第183話 ガレットな家族
「準備はできたかい」
「ええ」
「はい、お父様」
狐人族の商会長アルジャーノン・レェーヴは自身の妻と息子を振り返って問いかける。
二人はごく薄い外套を羽織りすでに部屋の出入り口にいる自分の元へと向かっていた。
この国に来て数ヶ月。
事業は上手くいっており、黒麦と林檎酒、林檎ソーダの輸入事業は順調に動いている。取引相手とのやり取りをスムーズにするためにはこちらに支社を置くことが必須であり、ひとまずそれは商会長であるアルジャーノン一家が請け負うこととなった。
これにはいくつかの課題があったため、アルジャーノンが引き受けるのが一番効率が良かったために決定した事柄だ。
まず第一に、言語の問題。
世界には統一言語が設けられており、基本的に貿易の際にはその言語を用いることとなっているのだがそれを上手く操れる人材がレェーヴ商会にはあまりいない。
第二に、移動の問題。
飛行船は便利な移動手段だが運賃が高い上に移動に非常に時間がかかる。長期滞在する者には犯罪歴がないかなど身辺調査も存在している。オルセント王国に残して来た人物から適役を選定し、手続きをしてグランドゥール王国へと来させるというのはなかなかに骨の折れる作業だった。
この二つをクリアにするくらいであれば、自分たちがこの国に留まり続ける方が遥かに効率がいいと結論づけた。オルセント王国の商会は磐石で頼れる人物も多い。任せても問題がないと自信を持って言い切れることも、この決定の背中を押した。
借りていた宿は引き払い、王都に事務所兼自宅として家を借りた。即席の割に居心地がいい自宅を三人で出ると鉛色の空から雪がちらついているのに気がついた。
「ねえお母様お父様、雪!」
息子のアーノルドが空へと手を伸ばす。普段は大人びてる息子がはしゃぐ様に妻が微笑んで見守っていた。
「上ばかり見ていると転びますよ」
「こんな風に繊細な雪はオルセントでは珍しいから、はしゃぐのも無理はない」
「あちらでは降ってもみぞれ混じりで、こんな風に積もることはありませんものね」
「ああ。こちらの暮らしにも慣れたか?」
「おかげさまで。グランドゥールは種族偏見が無いから過ごしやすいわ」
雪、雪と嬉しそうに飛び跳ねながら歩くアーノルドを呼び止め、手を繋いだ。真ん中に息子、左右に父と母。三人で手を繋いで横並びに歩くなどいつぶりだろう。
最近は忙しさにかまけて家族でゆったり外出するなんてとんとしていなかった。いい機会なのでゆっくりと妻と息子の話を聞こうと思っている。
狐人族は種族的特徴として毛皮を持っているので厚手の外套は必要がない。冬とはいえこのくらいの寒さであれば耐えられないものでもなかった。
「学校はどうだ、アーノルド。編入したてで困ったことはないか」
「大丈夫だよ、お父様。みんな優しいんだ」
「この国の教育機関は上質らしい。しっかり勉強するんだぞ」
「はい!」
歯切れの良い返事を聞いてアルジャーノンは笑みを深めた。
「これから行くお店の人、僕のこと覚えているかな」
「そりゃ覚えているだろう」
「あら、大した自信なのね、あなた」
「何と言っても多分に迷惑をかけたからな、そういう人間は記憶に残りやすい」
さくさくと薄雪が積もった石畳を踏みしめながら他愛もない話をする。郊外へと向かう馬車へと乗り、そこから飛行船で上へ。
食事ひとつで大げさなことだが、これは三人にとって大切なことでもあった。
「元気かなあ、お姉ちゃん」
「きっと元気に出迎えてくれるさ」
飛行船の窓の外を眺めながら呟く息子の頭をポンポンと撫でた。
+++
「ソラノさん、こんにちは」
「こんにちは、アーノルド君。お久しぶり、元気にしていた?」
「はい!」
ヴェスティビュールに狐人族の家族がやって来た。来店は、久しぶりだ。
フサフサの尻尾を揺らしながらテーブル席につく三人。果実水を差し出してソラノは尋ねる。
「ご注文はガレットでしょうか」
「ええ、お願いします」
父であるアルジャーノンがそう言った。
「いやいや。下は大した寒さでしたが空港内は暖かくて快適ですな」
「一年中同じ気温ですからね」
外套を受け取ってハンガーへとかけながら疑問を投げかける。
「オルセント王国の冬はどうなんでしょうか」
「ここまで寒くなることはありませんよ。みぞれ混じりの雪がたまに降るくらいで」
「僕たちは毛があるからまだしも、人間族の皆様は寒くないんですか?」
首を傾げて素朴な疑問を投げかけてくるアーノルド。
「そりゃ、寒いですよ。私は寒がりなので冬は大変です」
底冷えするので特に朝が大変だ。ベッドから出たくない気持ちと毎朝戦っている。
「お飲み物は林檎酒と、林檎のソーダですか?」
「はい」
頷いたのはアーノルドの母である。かしこまりました、と承ると厨房へオーダーを通す。
「レオ君、ガレットお願い」
「おう」
慣れた手つきで用意をするレオ。もうすっかり板についている。
とろりとしたガレットの生地が焼ける香りが店内に漂い、その一風変わった黒麦の香りに何事かと覗き込む客も少なくはない。
国内ではすっかり黒麦のガレットが定着しているが、海外から来た空港利用客にはまだ物珍しいようだ。特に、黒麦を主食としている国からのお客様はこの新しい料理に驚く人も多かった。レシピを教えると、帰ったら是非再現したいと言ってくれる。
店を起点に料理が広がるというのは嬉しいことだった。
「お待たせいたしました、黒麦のガレットです」
「おお」
「待ってました」
「相変わらず美味しそうね」
三者三様に声をあげ、ガレットをパリリといい音を立てて切っていく。
まだ熱々のそれを口に運んで、ハフハフと食べる。
「うーん、王都の中心街で色々なガレットを食べましたけど、やはりここの店のものが一番美味しい」
「ありがとうございます。中心街のガレットはどんなものがありますか?」
「基本はここのものと同じですが、独自色を出す店もちらほらと。茸が入っていたり、デザート仕立てにしていたり。おかげさまで取引量は順調でレェーヴ商会としては嬉しい悲鳴です」
「今年は国には帰らないのでしょうか?」
「ええ、難しそうですねぇ。帰るとなると時間も費用もそれなりにかかる。ならあちらは、残して来た部下に任せた方がいいかと。実はこちらに居を構えることにしまして、家を借りたんですよ。長引くようなら購入も考えています」
「それは大がかりですね」
ソラノは驚く。確かに空の交通手段があるとはいえ、飛行機とは比べ物にならない位に時間がかかる。色々な人の話を聞いている限り、速度で言えば海上の船と変わらないのではないか。
「連絡手段は通信石で間に合っているので、思い切ってね。息子もこの国を気に入ったようですし」
「学校に行って、友達ができたんです」
アーノルドは髭をピクピク動かしている。種族差別がない国なので馴染みやすいのだろう。
「他の商会も大規模な黒麦輸出に舵を切っていることですし、うかうかしてられません」
商魂たくましいレェーヴ商会の長は胸を張ってそう言った。ソラノも頷く。
「しかし実を言うと祖国の味がどうも恋しくなることがあってね。妻はせっせと黒麦でパンを焼いとります」
「やっぱり食べ慣れた料理というのは無性に恋しくなるものですね」
アーノルドの母はガレットを食べながら相槌を打った。その気持ちはソラノにもよくわかる。多分お米と和食がなければ、いくらソラノだってもっとホームシックにかかっていただろう。
「美味しかった、また来るよ」
「はい、また是非お越しください」
食事を終えて満足して帰っていく三人を見送り、ふとしたアイディアがソラノに舞い降りた。
あの、笑わないハウエルさんにガレットを出してみよう。
食べ慣れた黒麦を出したならばーーもしかして、祖国を思い出して笑ってくれるかもしれない。
いい考えだなとソラノは心が弾み、早く明日にならないかなと浮き足立った。
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