第127話 クレープ生地の作り方①

 カイトのカフェは中心街の飲食店が立ち並ぶ区画から一本入った道にあった。一つ道を外れるだけで随分と静かな空気になる。とは言っても決して治安が悪いと言うわけではなく、ここは飲食店で働く人々が住まうアパートが並ぶ区画のようだった。

 まだ朝早い時間帯、街にはこれから仕事へと向かう人たちがちらほらとアパートから出て街路を歩いている。

 一階をカフェ、二階をカイトの住まうアパートとして間借りしていると聞いている。事前にミルクレープを作るところを見たいと連絡を取っており、迷惑にならないよう開店前の店にお邪魔することとなった。

 本日同行者はいない。ヴェスティビュールは営業日なので午前勤務のカウマン、マキロン、レオは出勤して働いているし、バッシは市場へ行った後に午後の勤務に備えているはずだ。ソラノは一人、カイトのカフェへと赴いて何かしらのヒントを得て帰ることになっている。


「おはようございます」


 黒塗りの扉を開くと中はコーヒーの香りでいっぱいだった。ヴェスティビュールとは異なる一直線の長いカウンターの横にガラスのショーケース、隅にテーブルが数席。小ぢんまりとしている。

 内装も黒と濃い木目で統一されており、全体的にこの王都では珍しくスタイリッシュだった。カイトはずっと自分の店を持ちたかったらしいのでこれは日本にいる時から考えていた内装なのだろう。


「おはよう、久しぶりだね」


「おはよ、お待ちしていたわよ」


 揃いの黒いエプロンに白シャツを身につけたカイトと猫耳族のマノンが挨拶を返してくれた。


「朝も早くからすみません」


「いいや、俺も興味あったからね、ガレット作り」


「私もよ。でも黒麦が美味しい料理に変わるなんてにわかには信じられないわね」


 手を腰に当て疑い深そうにソラノを見つめるマノン。フォローを入れたのはカイトの方だった。


「黒麦に偏見がある話は聞いたけど、ガレットは美味しいよ。特に卵、ハム、チーズが入ったガレットはガレット・コンプレットと呼ばれていて有名な料理だ」


「カイトさんはコーヒーだけじゃなくてガレットにも詳しいですね」


「コーヒーとのペアリングを探して古今東西のいろんな料理を試したから」


「もしかしてレシピ、知っていますか?」


「残念ながら、作るのは全部石田ってやつに任せていたから知らないんだ。俺が作れるのはパニーニくらいだよ」


「そうですかぁ……」


 ここでカイトが正解を知っていれば話は早かったのだがそうは問屋がおろさなかった。知らないならば仕方がない、当初の予定通りにミルクレープからヒントを得よう。


「にしてもガレットがないのにクレープがあるっていうのは面白いな」

 

「どうしてですか?」


「だって地球だとガレットから着想を得てクレープが作られたんだろう」


「そうなんですか? 知りませんでした……」


 知らないことだらけのソラノと異なりカイトは博識だった。ミルクレープとガレットの歴史にまで精通しているとは驚きだ。こちらの世界ではミルクレープを伝えた人間がいて、ガレットを伝える人間がいなかった。そういうことなのだろう。


「じゃあいいかしら、開店準備もあることだし奥で早速クレープ焼くわよ」


「はい」


 マノンについて厨房の方に入り、そこでクレープの焼き方を教わる。見慣れぬ、平たく縁がないフライパンのような鉄板とヘラ、そしてT字型の変わった道具。


「これで焼くんですか?」


「そうよ、クレープパンっていうの。普通のフライパンだと焼きムラが出るからね。で、生地なんだけれど一晩寝かせたものを使うわよ」


 マノンは言いながら冷蔵庫代わりとなっている魔法石で冷却している箱から銀色の容器を取り出した。蓋を開けると中にはたっぷりとクリーム色の生地が入っている。


「寝かせるんですか?」


「そうよ、そうしないと材料がうまく馴染まないし、広げた時に薄く均一に広がらないのよ。焼いた時の色も変わっちゃうしね」


 言いながらマノンは慣れた手つきでクレープパンを熱し、バターを塗り広げた後におたまで生地をすくって流す。


「あっという間に焼けちゃうから生地は素早く均すのがポイントよ」


 T字のヘラをクレープパンの中心に置き、くるりと手首を返しながら円を描く。


「で、焼けたらそーっと持ち上げてひっくり返す」


 すっと木ベラを差し込み、勢いをつけて返すとそこには均等な焼き色がついたクレープ生地の姿が。


「すごい、まさにプロの技ですね」


「ふふん、まあね」


 褒められたマノンは嬉しそうに胸をそらす。


「このクレープパン?は普通に売ってるものですか?」


「問屋街に行けば誰でも買えるわよ、後で行ってみるといいんじゃないかしら」


 言いながらもマノンの眼差しはクレープに注がれたままだった。頃合いを見計らって木ベラを差し込み、お皿に移して一言。


「はい完成よ」


「おー」


 ソラノは出来上がったクレープ生地を見て拍手を送る。丸くきつね色に焼けた生地、材料に大きな違いがあるもののそれはソラノが理想としていた出来である。


「私もやってみていいですか?」


「いいわよ、どうぞ」


 少しでもコツを掴みたく、ソラノは時間が許す限りにミルクレープを焼いてみる。


「生地を伸ばすのが難しいですね」


「最初は丁寧に伸ばすのを心がけたほうがいいわ」


「穴が開くんですけど……」


「もっと均一にしないと」


 マノンの指示により四苦八苦しながらミルクレープを焼いていく。出来上がりは生地がボコボコしていたし、焼きムラがものすごい。


「全然マノンさんが作ったものと違う……」


「一朝一夕でできるものじゃないわよ。私だってここまでたどり着くのに二年はかかったのよ」


「二年も? この生地を作るのにそんなに大変な思いをしたんですか」


「お菓子職人のお祖父ちゃんの受け売りでね、本当に納得したものしか店に出さないの。このミルクレープは久々の新作だったのよ。私、レパートリーが少ないから。今は苺が手に入らないから普通のミルクレープを出してるの」


 はぁ、と感心した声を出して話を聞く。皆、何かを作り上げるのに苦労しているんだなとしみじみ実感した。レシピを知っていればできる、という単純な事ではない。一つの納得した料理として店に出すには、気の遠くなるほどの研究が必要となるのだ。


「焼きたてのクレープも美味しいからちょっと食べてみて」


 渡されたクレープをかじってみると、熱々のミルクレープは薄くて生地の端がパリパリ、けれども適度な弾力があって破けづらいというまさに理想の出来栄えとなっている。


「パリパリでモチモチですね。これが黒麦でも上手く再現できるといいんですけど」


「どうかしらねぇ。黒麦と小麦じゃあ全然違うから。でも作らないといけない状況に追い込まれた以上、作るしかないわよね」


「もう少しなんですよ。生地が上手く配合できたので、寝かせる手間とこのクレープパンがあれば完璧に再現できる気がするんです」


 何となくコツを掴んだのと開店準備の時間が来たのがほぼ同時刻で、ソラノは世話になったお礼に開店準備を微力ながら手伝った。

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