第236話 アーニャの受難③
「いらっしゃいませ」
柔らかなオレンジ色の光が交差する店内で、モスグリーンのワンピースを着た給仕係のソラノがアーニャとロベールを迎え入れる。いつもながらの笑顔に出迎えられても、アーニャの心は安らがない。なぜならば今のアーニャは仕事中だからだ。
ソラノはアーニャを見るといつも親しげに話しかけてくるのだが、本日は連れがいるので接客スタイルを崩さない。
「お二人様でしょうか? テーブル席でのご案内を……」
「いや、カウンター席でお願いしたい。そちらの席に座ってもいいか」
ロベールが言うと、「かしこまりました」とソラノが素早く案内をする。アーニャは内心で胸を撫で下ろしていた。殿下と二人で向かい合って座るなど恐れ多いし、一体何を話せばいいかわからない。その点、カウンターで横並びならまだしも緊張感が薄れる。
カウンター内にはソラノも、シェフであるバッシやレオもいるし、適宜気の利いた接客をしてくれる。
そしてこれが何より大切な事だが、オーラ漂う殿下の顔面と向かい合わなくて済む。
ロベールは紫の瞳と銀の髪を持つ美丈夫であり、まるで彫像のように整った顔をしている。保安部に勤め、店の常連客であるデルイも顔立ちに関しては相当なものだが、ロベールはベクトルがまた異なるタイプの美形だった。
「本日のオススメは、前菜にグリーンピースのカナッペ、メインに豚肉のポピエット、メルルーサの香草パン粉焼きでございます」
「ならばポピエットと赤ワインを頂こう。君はどうする?」
「私はグリーンピースのカナッペと白ワインで……」
「かしこまりました」
問われたアーニャはメニューも見ずにロベールに倣った。ソラノは頭を下げて去って行く。
ソラノは恐らく、ロベールが何者か気がついた上でこのような接客をしている。
何せ以前、ロベールの実の妹である国の姫、フロランディーテが現れた時も動じずに接客をしていたのだ。どことなく顔立ちが似ており、帽子の隙間から少し見える特徴的な銀髪を持つロベールの正体など見破っているだろう。
その度胸、私にも分けて欲しいわとアーニャは切に願う。身に染みついた身分意識というのはなかなか取れそうにない。
運ばれてきた赤ワインを飲みながら、カウンター内に目をやるロベールにアーニャはおずおずと話しかけた。
「あの……殿下。なぜカウンター席に座ったのですか?」
「ん? 厨房の様子を見たいからだよ」
ロベールは紫色の瞳でアーニャを軽く見てから、当然のように言う。
「厨房を見れば、一体どのような店なのかがわかってくる。裏作業までも全て筒抜けの作りのこの店では、一瞬たりとも油断ができない。シェフがどう調理し、給仕係がどう動くのか。それを見ることも『視察』と呼ぶ」
「なるほど……」
そう言われてみれば、ロベールは先のパン屋でも工房の方へと入って行っていた。経営陣に名を連ねるような人物は、やはり自分とは考え方が違うのだとアーニャは思った。
「お待たせいたしました、豚肉のポピエットとグリーンピースのペーストでございます」
ソラノがアーニャとロベールの前に、それぞれ皿を置く。
アーニャの目の前には、四角いクラッカーの上にグリーンピースのペーストが綺麗な形に絞られ、ちょこんと三つほど乗せられていた。絞り袋を使っているのだろう、まるでケーキの生クリームのように整った形をしている。
一方のロベールの目の前には豚肉のポピエット……薄切り肉でタネを巻いて筒状にし、火を通した料理が運ばれてきていた。
ポピエットの大きさは店や家庭により様々だが、今回出てきたものは大きめに作られており、それを店側が切って断面が見えるように盛り付けてある物だ。肉ダネの他に細かく切られた野菜が入っているようで、カラフルな断面が目にも楽しい。
「ポピエットの中身は豚ひき肉と野菜、ハーブを混ぜたタネとなっております。ごゆっくりご賞味くださいませ」
ソラノが言うと、ロベールは早速ポピエットをさらに一口サイズにナイフで切り分け、食べる。食事所作が美しいのは、さすが王族といったところだ。先のパン屋でも、ただパンを食べているだけなのに動作が洗練されていた。
「君は食べないのか?」
「いえっ、頂きますっ」
ロベールに促されたアーニャが慌ててナイフとフォークを手に取り、自分の分の料理に取り掛かった。
クラッカーならば手で持って食べるべきなのだろうが、思わずナイフとフォークを手にしてしまったのでそのまま切り分けて食べることにする。そっと半分に切った前菜を、こぼさないよう震える手で持ち上げて口に運ぶ。
サクッとしたクラッカーの少しの塩気、それから風味豊かなグリーンピースの味わい。
春にしか食べられない新鮮なグリーンピースをふんだんに使ったペーストは、豆の味がダイレクトに伝わってくる。少しねっとりした食感で、一緒に供された白ワインにもよく合う。
パン屋三軒のハシゴで胃ははち切れそうだったが、これならばなんとか食べきれそうだった。
ロベールはポピエットを味わいつつ、カウンター内にいたソラノへと話しかける。
「仔牛のポピエットならば食べるが、豚肉というのは珍しい。どういう経緯でこの料理を作ったのか知っているか?」
「はい。当店のシェフは見ての通り、牛人族でして……家畜の牛を調理しない、というポリシーを持っています。牛系の料理に使っているのは全て魔物の肉でして。今回ポピエットを作るにあたりどの肉が最も適しているかを吟味し、結果豚肉に落ち着いた次第でございます」
「成程な。表面のカリッとした薄切り肉、中のジューシーな肉ダネ……ボリュームのある一品だ」
ロベールは納得したように頷く。それからアーニャの方を見た。
「君は前菜だけでいいのか? 腹が空かないのか」
「いえ、先ほどパンを沢山頂いたので……」
「そうか、ならば良いが」
細身の見た目のどこにそれほどの食べ物が入っていくのか。ロベールはボリューミーなポピエットをスイスイと食べ進め、赤ワインのおかわりを頼み、口にしていた。
「ご馳走様」
やがて食べ終えたロベールとアーニャは席を立つ。支払いをしようと財布を取り出したアーニャだったが、ロベールがスマートに支払いを済ませてしまった。
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
ソラノの声に見送られ、アーニャとロベールは店を後にする。
「なかなか良い店であった。また来よう」
「左様でございますね……」
「君はあの店によく行くのかね」
「はい。給仕係のソラノとは仲が良いですし、居心地がいいので」
「ふむ。確かに中央エリアにある店とは異なる居心地の良さがあった」
ロベールは顎に手を当て、思案する。
「食べておいた方がいい、オススメのメニューはあるか?」
「そうですね」
言われてアーニャは考えた。ヴェスティビュールのオススメ。季節によって色々な料理を出す店であるが、やはりアーニャのオススメといえば、これだ。
「ローストビーフが美味しいです」
「ほう、ローストビーフ」
まだ店がうらぶれていた頃、最初出されたローストビーフの味には驚いたものだった。
「暴走牛の肉を使っているんですけど、冷めていても驚くほど柔らかくしっとりしていて……同じ暴走牛の肉を使ったビーフシチューも美味しいと評判です」
言ってから、しまった、と思う。
高貴な身分のロベールに庶民の食材の代表格である暴走牛をおすすめするとは、なんたる失態。もっと高級食材をアピールした方がよかったかしらと焦るアーニャを気にも止めず、ロベールは深い納得顔を見せていた。
「暴走牛を使ったローストビーフとビーフシチューか。それは興味深い。よし、次はその二つを食べに行こう」
「同時に、でしょうか」
「同時にでも良いな。ポーピエットが美味かったから、次も期待が出来る。いい店に行き合った」
満足げなロベールを見ていると、なんだか親しみが湧いてきた。
アーニャもお気に入りの店であるヴェスティビュールを手放しで褒められると、嬉しい。
「では、エアノーラによろしく頼むぞ。アーニャ君」
「はい、本日はご足労いただきありがとうございました」
職員通路を進み、中央エリア下の事務フロア前でロベールと別れる時に挨拶を交わし。
アーニャはロベールに最敬礼の姿勢を取って彼がその場から去るのを待った。
「よし」
顔を上げたアーニャは、やる気にみなぎっていた。
春のエア・グランドゥールは忙しい。花まつりを目当てに外国からの旅行客がわんさとやってくる。それにより店を訪れる客も増え、必然的に商業部門も王都の熱狂を間接的に感じる。
ひとまず、やるべき事をやろうと胸に近い、アーニャは事務フロアの自分のデスクに向かって歩き出した。
+++
今月はコミカライズの更新はありません。
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