第20話 ノブ爺からの頼み

 エア・グランドゥール空港の第一ターミナルにカウマン料理店という店がある。隅っこに位置する店の外観はくすんだ灰色の壁紙にあちこちが割れた木の扉、曇った窓ガラスという如何にも流行らなさそうな店構えだった。内観も壁紙があちこち剥げ、テーブルも椅子も脚がすり減ってグラグラするし、切り盛りする牛人族の夫妻も六十代という年齢のせいか新しいことを思いつく事なくただただ衰退する店の中で歳を取っていくだけだった。実際ほんの少し前まで客の一人も来ず、閉店寸前に追い込まれていた。


しかし今、この店を取り巻く環境は劇的な変化を迎えている。


「コロッケパン二つ貰えるかな?」


「はい! いつもありがとうございます、ジョセフさん!」 


「ソラノちゃんの笑顔に朝から元気貰えるわぁ」


「今日もお仕事がんばってくださいね」


 開店中も常時締め切られていた窓と扉がいまや開け放たれ、そこから明るい笑顔と元気な声が特徴の、異世界人特有の珍しい黒髪をまとめた可愛い女の子が顔をのぞかせている。

 このカウマン料理店が最近始めたサンドイッチが安い、うまい、手軽と話題を呼び、あまり金のない冒険者や空港の職員に人気となっている。メニューも増えて現在四種類、コロッケパンにローストビーフサンド、照り焼きチキンにハンバーグサンドとボリュームたっぷりのラインナップだ。もはやサンドイッチ店のようになっているが気にしてはいけない。店の存続がかかっているのだから売れたもん勝ちだ。それに最近では、店の中に入る客もちらほらいた、

 

 売り子のソラノもひそかな人気を呼んでいる。彼女に会いたくて店に通う空港職員だっていた。あわただしい旅立ち前に声をかけられ、思わず買ってしまう冒険者も後を絶たない。たとえ作っているのがいかつい牛顔のおっさんだとわかっていても、可愛い売り子の女の子が手渡してくれれば脳内で「ソラノが作った」と都合よく変換されるのが男というものだ。

 少し前に服装を一新したのも良かった。それまでのシンプルでどちらかといえばボーイッシュな格好も良かったが、王都の中心街で買った流行りの服はよく働くソラノの動きを邪魔しながらも可愛らしく、年頃のソラノの魅力をさらに引き立てている。 

 そんなことを知ってか知らずか、ソラノは今日も店の顔として店頭で頑張って接客をしていた。

 ちなみにソラノはただの売り子ではない。この店を変えるきっかけを作った立役者だ。空港利用客と空港職員の潜在的ニーズを掘り起こし、新商品を売り出し、見事に成果を勝ち取った敏腕マネージャーだ。バイト代もでてウキウキだった。


 そんなカウマン料理店に、一人のお客が訪れる。つなぎのくたびれた作業服を着て、片足を引きずった白髪の老人だ。ソラノが笑顔で声をかける。


「いらっしゃいませ! サンドイッチのお買い上げですか?」


「いや、今日はカウマンさんに用があってな。中、入るぞ」


「はいっ」


 ソラノは店の入り口から一歩退き、男が入りやすいようにする。


「こんちは、カウマンさん。久しぶりだな」


「おお、ノブ爺!久々じゃねぇか」


 オーブンからパンを取り出したばかりのカウマンがミトンを外しながら言う。どうやら知り合いのようだ。


「ビーフシチュー頼むわ」


「あいよ」


 カウマンの得意料理は牛肉料理だ。他の料理もおいしいが、牛肉を調理させたら右に出る者はいない、と豪語している。彼は牛人族という種族で牛とは遠い昔に進化の過程で分かたれているので、牛とはいわば親戚にあたるのだが、彼の調理に使う牛肉は暴走牛とよばれる魔物の肉を使っている。魔物は人類を襲う敵なので遠慮なく調理できるらしい。ソラノも最近知った事実だ。


「息子はどうしてんだ?」


「王都のレストランで働いてるよ。ここで働こうにも、客なんか来なかったからな。最近じゃ酒の勉強してるらしい」


「ノブ爺さん、今日はどうしたんだい?」


 カウマンの妻であるマキロンが水を差し出しながら言った。彼女も牛人族なので初見ではその牛そのものの顔のインパクトに大層驚いたソラノだったが、今ではもう慣れてしまった。ずんぐりした体つきも、まあアリかなーと思っている。何より二人ともとても優しいので、そんな見てくれなどどうでもいい。


「いや、最近頑張ってるって話を聞いてな」


「ああ、店の前にいるソラノちゃんのおかげだ」


 ビーフシチューをよそいながらカウマンが言う。コトリとカウンターに出されたそれに、ノブ爺と呼ばれた男はスプーンを突っ込み、口へと含んだ。硬いだのパサつくだのとあまり評判の良くない暴走牛の塊肉はとろりとシチューの中で溶け、歯が無くとも食べられるほどに柔らかい。具材の野菜も煮込む過程で形が無くならないよう大き目で、しかし面取りがきちんとされているので歯触りが優しい。


「相変わらず旨い飯だしてんだな」


「俺にできるのは料理くらいだからよ」


「やる気もだしたのか」


「まあ、お嬢ちゃんががんばってくれんだ。応えないわけにゃいかねえだろ」


 ノブ爺は続いて出てきたライスを頬張る。普通はバゲットだが、ノブ爺には白米を出すと昔から決まっている。店の土鍋で炊いているご飯はふっくらツヤツヤとしていて、かみしめるほどにご飯の甘さを感じられる。ソラノも大好きな一品だった。


「じゃ、俺から一つ頼みがあるんだがよ。ソラノちゃんだったか」


 ノブ爺が店先にたたずむソラノへと声をかける。ソラノは振り向き、返事をした。


「同郷のよしみだと思ってお嬢ちゃんも聞いとくれや」


「はい?」


 首をかしげるソラノの何がおかしかったのか、ノブ爺は口の端を持ち上げ少し笑った。


「俺の本名は佐々木 信男ってんだ。四十年と少し前にこっちの世界に飛ばされてよ。以来ここで船の技師として働いてる。お嬢ちゃんみてたらあっちの事が懐かしくなってなあ」


 そこでいったん言葉を区切り、もう一口ビーフシチューを口に運んだ。ゆっくり咀嚼した後に再び口を開く。


「なに、そう難しい話じゃねえ。弁当、やってくんねえかと思ってよ」

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