第132話 黒麦のガレット

 その日、空港はにわかに騒がしくなった。

 第一ターミナルへと着港した船は常ならば空港の利用客を乗せているが、本日到着したこの一隻には客と呼べる人間は二人しか乗っていない。

 即ち、グランドゥール王国の王女フロランディーテとオルセント王国の王子フィリス。

 残りの乗客は二人の護衛であり、或いは従者や侍女であり、王家お抱えの記者である。

 舞踏会に出る程には華美でなく、かと言って普段着るには豪奢な衣装を身に纏った二人はまっすぐと第一ターミナルの隅にある店へと向かった。

 店の名は、ビストロ ヴェスティビュール。

 二人が非公式に面会した場所であり、此度の噂となっている黒麦料理を真っ先に提供する店であった。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」


 店先で待ち構えていたソラノが二人に向かって頭を下げる。この日、この時間帯だけは店は貸切の状態となっている。不測の事態を避けるためには当然の措置だった。


「こんにちは、お邪魔しますわね」


「はい」


 声をかけたのはいつも店に来ているお忍び姿のフローラではなく、この国の王女であるフロランディーテだ。腰までの長い銀の髪をなびかせて、背筋を伸ばしドレスを纏う彼女は幼いながらに紛れもなく一国の王女の威厳を感じさせた。そしてその隣に並び立つフィリスもまた、初めてこの店に訪れた時と同じく王子然とした佇まいだった。

 二人は店へと入っていき、指定された席へと座る。続いて入って来る記者や護衛を気にすることもなく料理が出て来るのを待った。


「お待ちの間にこちらで体質のご確認をお願いいたします」


 二人は既に黒麦を食べた事があるので問題がないのはわかりきっているのだが、これはデモンストレーションのため省略できない。薬液と黒麦を混ぜ合わせたものを小皿に入れて、小さじと一緒に渡す。

「この液体で何がわかるのかしら」


「もしも黒麦がお体に合わない場合、液を垂らしたところが赤く反応致します。反応がなければ問題がない、ということになります」


 予め決められていたやりとりを行うと記者が熱心にメモを取る。

 二人はそれを手のひらに垂らすとしばらく見つめ、「何も起こらないようね」と笑顔で言う。


「この液体の有用性は実証されているのでしょうか?」

 

 料理ができるまでに待ち時間に記者がフィリスに尋ねる。彼はここに王女のエスコート役だけではなく、国を代表して黒麦に関する事柄を答えるために来ていた。


「ええ、国の学者と錬金術師とが協力して開発した液体です。国では黒麦に耐性のある人間ばかりなので、近隣諸国の黒麦を主食としていない国にも協力を仰いで開発にこぎつけました」


「既にグランドゥール王国でも実証済みですわ。城で勤める者の何名かはこの薬液で赤く反応を示しましたの。残念ながら黒麦が召し上がれない、ということになりますわね」


 そうして待っていると運ばれて来る、苦労の末に仕上げた料理。


「お待たせ致しました、黒麦のガレット・コンプレットです」


 美しく焼き色がついたガレット生地の四隅が折りたたまれ、その中にはチーズをふりかけた半熟の卵とハムが見え隠れしている。塩胡椒のみで味付けのされた、極めてシンプルな料理、ガレット・コンプレット。

 だがそのシンプルさ故に地球上では長く愛され親しまれている料理だ。

 

 フロランディーテとフィリスはナイフとフォークを持ち、美しい所作でガレットに切り込みを入れた。

 

 サクッ。

 焼きたてのガレット特有の切れ味のいい音がする。

 

 じわ、と溢れる黄身を絡めて、伸びるチーズを丁寧に切り取った。

 そして、口へと運ぶ。

 もぐもぐと口を動かす二人を固唾を呑んで見守るヴェスティビュールの面々と記者、そして護衛にお付きの人達。

 皆の注目を一身に浴びた二人はやがてごくんの飲み下し、そして笑顔を浮かべた。


「うん、美味しい。食べ慣れた味がこんなにも変わるなんて思ってもみなかったよ」


「ハムとチーズと半熟卵のまろやかなハーモニーがこの黒麦で包まれていて、いくらでも食べられそうな味になっていますわ」


 満足気な顔で言いながら食べ進めていく二人を見て、ソラノもホッとした。

 この料理を二人が口にするのは正真正銘、今日が初めてであってどんな反応をするのかわからなかった。勿論ここまでの舞台を仕組んだ手前、例え味覚に合わずとも「不味い」と言うようなことはないだろうがそれでも反応は気になる。出来る事なら心の底からの「美味しい」という言葉を引き出したいのが、苦心してガレットを再現した者としての本音だ。

 そしてそれは無事に成功したらしい。 

 その証拠に二人が浮かべる表情は、お忍びでやって来てフリュイ・デギゼを食べた時のそれと瓜二つであった。


 合わせて提供した林檎のソーダに手を伸ばし、乾杯をする二人。


「黒麦には林檎の飲み物がよく合う」


「ええ、爽やかで甘い飲み口が、この独特な味わいの黒麦にぴったりですわ」


 二人は和やかな雰囲気でナイフとフォークを持ち、時折かけられる記者からの質問に答えつつもガレットを食べ続ける。

 

「ーーでは、最後の質問になります。こちらのお料理はこの店でのみ食べる事が出来る料理なのでしょうか」


「いえ、黒麦を国で管理して四大商会へと卸し、そこから各飲食店へと卸す予定になっていますのでそちらのお店でも頂く事ができますわ」


「詳しくはリストがあるからそれを参考にして欲しい」


 和やかな食事時間は過ぎていき、二人は丁寧に店の者に挨拶をすると腕を取り合って帰っていった。

 過ぎ去ればまた、いつもと同じく営業が始まる。

 そうして来店して来た客は王女達の訪問を目撃していた人ばかりで、当然のようにガレットの注文が殺到した。


+++


「号外ーっ! フロランディーテ様とフィリス様が新作黒麦料理を召し上がった情報だよ!」


「ガレットという料理についてついに詳細が発表されたぞ!」


 翌日には緊急発行された新聞号外にてフロランディーテとフィリスのヴェスティビュール訪問と、新しい黒麦料理ガレットを召し上がったという内容が王都中に配られた。声を枯らして新聞を配る新聞屋とそれに群がる王都民の姿がそこかしこで見られ、それは郊外も例外ではない。


「おじさん、その新聞私にも一部ください」


「あいよ!」


 出勤途中のソラノはその新聞をなんとか手に入れて行きの飛行船の中で読みふけった。 

 そこにはガレットに関する仔細な情報が載っており、二人が向かい合い仲睦まじくガレットを食べている姿が描かれている。

 黒麦を口にした時の体調不良がごく少数の限られた人にのみ起こる事、それを判別する薬液で事前に調べられる事。ガレットがどんな料理でなんの材料を使っているのかが絵付きで説明され、王都でガレットを食べることができる料理店がリストアップされている。

 ソラノには知らぬ事だが、バッシの説明によると載っているのは名だたる名店ばかりらしい。


 フロランディーテとフィリスの思惑はあたり、王都における黒麦の需要は爆発的に上がった。

 まさにブームと言って過言ではない状況が出来上がり、ガレットが食べられる店にはどこも行列が作られた。

 ガレットの発祥店として二人の公式訪問を受けたヴェスティビュールも当然のように恩恵に預かり、店は連日ガレットを求めるお客様でいっぱいだ。

 それでもフリュイ・デギゼの時よりもマシなのはここが王都の外れ、しかも空の上に浮かぶ空港にある店であり、交通の便が悪すぎるせいだった。今回は同じ料理を王都の中心街の有名店でも食べる事が出来るので、手軽さを求めてそちらに行く人々が多い。

 事情を何も知らない他国から飛行船でエア・グランドゥールへとやって来たばかりである人間が店に入ると、見慣れぬ同じ料理ばかりを客が食べていることに面食らって事情を聞いてくる。そして状況を理解すると、「じゃあそのガレットとやらをもらおう」という事になりガレットばかりが飛ぶように売れた。

 しばらくの間はガレット以外の料理を作らなくても良さそうで、バッシは「腕が鈍りそうだ」と渋面を作っていた。


 体質による深刻な異常をきたしたという話も聞かず、ひとまずこの黒麦の販売は成功したと言っていいだろう。


「皆様のおかげです、ありがとう」と感謝の気持ちを滔々とうとうと述べた手紙が王宮より使者の手により運ばれて来て、恭しく差し出されたので粛々しゅくしゅくと受け取った。


「上手く行ってよかったですね」


「ええ、皆様のおかげでございます。本当にありがとうございます」


「お姉ちゃん達、ありがとうございました」


 カウンターに並んで座っているのは狐人族のアーノルド親子三人だ。小さなアーノルドは行儀よく座ってその狐の頭をぺこりと下げる。横に座る夫妻も深々とお辞儀をした。


「ご無理を聞いて頂きまして深く感謝しております。このガレットという料理も、たまらなく美味で」


 三人は早速ガレットを注文して食べていた。

 生地がサクサク、黄身がじんわり、チーズとろーりのガレットは三人の口にも合ったらしく、至福の表情を浮かべながら食べていた。アーノルドなどあっという間に平らげてお代わりをしたそうに母親の顔を窺い見ていた。今は念願の二枚目にありついて幸せそうだ。

 苦労して作った料理をこうして美味しそうに食べてくれるのを見ていると、ああ頑張って良かったなと思う。ソラノは料理人ではないけれど、こういうのを料理人冥利につきると言うのだろう。


「三人はまだこの国に滞在するんですか?」


「ええ。黒麦の輸出入の調整がまだありますので。また帰る時にはお店に立ち寄らせていただきます」

 

「お待ちしております」


 しばらく王都はこの新しい料理の話題で持ちきりになるだろう。

 ブームを作る一助をしたというのは中々に得難い体験で、ソラノとしても大変だが楽しいひと時を過ごすことができた。

 店のランチメニューも決まりまずまずと言ってもいい。

 

 ーー最も、問題点が全くないというわけでもないのだが。

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