台詞である。まだどこの店でも提供を開始していないというのに、新たな食材である黒麦は王都で若い人を中心に格好の注目の的となっていた。

 王女たちの来訪を皮切りに各店で売り出しを開始する予定のガレットを一度は食べたいと皆が噂をする。


 そんな大騒動の中心に店があろうとも、日々は変わらずに過ぎていくしソラノ達は来るお客様に満足のいく料理を提供するだけだ。


「黒麦に先駆けて林檎酒とソーダの注文が殺到しているとアルジャーノンさんが言っていました」


「急ぎオルセント王国から続々と貨物船が向かってきているらしいな」


 仕事の合間にソラノとバッシがそんな会話を交わす。


「王女様たちの来訪が楽しみですね」


「ソラノは緊張するという事が無いのか……王家御用達の記者を随伴した正式訪問だぞ、俺は少し胃がやられる」


 胃のあたりを巨大な掌でさすりながらバッシが言った。ソラノは元気付ける。


「大丈夫ですよ、ガレットの出来は完璧です。いつも通りに作れば何の問題もありません」


 何度も繰り返し作ったガレットはどこに出しても恥ずかしく無い出来となっている。

 

「あとは王女様たちの来訪を待つだけです」


 そしてその運命の日がーーやって来た。

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