第181話 幕の内弁当と笑わない人

「ハウエルさん、今日もありがとうございました。これ昨日の売上票です、どうぞ」


 ソラノはマキロンに託された売上票をハウエルに手渡した。マキロンは家で養生しているが、ソラノとバッシが持ち帰った伝票をまとめて集計して売上票を作るくらいの仕事はできるので家でチャキチャキと集計計算をしている。

 エプロンを外したハウエルは両手で受け取り腰を折る。


「いえ。では私はこれで」


「はい、お疲れ様です。あ、今日のお弁当どうぞ。よかったら食べていきます? 裏はちょっと狭いんですけど、ハウエルさん細いから座るスペース十分にありますよ。パパッと食べて戻ったら、お弁当の容器を返しにくる手間も省けますし、いいと思いませんか?」


「ああ、そうですね。時間を無駄にしないというのは良い事です」


 ハウエルはその提案に頷いた。 

 そんなわけでいつも皆で代わる代わる使っている休憩スペースに本日はハウエルが座る。ハウエルはお弁当を割と頻繁に利用しており、手伝ってもらっているお礼に賄いでよければ出すと言ってあるのだが、給料は空港から頂いているので必要ないと断られてしまった。真面目な性格のようだ。

 

「どうぞ、今日は色々入った幕の内弁当です」


 季節によって中身が変わるこのお弁当は相変わらず女子職員を中心に人気がある。最近では健康に気を使っている中高年のおじさん職員もよく買っていくので、だいたい売り切れてしまうのだが今日はハウエル用に実は一つ残しておいた。

 この表情が変わらないハウエルの心を是非動かしたい、というのが最近のソラノの密かな願いだった。

 だって、たとえ臨時といえどもせっかく一緒に働いているのだからもう少し距離を縮めておきたいと思うのが人情だろう。

 お弁当の蓋をぱかりと開けるハウエル。大体の人はここでそのお弁当の彩りの良さとセンスのいい盛り付けに目を輝かせるのだが、手強いハウエルは眉一つ動かさない。

 スプーンですくったのは、グラタンだ。冷めても美味しいように硬くならないチーズを使っている一品である。

 さあ、どうか。

 ハウエルの食べる様子を仕事をするふりをしつつ横目で見つめるソラノであったが、残念ながら表情は変わらない。

 サラダ、ハンバーグ、オムレツ、スライスバゲットに豚肉のデミグラスソース煮込み。

 何を食べてもハウエルの顔に喜色が浮かぶ事もなければ、落胆する様子もない。


「おい」


「ひゃっ」


「お前はなんで人が食べているところをジロジロと見ているんだよ」


 トレーをソラノの頭にコツンと乗せて注意してきたのはレオだ。頭二つは高いレオを見上げると剣呑な瞳で見つめ返された。レオは普通にしてても目つきが悪いので、こうして苛立ちを露わにした顔で凄まれると若干怖い。


「忙しいから早めに来てんじゃねえのか? おら働け」


「わ、わかったよ。ごめん」


 どっさりと皿を渡されて暗黙に洗うよう指示される。ソラノは大人しく従った。

 そう、今のソラノは通常よりも一、二時間早めに出勤していた。

 ハウエルは黙々と働いてくれるのだがどうしてもそれだけだと補えない部分が出る。ちょっと早めに来て昼の店内の接客をソラノが手伝っているのが現状だった。

 人手不足だ。


「王女様の件が終わったら、本格的に人を雇うことを考えようか」


 同じことを考えていたらしいカウマンがそう声をかけて来た。


「そうですね、余力が全くないのは問題ですし、考えた方が良さそうですね」


 ソラノも皿を洗いながら答えると、ハウエルと目があった。


「……王女様がいらっしゃるのですか」


「はい」


 淀みなく手を動かしながらもソラノは返答する。ハウエルと会話をするチャンスだ、逃す手はない。


「それは素晴らしく名誉な事ですね」


「そうなんです、どんなお料理を出すか考えるのも楽しくて。ハウエルさんはどんなお料理がお好きですか?」


「私の好みは関係がないかと思いますが」


「王女様の件とは関係ないですけど、単純に私が気になるんです。パン派かお米派か、それだけでも教えてくださいよ」


 ハウエルはその質問に少し考え込み、逡巡した挙句に小さな声で答える。


「……私は黒麦に慣れ親しんでいます」


 黒麦、意外なところが出て来た。出身がどこか黒麦が主食の国なのかな、とソラノが次の質問をする前に客席の方から声がかかる。


「はい、ただいま参ります」


 皿洗いとハウエルとの会話を中断してソラノは洗い場から出た。

 戻った時にはもう、ハウエルの姿はなくなっていた。


+++


 商業部門へ戻る道すがら良い事を聞いた、とハウエルは内心でほくそ笑む。

 王女が来る店で働けているというのは何たる僥倖だろう。

 イオネッタが求めているのはなるべく大きな事件を起こす事だ。ならばあの店に毒薬を差し出せばーーどうなるか。

 国の王女に毒を盛ったとあれば、店はおろか管理している空港の責任問題は重大だ。店の人間は、当然極刑。空港責任者も免職は免れない。

 イオネッタとハウエルに足がつく頃には西方諸国に戻っている。彼方に行けば諸国の王侯貴族たちから強力な庇護を得られるため、罪が降りかかる可能性は極めて低い。国同士の衝突を選ぶくらいなら空港側の責任として自国内で全てを処理してしまった方が都合が良いだろう。


 あの店の人間たちは随分と純朴で、ハウエルのことを疑うそぶりすら見せない。

 いや、店の人間だけでなく空港の職員も。

 平和ボケした馬鹿な人間どもだ、とハウエルは思う。

 一度懐に入ってしまえば、こうも容易く信頼を得られるとは。

 

「ただいま戻りました」


「ああ、ご苦労様」


 一時的な上司のガゼットは、その丸っとした顔に人の良い笑顔を浮かべてハウエルを労う。こいつの下につけたことも幸運だ。何せ日々の仕事を黙々とこなすことだけを考えており、他の思考回路が停止している。


「じゃ、売上集計していこうか」


「はい」


 頷き、各店舗から集めて回った売上票を纏める作業に入る。ハウエルがイオネッタの元で任されていた仕事と比べればこのくらい児戯にも等しい仕事だった。

 何せイオネッタの元では虚偽計上に数字改ざん、密輸品の隠蔽など数字に関わるありとあらゆる犯罪に手を貸してきたのだ。


 この国はぬるい。何もかもが生まれ故郷とは違う。

 ここの国で生まれ育っていれば、或いは……。

 そんな思いが鎌首をもたげて去来し、ハウエルは頭を振った。

 今はただ与えられた任務をこなすことだけを考えよう。恩人であるイオネッタのために。

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