第179話 納得のフォンダン・オ・ショコラ
本日の業務を素早くこなしたアーニャは早速中心街へと出かける。最近では残業も減って来て、定時に上がれる日がちらほら出て来たのだ。これもエアノーラ付きとなったばかりの頃と比べれば大した進歩と言えるだろう。要するにアーニャに足りなかったのは能力ではなく緊張感だったということになる。追い詰められないと潜在能力<ポテンシャル>を発揮できないタイプだ。
向かう先は勿論、噂のラテアートを出すカフェ。せっかく仕事が終わったのに一人で仕事のために視察に行くというのがなんとも寂しいところだが、今のアーニャはやる気に満ち満ちているのでそんな些細なことは気にならない。
大切なのは、部門長に認めてもらうことだ!
もし、アーニャのリストアップした店の中から空港への出店が決まったならば。それはもうアーニャの手柄といっても過言ではない。
トントン拍子に出世して、お給料が増えて、役職なんかももらえるかもしれない。
そうしたら憧れの部門長に近づくことができる。
その為には何としても今回の頼まれている仕事を完璧にこなさなければ。
彼氏でもいれば一緒に行ってくれるのに……いやいや、仕事に生きると決めた舌の根も乾かないうちにそんなことを考えたって仕方がない。
どっちも手に入れたいと思うのは今のアーニャには過ぎた願いだと自覚している。そもそも出会いも無いわけだし。どっちも手にしているソラノが非常に羨ましいが、妬んでも仕方がない。ソラノは魅力溢れる元気な子なのでまあ彼氏の一人二人いたっておかしくないからだ。とはいえそれが空港職員随一のデキる男とあれば、ちょっと、いやぶっちゃけかなり「羨ましいいぃ!!」という気持ちが湧いて出るわけなんだけれども。
「えーっと、お店は……あったあった、ここね」
噂のラテアートのカフェの場所は中心街からやや外れた居住地区に存在していた。行列が絶えないという話を小耳に挟んだことがあったが今日は店の前に人がいない。
ラッキー! と思って近づいてみると、何やら店の中で男女の怒鳴る声が聞こえて来た。
「何よぉ、カイトのバカ! バカ!! バーカッ!!!」
扉がバァァン! と勢いよく開いたかと思ったら中から猫耳族の女の子が飛び出して来てものすごい速さで走ってくる。そのままアーニャの横を風の如くに駆け抜けていき、続いて扉から黒髪の男の人が出て来た。
「ちょっと待て、マノンッ!」
「待たないわよ、こんな店もう辞めてやるぅ!」
涙声で叫ぶマノンと呼ばれた猫耳族の女の子は足に魔素を集中させる。そのまま力を込めて跳躍し、見える建物の屋根まで飛んだ。猫の如きしなやかな動きで三角屋根の上に着地をすると、続く隣の家の屋根、隣の隣のアパートの屋上とどんどん飛んで移動してあっという間に姿が見えなくなってしまった。
「クソッ……あ、お客様ですか? 見苦しいところをお見せしてしまいすみません」
癖のある黒髪をくしゃりとし悪態をつくも、アーニャの姿を見て態度を改めた。丁寧なお辞儀をするその姿にどこか既視感を抱きつつ、「中へどうぞ」と促す店員にアーニャは話しかけた。
「今の人、追いかけなくていいんですか?」
「いいんです」
「あ、そうなんですか」
店の中は人がおらず照明もほとんど落とされている。それを指先一つ弾いて魔法の灯りを投げ入れると、店の中は明るくなった。
「もしかして閉店していました? ならまた他の日にでも改めて来ますけど……」
さっきのただならぬ修羅場に遭遇した手前そう言ってみるも、男の人は首を横に振る。
「あれはちょっと頭を冷やした方がいいから、しばらく放置。それよりせっかく来ていただいたのでドリンクをどうぞ。デザートは売り切れているのでお出しできないんですけど」
「はぁ」
少し間の抜けた返事をしたアーニャは店の一角に座りキョロキョロと店内を眺めた。無駄のないシンプルな作りで、この男の人の出で立ちとマッチしていた。白いシャツに黒いズボン、上から締めた黒くて何の装飾もないエプロン。
何となくヴェスティビュールと似た系統を感じる。
「あ」
「ん?」
どこでこの男の人を見たのか思い出した。
「エア・グランドゥールに迷い込んで、ヴェスティビュールに入って来た人ですね」
「どうして……あ、もしかしてあの時店にいた?」
はい、と言ってアーニャは頷いた。そうかぁ、あの時は慌ててたからなと答えながら小刻みに手を動かしてミルクを注いでいく。
「俺はカイト。カフェラテお待たせしました」
「わぁ」
出て来たカフェラテは表面に兎の絵が描かれている。愛らしいその絵に思わず笑みがこぼれた。これは、飲む前から楽しい気持ちになる。
カップのふちギリギリまで注がれたミルクをこぼさないようそーっと持ち上げ、口をつけてみる。
甘い。
ミルクが驚くほどに甘かった。
それにミルクの泡がきめ細かい。
飲み進めていくと、そこにエスプレッソの苦味がやってくる。
とは言ってもミルクがふんだんに使われているので苦すぎるということもない。
ふんわりとした優しい味のカフェラテだ。
「美味しい」
ほうと息をついてそう言うと、カイトがこちらを嬉しそうな顔で見ている。
「お客さんの幸せな顔を見られると、俺も嬉しくってね」
その言葉を聞き、この人はソラノと同じタイプだなと直感した。仕事に誇りを持って働いている。ソラノだけではなく、ヴェスティビュールの面々と、そして上司であるエアノーラとも。
「あの、先ほどの……店員さんですよね。何があったか聞いてもいいですか?」
「ああ、恥ずかしい話なんだけどさ」
そうしてカイトは息をつき、語り出した。
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