第180話 納得のフォンダン・オ・ショコラ②
「ふんっ、カイトのバーカ!」
マノンは夜の王都の屋根群を伝って郊外までやって来て、今は飛行船に乗っていた。
国外逃亡ではない。
目的地は空港内にある。
先ほどの出来事を思い出し、マノンは非常に苛立っていた。
それはマノンが新作であるフォンダン・オ・ショコラをカイトに差し出した時に起こった。
冬になると温かい食べ物が欲しくなる。
ケーキはどうしても冷やして提供するものが多いのだが、フォンダン・オ・ショコラは中心にとろりと蕩ける熱々のチョコレートが入っているので温かく、冬に嬉しい一品だ。
カイトと共に店を出して働くと決めた時から、冬にぜひ出したいとお菓子職人の師匠である祖父と頑張って試作をくりかえしていた一品だ。
それをカイトに出したのが、つい一時間ほど前。
そしてフォンダン・オ・ショコラを食べたカイトの感想がこうだ。
「石田の作ったやつの方が美味かった」
またイシダ!
マノンはぎりりと歯噛みした。イシダというのはカイトが故郷にいた時に共に働いていたお菓子職人だという。夏の終わり頃からポツポツとその名前が出てくるようになり、ここ最近では何を作ってもイシダさんとやらと比較されるようになった。
イシダの作るクッキーは歯ごたえがこうだった、マドレーヌはもっとしっとりしていた、ガトーショコラは砂糖の配分がこうで、アップルパイの煮詰めた林檎の歯ごたえがこうだった。
一体、何なのよ!
あまりにも頻繁に出てくるこのイシダという名前にマノンの怒りの沸点はとうとう限界に達した。大体、カイトに見出されるまで二年間働いていた店ではずっと誰かと比較される日々を送っていたのだ。やっと自分の居場所を見つけたと思ったのに、こうも見ず知らずの人間と比較され続けたら我慢の限界が来るのも仕方ないだろう。
「きっとそのイシダって人、カイトのいい人だったんだわ。うんと美人で、優しくて、気立てが良くて、私生活でも一緒だったような……あああーっ!!」
マノンは自分で自分を追い詰めて飛行船内で発狂した。頭を抱えてブンブンと振る。乗船客が何事かとこちらを見ているが知ったことではない。
実際の石田は真冬でも半袖で過ごす、むくつけき筋肉をつけたボディビルダー兼パティシエの男なのだが、そんな事はマノンは知らない。知らないので余計に被害妄想が進む。
『間も無く当飛行船はエア・グランドゥールへと着港致します。夜遅くのご搭乗、誠に有難うございました。皆様の旅の成功を心よりお祈りしております』
飛行船内のアナウンスが流れると同時にマノンは席を立つ。
目的地は、第一ターミナルにあるビストロ ヴェスティビュール。
マノンはその場所に向けて大股で進んだ。
+++
「というわけだから、私をここで雇ってくれないかしら!?」
閉店間際の店にすごい形相で入って来たマノンは、事情を早口で説明するなりそんなお願いをしてきた。
ソラノはバッシとレオと顔を見合わせ、そして戸惑いつつも返答をする。
「いやぁ……マノンさんは雇えません」
「どうしてっ、私ちゃんと接客もするわ。それにデザートの幅が増えるのはお店にとってもいいことじゃない?」
金の瞳をギラつかせながらカウンターから上半身を身を乗り出してソラノに詰め寄ってくる。ソラノはマノンを押しとどめ、まあまあとなだめた。
「カイトさんの言い方はちょっとデリカシーに欠けているとは思いますけど、こう考える事はできませんか?」
ひとまず席に着くよう促しながらソラノはマノンの話を聞いて自分の意見を述べる。
「マノンさんの作るお菓子のレベルが高いから、もっと高みに登ってほしくて石田さんの名前を出しているんだと」
「もっと、高みに……?」
「はい」
解せない顔をするマノンにソラノは語りかけた。
「多分その石田さんって人の作るお菓子が、カイトさんにとっての理想だったんでしょうね。でも、カイトさんはこの世界に来てしまった。そこでマノンさんと出会った。そしてマノンさんのお菓子はもっと自分の作るカフェラテに合うものにできると思った。だから、ついつい比較するようなことばかり言ってしまった」
「そんな……それならもっと具体的なアドバイスをくれたっていいじゃないのよ。比べるようなことばかり言わないで」
「そこは国民性と言いますか……遠慮がなくなっている証拠じゃないかと」
マノンが何かを考えるように俯く。そこにバッシの手がぬっと伸びて来て、一つの皿を置いた。
「これは……」
「俺特製フォンダン・オ・ショコラだ。人の作ったものを食べてみるのも、何かの参考になるんじゃないか?」
マノンはバッシを見て、ソラノを見て、静かに頷いた。
上に粉雪のような粉糖がかかった、子供の掌ほどの丸いショコラケーキ。ホイップクリームと、この時期でも採れるマンゴーとオレンジの間のような味の果物ベルマンテを添えてある。
フロランディーテ王女とフィリス王子にお出ししようと、試作に試作を繰り返している一品だ。
マノンがナイフとフォークを手に取って小ぶりの丸いケーキの真ん中を割った。
途端に中からとろりと溶けたチョコレートが流れ出して来る。
パクリ。
モグモグモグ。
ゴクン。
飲み込んだマノンは何かを確かめるかのようにケーキの断面をまじまじと見つめ、それからもう一口食べた。
「これは……ケーキに砕いたショコラを混ぜているの?」
「はい、食感が面白いでしょう?」
「でも生地も中身にもショコラを使っているわけだし、甘くてクドくなりすぎないかしら」
「そんな時には是非こちらをどうぞ」
言ってソラノが差し出したのは蒸らし終えた紅茶だ。ティーカップをマノンの前へと出すと、口に含む。途端に顔色が変わった。
「あら、これは渋みの強い紅茶ね」
「アールグレイですよ。あとはアッサムと、ディアラバが用意してあります」
ディアラバは細かく砕いた茶葉が特徴で、深みのある味をした紅茶だ。アールグレイもアッサムも紅茶としては渋みが強い。フォンダン・オ・ショコラを提供する時はあえてそうした紅茶の種類に絞ってある。
「甘いケーキと渋みのある紅茶の相性を考えて出している。料理とワインの組み合わせも同じだな。魚料理と白ワイン、肉料理と赤ワインのように鉄板の組み合わせってものがある。外しちゃいけない部分があるんだなぁ」
「なるほど……組み合わせ」
バッシの言葉にマノンが頷いた。
「カイトさんのお店の場合、カフェラテがメインですよね。ラテ自体ミルクの甘みがあるし、一杯飲むと結構お腹に溜まるから、フォンダン・オ・ショコラを出すならその辺りを考慮してみるといいかもしれませんね」
「確かにそうだわ」
マノンは頷いた。そして味わいながらゆっくりとデザートと紅茶を堪能する。
ドリンクとデザートのマリアージュ。
お菓子をお菓子として捉え、それだけで完成させようと頑張ってきたマノンに足りなかったもの。
添えてあるフルーツとクリームまでも綺麗に食べきったところで、席を立つ。
「ありがとう、私のお菓子に何が足りなかったのか……なんとなくわかった気がするわ」
「役に立ったのなら何よりだ」
「今度またお店にお邪魔させてくださいね」
「ええ! 急に押しかけてごめんなさい。帰って、早速試作をするわ!」
代金を置いてマノンは店から去っていく。その表情は来た時よりも晴れやかだった。
+++
「そんなわけで、何かがマノンの逆鱗に触れて怒らせたみたいだ」
「あぁ……それはちょっと色々とアレですね」
カイトの淹れてくれたカフェラテを片手に話を聞いていたアーニャはマノンに同情した。一方のカイトはというと、何で怒らせたのかわかっていないようで首をひねっている。
「俺としてはマノンにレシピにこだわらずにもっと俺の淹れるカフェラテに合うようなデザートを作って欲しかっただけなんだけど、どうもうまく伝わっていないようで」
「そりゃあそんな言い方じゃ伝わらないでしょう」
アーニャは呆れた。このカフェラテは見た目も味も完璧なのに、カイトさん自身にはちょっとかけている部分が多そうだ。
「シンプルに『このカフェラテに合うような味のデザートを作って欲しい』と言えばよかったんじゃないですか?」
アーニャがそう言えばカイトは癖っ毛の前髪を人差し指で弄びながら考え出す。
「そういうものなのか……? 俺の知る一番腕のいいパティシエと比較して、具体的なアドバイスを出しているのだからそれがベストかと」
「いやぁ、そんな風にいちいち比較されたらたまったものじゃないと思いますよ」
カイトは心底不思議そうな顔をしていて、アーニャは同情を通り越して不憫に思った。この人と一緒に働くのはなかなかに大変そうだ。
「私の上司はめっちゃ厳しいんですけど、誰かと私を比較するようなことはしません。ただ私の至らない部分を指摘して改善するように言ってくる。それでいいんだと思います。切磋琢磨できるような身近な人と比べるならまだしも、見ず知らずの人と比較されたら落ち込む一方ですから」
カイトはそうか、と言うと頭を左右に振った。
「ありがとう。俺は誰かに何かを教えるのが苦手だから、アドバイス助かったよ」
「いえいえ、お役に立てたのなら何よりです」
カイトが何かをつかめたようで何よりだ。アーニャにはマノンという子の気持ちがわかるので、こんなの自分アドバイスで役に立てることが少しでもあるなら嬉しい。
時間もいい頃だったし、帰ろうかと代金を払おうとしたら断られた。
「今日はお代はいらないよ、お礼だと思ってくれ」
「あ、そうですか? ありがとうございます」
「次はデザートも是非、食べて欲しい」
「はい、楽しみにしています」
お辞儀をしてアーニャは店を後にする。
カフェラテは文句なしに美味しかった。
だから納得のデザートが出来上がったらまた、食べに来よう。
そうしてこのお店がエアノーラの耳に入れるにふさわしいかどうか、もう一度確かめよう。
見上げる冬の空にかかる月は綺麗で、アーニャは胸いっぱいに澄んだ新鮮な空気を吸い込んだ。
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