第80話 キャロットラペとほうれん草のキッシュ

本日のおすすめ

前菜:キャロットラペとほうれん草のキッシュ

スープ:人参のスープ

魚料理:サーモンのパピヨット

肉料理:豚肩ロースのブランケット



「んっ?」


 いつもとは違う声に迎え入れられたデルイは若干混乱した。妖樹と相対しても冷静であった彼にしては珍しい出来事だ。見ればカウンター内に見慣れぬ高身長の男が立っているではないか。後ろに乱暴に撫で付けた金髪と鋭い目つきも相まって無駄な威圧感を与えている。誰なんだ、と思っていたらソラノがそっと男に駆け寄り注意をしに行く。


「レオ君、違う違う。「いらっしゃいませ」だよ」


「いらっしゃいませ!!」


「そんなに声を張り上げなくていいよ……もう一度、せーの」


「い、いらっしゃいませ」


 先ほどの威勢の良さが若干なりを潜め、ぎこちない笑顔と共に挨拶をしてくる。とりあえず片手を上げて挨拶を返しておいた。


「デルイさん! お疲れ様です。お久しぶりですね」


 ソラノがパッと明るい笑顔で声をかけてくる。


「まーね。俺に会えなくて寂しかった?」


 いつもの決まったカウンター席に座ってそう軽口を叩けば、ソラノが少し照れたように言った。


「ちょっとだけ。デルイさんが来ないと変な感じがします」


「あ、本当? 相変わらずソラノちゃんは可愛いな」


 以前は照れていて逃げるばかりだったソラノが最近少し自分の感情に素直になってくれてデルイとしては嬉しい限りだ。


「俺の存在を忘れないでくださいよ」


 スカイが会話に入って来たことでソラノが申し訳なさそうにし、そして仕事モードに切り替わる。


「注文はどうします?本日のおすすめは前菜がキャロットラペとほうれん草のキッシュ、

スープが人参のスープ、魚料理がサーモンのパピヨットで肉料理が豚肩ロースのブランケットですよ」


「じゃあ前菜からで。とりあえず白ワインと、あとはおまかせ」


「はーい」


 こちらの予算感を知っているソラノにそう言っておけば、バランスのいい料理を提供してくれるので楽だった。デルイは一人だと食生活がかなり適当でソラノに何度か怒られたことがある。


「ところで後ろで皿洗ってる奴だれ?」


 キンと冷えた白ワインを口に含んでからソラノにそう尋ねてみた。三日ぶりのワインが疲れた体に染み渡る。スカイが隣で「カァーッ」と声を上げていた。


「昨日から新しく働いてもらうことになったレオ君です」


「昨日? それはまた突然だね」


「はい、突然のことだったんです。でもマキロンさんが腰痛で、人を雇わないといけなかったから丁度良かったんです」


「何でこんな場違いな男にしたの?」


 雇うにしたってもう少し人を選んだ方がいいのではないかと思ってしまう。さっきの挨拶の仕方といいとても品のいい店で接客するタイプの人間ではない。失礼だが彼がホールに出て来たらかなり違和感があるだろう。ソラノはその疑問に珍しく言葉を濁した。


「色々ありまして。根は真面目な人だと思うので頑張れば大丈夫ですよ」

 

 そして続けて、お待たせしました。と料理を出してくる。


「ほうれん草のキッシュとキャロットラペです」


「ありがと」


 コトリと置かれた四角いプレートには八等分に切られたキッシュが一切れと小皿に盛られたオレンジ色のキャロットラペ。キッシュにフォークを刺してみる。甘みを抑えたキッシュの生地に乗ったほうれん草、ベーコン、玉ねぎ。それらが生クリームと卵で包み込まれており、食べるとクリーミーな味わいが広がった。


 続けてキャロットラペ。こちらは白ワインビネガーに浸かった人参がさっぱりとしており、食べやすい前菜だった。シンプルなビネガーとエリヤ油、塩胡椒のみで構成されたドレッシングが人参の素材の良さを引き立てている。

 相反する二つの前菜の盛り合わせに、手が止まらなくなった。


 デルイはすっと目を細め、食べながらもレオと呼ばれたその男を観察した。カウンターの奥、わずかに見える洗い場で必死に皿を洗っている。洗う手にはタコがついていて、めくり上げた腕には無数の傷跡がついており、まっすぐに立っているつもりだろうが重心がやや右に傾いている。掌についたタコの特徴から剣を握っていた手とすぐわかった。右利きで、戦闘時は両手剣。盾は持たない。重心が傾いているのはおそらく左足に怪我をして無意識に庇<かば>って歩いているからだろう。そして全体的に筋肉のついた引き締まった体つき。身長がある分、細身のデルイよりよほどガタイがいい。


 何でそんな奴がこの店で働くことになったのか。デルイは推察する。


 ソラノは雇用理由を言わなかった。とすれば多分、保安部で働く自分には言えないような理由。

 結論として、冒険者をやっていたが足の怪我が災いして引退せざるを得なくなり、この店で食い逃げでもしようとしたところをとっ捕まって働かされている、といったところだろうなとデルイは思った。

 嫌々働いている感じはしないから大方ソラノにうまく丸め込まれたのだろう。あんまり考えて動くタイプの人間じゃないな。


 ここまで考え、デルイは次の展開を予測して整った顔をかすかに歪めた。いつまで働くのかは知らないが、ずっといるのであれば面倒なことになりかねない。ソラノは魅力的だ。贔屓目もあるだろうが、人を惹きつける力を彼女は持っている。


ーー牽制しておこう。


 この男にソラノが特別な感情を抱くことはまあ無いだろうが、逆はどうかわからない。この手のタイプは見境がなくなると力づくでどうにかしようとする傾向があるから早めの対処は欠かせなかった。


 そこまで考え、デルイは白ワインを飲み干して朗らかにレオを呼んだ。


「レオ君だっけ。そこの棚の上から二番目の白ワイン取ってくれない?」


 扉がガラス張りのワインセラーには何本ものワインが寝かせて保管されている。指定したワインはデルイの好みの銘柄だった。


「え? これ?」


「そうそう。注いでもらえる?」


 ワイングラスを差し出せば、たどたどしい手つきでコルクを抜いてワインを注ぎ入れて来る。


「っと」


 慣れぬレオはワインを切り上げる時につつー、とボトルの口から雫を溢れさせていた。ポタリ、とカウンターにワインが垂れ落ちる。


「すんません」


「いいよ」


 そう言って、デルイは人好きのする笑みを浮かべたまま若干腰を浮かせた。身を屈めているレオの耳元に口を寄せ、彼にしか聞こえない声でそっと告げる。


「ーーソラノちゃん、俺の彼女だから。惚れないでね」


「えっ!!??」


 店中に響き渡る素っ頓狂な声をレオが出した。デルイは長めの前髪から瞳を覗かせ、先ほどとは異なる不敵な笑みを浮かべる。


「えっ!!?? そういう関係!?」


「うん」


 満足したデルイが腰掛け、キャロットラペをもう一口放り入れた。程よい酸味が染み渡る。生であるが故のシャキッとした食感が口に心地よい。

 隣のスカイがキッシュを口に入れながら、あーあ、とでも言いたげな顔をしている。

 

「先輩は結構容赦ないっすよね」


「当たり前だ。どんだけ苦労したと思ってんだ」


「ちょっと、何事? お店であんまり大きい声出さないで、お客さんがびっくりするよ」


 ソラノがキュキュッと目を吊り上げて注意しにきた。それにはデルイが答えておく。


「いや? 別に何にもないよ」


「ええ? それにしてはすごい声がしましたけど……」


 レオは口をパクパクさせながらソラノとデルイを交互に見つめている。そんなに驚くことだろうかと思ってしまった。


「まあ、いいや……レオ君このお皿もよろしくね」


「お、おう……」


 ソラノはたった今下げてきたお皿を手渡す。レオは未だ衝撃を受けているようだったが、持ち場に戻っていった。デルイは注いでもらったワインを飲む。グラス一杯分にしては若干量が多めだ。




 先日のデートは上手くいった。本人たちと、周囲が望んでいた通り二人の関係には明確な変化が生じている。それによって生活に変化があるのかといえば、別にないのだが。

 ソラノの休みは週に一度だしデルイの仕事はシフト制で不規則だ。一緒に居られる時間はこの店で過ごす時間の方が多いと言ってもいい。しかし気持ちの面では大分違う。それとともに、誰にも渡したくないという思いも強く感じるようになった。


「前菜、うまいなー」


「そっすね」


 キッシュはキャロットラペと違ってもったりとした濃い味わいだった。口の中に、クリームの味がいつまでも残る。さっぱりしたラペとの組み合わせが抜群だ。咀嚼しながらデートの時のソラノを思い出す。


 星空の下、常とは違う空色のドレスに身を包み、はにかむ彼女はいつも以上に可愛らしかった。

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