第196話 王女の出立

前菜:黒麦の野菜クレープ巻き

スープ;さつまいものポタージュ

魚料理;鱈のソテー ベルマンテのソース添え

肉料理;コルドン・ブルー

デザート:フォンダン・オ・ショコラ



 その日のエア・グランドゥールは厳戒態勢が敷かれていた。中でももっとも警備が厚いのは第一ターミナル周辺で、保安部の職員はもとより騎士団の面々も多く滞在しており、一般の利用客は何事かと驚くような事態になっている。

 王族専用の飛行船に乗って空港へと現れたフロランディーテとフィリスの二人はそのまま一軒の店へと向かう。

 扉の前で待っていたソラノは丁寧にお辞儀をした。


「お待ちしておりました」


「お久しぶりね、ソラノ」


「店は変わりないかい?」


「はい、おかげさまでつつがなく営業しております」


 気さくに話しかけてくれる王族を席へと案内すると二人は背筋を伸ばして上品に座る。背後には筆頭護衛のロレッツォが控えており、ソラノと目があうと軽く片目を瞑って

ウインクを投げかけてきた。お茶目なところがある護衛だ。彼は何度か店へと足を運んでくれており、店のサラダニソワーズを気に入ってくれている。本日は護衛のために食事をすることはないが、きっとどんな料理が出るか気になっているところだろう。


「前菜は黒麦の野菜巻き クレープ風です」


「まあ、ガレットではない料理にアレンジしてあるのね」


「はい。一口サイズのクレープの中には自家製のハムとチーズ、マリネにしたビーツとセロリが入っています」


 勿論ここで使っているチーズはアルヴァのチーズではなく、王都で良く食べられているポピュラーな牛のチーズだ。アルヴァのチーズを普通の人に出すのは一か八かの賭けのようなものだし何より入手に苦労しすぎる。

 フロランディーテがクレープを切り分けて口に運ぶ。みるみる間にその表情は綻んでいった。


「しっとりとした生地のクレープにしても黒麦は美味しいのね。中に挟んである具材もバランスが絶妙」


「祖国に帰ったら早速皆にも教えたい料理だ」


 フィリスも気に入ったらしく、フロランディーテよりも早いペースで前菜を食べ進めている。

 こうして二人が黒麦料理を食べていると、懐かしさがこみ上げて来る。

 思えばこの店が新装開店してすぐの春にフロランディーテがお忍びでやって来たのだ。そこから夏を越え、秋をまたぎ、そうして冬がやって来た。来る回数が多いとは言えないけれど、思えば長い付き合いだなと感じた。場所柄職員以外の常連が少ないこの店において、王族という特殊な立場を除いたとしても文字通り特別なお客様だ。


「懐かしいわね、黒麦料理」


「そうだね、フローラ。これを王都で流通させるために色々と手はずを整えたし、こちらのお店にも随分と協力してもらった」


 懐かしさを感じたのは二人も同じらしくそんな会話が聞こえて来る。


「今ではすっかり定着して王都の色々な場所で食べられるようになったと聞いているわ」


「オルセント王国からの輸入も順調だと聞いているから、両国間の橋渡しができる食材になったと考えると嬉しいね」


 穏やかな会話を進める二人の元へソラノは二品目の料理を持っていく。


「お次のスープはさつまいものポタージュです」


 このポタージュで使っているのはホクホクしたさつまいもではなく、ねっとりとした甘みのあるさつまいもだ。丁寧に裏ごしして牛乳と混ぜられて作られたポタージュは優しい味わいが特徴の、冬に嬉しい一品となっている。ソラノも試食してみたがとても美味しい出来となっていた。シンプルさ故に素材の良さが引き立つポタージュだ。

 フロランディーテとフィリスの二人もとても嬉しそうな顔でポタージュを食べている。

 料理はまだまだ続く。 

 

「魚料理は雪鱈のソテーです」


 冬の魚の代名詞である鱈はこちらの世界でもポピュラーで、特にソテーにするとそのふっくらとした身の美味しさが引き立つ。雪鱈というのは身だけでなく鱗が真っ白な鱈の名前で、その美しい見た目とほろほろとした淡い食感からどんなソースにも合わせやすく人気が高い。

 ソースは果実の中でも濃厚な味わいのベルマンてを使用して味にメリハリがつくようにしてある。合わせる白ワインも、鱈の淡白さが消されないような味わいのものにする。


「肉料理はコルドン・ブルーをどうぞ」


 コルドン・ブルー。

 それは鶏胸肉の中に自家製ハムとチーズを挟んで揚げた料理で、シンプルながらも奥が深い料理だ。コルドン・ブルーの名前には「腕のいい料理人」という意味が含まれているらしく、文字通りこの料理はバッシが腕によりをかけて作った料理となっている。

 二人がナイフとフォークを入れれば、揚げたての衣がザクリと音を立てて切れた。

 サクサクと歯切れのいい音が響く。

 そうしてフロランディーテがほう、と感嘆の息をついた。

 

「王宮で頂くコルドン・ブルーと同じか、それ以上に美味しいわね」


「鶏肉の火の通り具合が絶妙で、身がジューシーだね」


 ソラノは振り向いてバッシを見た。カウンター奥の厨房で喜びを抑え切れずにニヤニヤしている。気持ちはわかった。ソラノとしても嬉しい。同じものを見よう見まねで作ろうとしていたレオは、しっかりと挟んでいなかったせいで揚げている最中にチーズが中から出てきてしまって散々な出来栄えとなっていた。「十年早い」と言われて悔しがっていたが、確かにこれを作り上げるには相当な技量が必要なのだろう。

 

 二人の食事は時折会話を交えつつも軽快に進んで行く。時にソラノやバッシなどにも話し掛ける様は二人の気さくさを表しており、どれだけ護衛が厳重に店を見張っていようとこの場だけは和やかな雰囲気が漂っていた。


「デザートにはフォンダン・オ・ショコラをどうぞ」


 冬の初めから試作を繰り返し、マノンにも出したフォンダン・オ・ショコラ。渋みのあるアールグレイとともに出せば、その甘みが心地よいものへと昇華される。


「おや、これは苺?」


 フィリスがお皿の横に盛り付けられた果物に目を留めて意外そうな声を出した。

 

「この季節にはまだ市場に流通していないと聞いているのだけれど、よく手に入りましたわね」


「はい、実は王宮に問い合わせまして……本日お出しする分だけ融通して頂きました」


 ソラノたちは何も、ハウエル用のチーズばかり探し求めていたわけではない。ちゃんと今日の訪問に向けても準備を進めていた。その一つがこのデザートに関するもの。


「せっかくお二人にご来店頂くのですから、なるべく所縁のある食材を使いたいと思いまして」


「それで苺を、ね」


「はい」


 王宮に問い合わせたところ、快く融通してくれ本日の朝に届けてもらったものだ。王宮の魔法温室で育てられたという苺は艶があり大ぶりで、試食用に一つ皆で分けて食べたところ果肉に厚みがありとてもジューシーだった。市井で出回るのは春になってからなのでとても貴重な体験をしたと言える。


「帰国したら食べられなくなると思うと悲しい。苺の栽培がオルセント王国でも可能か試してみるのも良さそうだ」


「栽培方法を城の植物係に聞いてみましょうか」


「教えてくれるだろうか。魔法温室で栽培する作物は希少なものだろうし……」


「あら、こんなに美味しい果物の栽培方法を独占するのは良くないと思うわ。コストがかかるからなかなか一般に流通させるのは難しいらしいけれど、その面で言えば他国の王家ならば問題ないのではなくて?」


「そうだねえ、とりあえず普通の苺の栽培方法を聞いてみようか。完全な魔法管理ではなく日の光と温度湿度を調整できるような温室で、そこまで人手も必要のないものであればオルセント王国でも栽培可能になるかもしれない」


「でしたら連れて行く召使いの中に詳しい者がおりますから、着いたら早速試してみましょう」


 一国の王女の輿入れともなると付随する侍従の数もすごいらしい。なんでも巨大な飛行船に五十名程の侍従を伴って行くらしい。全員が王国に滞在するのかといえばそうではなく、身辺が落ち着いたら半数ほどは引き上げるらしいとは聞いている。

 身一つで異世界に放り出されたソラノとは大違いだ。

 何にせよ、他の国でも苺が食べられるのはいいことだなぁとソラノは思った。あれはケーキに乗せるのに定番の果物なので無いというのは悲しい。むしろソラノの感覚からすれば苺がない国というのは想像だにできない。日本ではケーキ屋に行って苺のショートケーキが売っていないということはありえないし、気軽に食べられる果物というイメージが強いからだ。


「それにしても、苺に合わせたこのケーキも美味しいわね。温かいデザートってそれだけで嬉しくなるわ」


「確かにデザートは冷えているものが多いからこれは珍しい。この国で食べたものだとパンペルデュも温かいデザートに含まれるかな」


「そうね、あれも美味しいわよね」


「オルセント王国では黒麦の粥にベリーや木の実を入れてデザート感覚にした料理もあるから、行ったら是非食べて欲しいな」


「それは楽しみね」


 デザートも終えれば二人の食事はおしまいとなる。名残惜しそうな二人はスプーンを置くと店の面々を見つめた。


「無理に貸し切りにしてしまってすまなかったね」


「いえ、お二人のためならばお安い御用です」


「本当はこっそりお忍びで来て、普通の人に混ざって食事するのがこのお店の醍醐味なんだけれども……それが叶わなくても、こうして思い出のお店でお料理をいただくことができてとても嬉しいわ、ありがとう」


 確かにひっそりと変装してやって来ていた頃の方が生き生きとしていた気もするが、正体がバレバレになってしまった今となっては無理というものだ。それはそうとして、出立前の最後の食事にこの店を選んでくれたというのは純粋に嬉しい。

 記憶に残る料理になってくれたのであればいいな、とソラノは思った。


 席を立った二人を見送るべく店の前まで移動した。


「色々とありがとう。代表して礼を言わせてもらうよ」


「また帰って来たら是非、寄らせて頂戴」


 フロランディーテは本日もラベンダー色の見事なドレスを着こなしている。もう帽子もかぶっておらず、綺麗に編み込まれた銀の髪がきらきらと輝いていた。浮かべる笑顔からはこれから先の生活に対する期待と喜び、そしてほんの少しの惜別の想いが見て取れる。

 ソラノは丁寧にお辞儀をして、見送りの言葉を口にした。

 

「行ってらっしゃいませ、またのお越しをお待ちしております」


 また会う時にはどんな料理をお出ししようか、考えながら。

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