第195話 仮面の男と思い出の味②

「ご馳走様でした」


「は、はい」


 綺麗に料理を平らげたハウエルは涙を拭って立ち上がる。


「あのー、お口に合いませんでしたか?」


「いえ、とても美味しかったです。昔のことを思い出しました」


「あ、そうでしたか。それなら良かったですけど」


 いきなり泣き出したハウエルを警戒してか、トレーを受け取ったソラノが伺うような目でこちらを見てくる。


「そうだ、これ昨日の売上票です」


 差し出して来た紙をちらりと見てからやんわりと押し戻す。

 

「申し訳ありませんが、あとで商業部門の方へと持って行って頂けますか」


「え?」


「ちょっとこれから行かなければならない所があるので」


「そうでしたか」


 紙を引っ込め、トレーを持って流しに行こうとするソラノをハウエルは無意識に呼び止めた。


「ソラノさん」


「はい、何でしょうか」


「ありがとうございます」


 目を見開いたソラノが一拍置いてから笑顔で「どういたしまして」と言ってくる。

 ハウエルも真似てみた。数十年ぶりの笑顔は、うまく笑えているだろうかと心配になったけれど、ソラノはとても嬉しそうにしてくれていた。


 裏口から出たハウエルは職員用通路を歩く。目的地は行き慣れた商業部門ではなく、少し離れた場所に隔離されるように存在している保安部の詰所だ。

 迷いのない足取りでそこまで行くと、扉を開いて中へと入る。


「あれ、商業部門の人? こんなところまで何しに来たんすか。何か困りごと?」


 丁度立っていた茶色い髪の年若い職員が声をかけて来た。ハウエルは意を決して口を開く。


「ーー自首をしに来ました」


「へっ、自首?」


 職員は面食らったように間抜けな声を出す。どうすればいいのかと隣に控えていた職員を仰ぎ見ると、そちらは真剣な表情で頷いた。


「とりあえず、話を聞かせてもらえるかな? 奥へどうぞ」


 その男に促されるままにハウエルは詰所の奥へと入っていった。

 全てを、話そう。

 あの料理を食べてーー失っていた心をほんの少しとりもどす事が出来た。危うくハウエルはこの場所で毒薬をばら撒いて罪なき人々を苦しめるところだった。イオネッタの言うことに疑問を挟むことなく、忠実な部下として働いていたハウエルであったが、既<すんで>のところで思いとどまる事ができたのだ。

 この場所を出ればイオネッタの監視がハウエルの異変に気がつくだろう。そうすればハウエルの命などあっという間に刈り取られてしまう。真相は全て闇の中に消え、また新たな刺客がこの場所を狙ってくる。

 イオネッタの行って来た非合法な振る舞いは数え出せばきりがなく、ハウエルもそれに加担して来た一員だ。今までは街を焼いた魔物を討伐してくれた恩人だと思い、黙って従って来たが、それももうおしまいだ。


 全てを話そう。

 エレナは、自分の夫が犯罪者に成り下がるのを良しとしないだろう。

 そのことを思い出させてくれただけであの料理には十分な価値がある。

 脳裏に浮かんだ気楽そうな給仕係のソラノの笑顔が、亡き妻のそれと重なった。



+++



「ハウエルさん、空港辞めちゃったらしいですね」


「おー、らしいな。ガゼットさんも昨日聞いたばっかりだって驚いてた」


 お皿を拭きながらソラノはレオと雑談を交わした。夕食のかきいれどきが過ぎた店の中では常連を中心にお酒を楽しむ人々が腰を落ち着けていた。やはりこれから寒風吹きすさぶ外へ行く前に少しでも暖を取ろうと想う人が多いのか、ヴァンショーの注文が多い。

 バッシ特製のヴァンショーは評判が良く、白も赤もどちらもたくさん売れている。


「せっかく笑ってくれるようになったのに、残念」


「お前せっかく色々と手を焼いてたのにな」


「ハウエルさんって、例のここの店で働いていた商業部門の人?」


 カウンター席にいたデルイが声をかけて来たのでソラノは頷く。


「はい。つい昨日までお弁当売ってたんですけど、今日になって辞めたって話をガゼットさんにされて……」


「おかげでこっちは大忙しだったぜ。ったく、辞めんなら事前に知らせてくれっつの」


 レオが眉間にしわを寄せて息をつく。まあ確かに今日は大変だったらしいということは、出勤時の状態を見れば一発でわかった。人員が常にギリギリなため一人欠ければ大わらわだ。

 そんなこちらの状況を察したらしいデルイは、苦笑気味に言葉を発する。


「まあ、その人にも何か止むに止まれぬ事情があったんじゃない?」


「にしてもよぉ、昨日の今日で辞めるってどういう事なんだ」


「そういう事もあるよ。本人にとっても予想外だったんだろう」


「えー、冒険者じゃあるまいし。普通に働いててんな事あるかぁ?」


「あるある」


「なんか……デルイさん、ハウエルさんの事庇ってます?」


 ソラノが拭いていたお皿の間からひょっこりと顔を覗かせ、デルイの事をうかがい見た。デルイは少しギクリとする。


「そんな事ないよ、人には人の事情があるんじゃないかって話」


「ふーん……」


 少し疑うような目線を送ってくるソラノをデルイは笑ってやり過ごした。何か怪しいな、と思ったけれども多分これ以上は話してくれないだろう。デルイが関わっているとなると話はきな臭くなるがソラノが首をつっこむようなことでもあるまい。ハウエルさんはいい人だった、でソラノとしては終わりたかった。


「で、また誰か臨時で雇うの?」


「いえ、もうマキロンさんの状態が大分いいので明日からは復帰してもらう予定です」


「そっか、よかったね」


「はい」


 明日からはいつも通りの日々に戻る。無表情な、それでいて最後に見せてくれたぎこちない笑顔の持ち主のハウエルはどこかに去ってきっともう顔を合わせることはないのだろう。一抹の寂寥感を感じつつもソラノは切り替えるために話題を変えた。


「王女様のご来店も近いですし」


「ああ、それもあったね」


 正式な来訪となっているので、この店にフロランディーテが来るのは保安部でも把握済みだ。当日はまた店を貸し切りにして警護も万全な状態となる。


「バッシさんが腕によりをかけた料理を用意しているんですよ! 訪問が楽しみです」


「当日は俺も第一ターミナルの警護にあたる予定だから、万に一つも事件は起こらないようにする。安心して接客してね」


「はい!」


 ソラノの知らないうちに事件は未然に防がれた。捕縛されるのはハウエルだけではなく、供述次第で事は王都に滞在しているイオネッタにも及ぶだろう。その事実を知るのは、行き合ったハウエルから事情を聞いたデルイとスカイ、そして騎士団の面々。

 ソラノの記憶に残るのは商業部門に勤めていた、少々愛想のない事務職員の男のことだけだ。

 これからは黒麦を見ると、きっとハウエルのことも思い出すのだろうなとソラノは思った。


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