二年目・夏編

第109話 マグロのオイル漬けサンドイッチ

「お疲れ様っす」


「お疲れ様、あ、レオ君ちょっと待って」


 仕事が終わったレオが帰宅の途に着こうとしたところをソラノが呼び止める。店の奥の戸棚から何かを取り出してレオに差し出してきた。


「はいこれ、どうぞ」


「ああ……」


 それはこの店で働く時に没収されていた冒険者証書だった。

 色あせた茶色の革製ケースに入ったそれはくたびれてヨレヨレしている。かつて肌身離さず大切に持っていた証書がこんなにも薄汚れたものだったとは。久々に見たそれに、少し驚く。


「お疲れ様」


 もう一度言われた言葉にいつもとは違う意味がこもっていることにレオは気がついた。証書を受け取り、「ああ」と返事をした。


「レオ、今日サンドイッチ余ったから持って帰んねえか?」


 奥からバッシが声をかけてくる。


「いいのか?」


「食べてもらった方が有難い」


「じゃ遠慮なくもらっていく」


「そう来ないとな」


 紙袋に入ったサンドイッチは一つではなく、おそらく五、六個。本日の賃金とともに受け取る。


「じゃ、またな!」


「お疲れ様っす」


 未だ開店中の店で仕事に勤しむソラノとバッシに同じ言葉をかけると、もらったサンドイッチを抱えて家路へと着いた。



「ただいま」


「おかえり、レオ」


「兄ちゃん、おかえり」


 レオの実家は郊外の城壁門にほど近い商店街の一角に存在していた。

 大通りは宿や大型の酒場が軒を連ねており、ここは一本裏に入った場所だ。

 一階では薬草店を営んでおり来る客は錬金術師や回復師といった補助職の人々だった。

 グランドゥール王国には様々な場所に多様な薬草が生えているが、それを毟<むし>ればすぐさま材料になるわけではない。ギルドは冒険者に薬草採取を依頼するが、その採取した薬草の加工をし、売るのは薬草店の仕事だ。地味だが時間がかかる仕事なので専門で請負えばそこそこに儲かる仕事だった。

 店の場所が王都の城壁門のすぐ近くなので、馴染みの客は直接薬草を持ってきては処理の依頼をしたりする。その方がギルドを通して手数料を取られないので店側としてもありがたい。

 店を閉めて後片付けをしている母親と弟に話しかける。


「もう飯食った?」


「これからだよ」


「じゃ、サンドイッチもらったから俺が用意しておく」


 驚いたように二人の顔が薬草の束からレオへと視線を注がれる。それを気にせず二階の住宅部分に上がれば、狭い我が家が現れた。

 十三歳の時に出て行った家にこんな形で戻って来ることになろうとはまさか思ってもいなかった。年季の入ったキッチンに立ち、野菜をざく切りにしていく。旨味を出すためにベーコンも入れよう。手早く作るのはスープだ。カウマンやバッシが作るものとは異なり、大雑把な切り方に大雑把な味付け。

 次に貰ったサンドイッチを取り出す。綺麗に紙に包まれたそれを一つ一つ取り出していくと、一つだけ薬剤が挟まっているサンドイッチがある。抜き出して開いてみると、少し癖のある丸文字で一言。


 試作品だよ、温めてから食べるとより美味しい!


「ソラノだな」


 誰なのかが一発でわかる文体にフッと笑みがこぼれた。書かれている指示通りに温めると香ばしい魚と芳醇な油、そしてチーズが溶ける香りが辺りに漂った。


「トン<マグロ>のオイル漬けが挟まってんのか。うまそ」


 小さなハードタイプのパンにはご丁寧に全て違う具材が挟まっていた。

 全てのサンドイッチをそれぞれ三等分に切り皿に盛り付ける。全ての用意が整った頃、一階にいた二人が帰ってきた。


「本当にアンタが夕飯用意したのかい」


 母親が驚いた声を上げる。今まで一度だってそんな事をしたことがないのだから、まあ無理もないだろう。レオより二つ年下の弟も目を丸くしていた。

 

「兄ちゃん料理なんてできたんだね」


「味の保証はしねーけど」


 言いながらスープを椀によそっていく。三人で食卓につくと夕食を食べ始めた。


「美味しいじゃない。ベーコンがいい味出してるよ」


「本当だ、なんか野菜の切り方が大きすぎるけど」


 二人が口々に感想を漏らす。続いてサンドイッチに手を伸ばし、パクリと頬張った。


「これは美味しいね」


「ん!」


「そりゃプロが作ったもんだからな」


「僕、次はこれ!」


 ムグムグと口を動かす弟はすぐに嚥下<えんげ>して次のサンドイッチに手を伸ばす。レオはソラノのメモがついていたサンドイッチにかじりついた。

 焼いたことによりカリッとした食感のパンをかじり取る。マヨネーズで和えてあるトン<マグロ>のオイル漬けにチーズが絡み合い、濃厚な旨味を出していた。具材は他に生の玉ねぎが使ってあるらしく、シャキシャキとした食感がマヨネーズ、オイル、チーズというクドさが勝る味わいを中和させている。

 噛みしめるほどに油に包まれたトンの味わいが滲み出て、具材が魚だというのに満足感があるサンドイッチだ。


「これ美味いぞ」


「どれどれ?」


「トンのオイル漬けが入ってるやつ」


「兄ちゃんが魚を積極的に食べるなんて珍しい」


「ガキじゃねえんだ、何でも食う。しかもこれは魚だけどこってりしてるから腹にたまるぞ」


「本当にい?」


 疑わしい顔をしながら手を伸ばし、サンドイッチをかじる。とろりと溶けたチーズがびよーんと糸を引いていた。それを顔を振って歯で噛みちぎり、もぐもぐ味わうように食べる。


「うん、美味しい!」

 

「だろ」


「どれどれ、あ。本当だ、これは美味しいねえ」


 息子二人が食べているのを見ていた母親もサンドイッチを食べて感心していた。


「トンのオイル漬けとマヨネーズとチーズがこんなに合うなんて」


「俺も知らなかった」


 三等分にしたために二口で食べ終えてしまい少し物足りない。これを考えたのはソラノだろうか。基本的に夜営業の店しか見ていないはずなのに、昼のメニューまで考えるとは仕事熱心だな、と思う。フリュイ・デギゼの時といい提案力と実行力がある。

 少し悔しい。


「いいなあ兄ちゃん、毎日こんな美味いもの食べてたの?ずるいよ、また持って帰ってきてくれよ」


「余ってたらな」


 いつもは余ってもせいぜいが一つなので、帰り道すがらに自分で食べてしまっていた。今日は、やはり餞別なのだろうか。柄にもなく勘ぐってしまう。


「ねえ兄ちゃん、僕薬草の乾燥処理を一人で任せてもらえるようになったんだよ」


「おー、すげぇじゃん」


「この子も十五歳だからね、将来を考えたら次のステップに行くべきだ」


 その言葉にサンドイッチをかじるレオの手が止まる。ワイワイと店のことを楽しそうに話す二人の輪になんとなく入れなくなった。



「ごちそうさん」


 皿まできっちり洗ってから自室へと引っ込むと、ベッドに身を沈めて返して貰った冒険者証書を取り出す。

 Aランクになりたいと、冒険者としてひとかどの地位を得たいと強烈に焦がれていた思いは足の怪我とともに西方諸国へと置き去りにしてきた。それほどまでにあの地での経験はレオの身も心も削っている。

 ここは王都だ、安全な依頼を選んでこなせば今の体の状態でもささやかに暮らせるくらいの稼ぎを得られるだろう。


「けどなぁ」


 部屋で一人呟いた。その生き方には何の夢も目標もない。冒険者という職業に未練がましくすがっているだけだ。

 まだ十七歳のレオは生きるためだけに冒険者として生計を立てる、という方法をとることに抵抗があった。そんなのは自分が憧れていた生き方ではない。


 弟は着々と店を継ぐための修行を重ねている。週に一度、店が休みの日には王都の学校にもきちんと通っているし、まだ十五歳だというのにしっかりしている。自分が十五歳の時には何をしてたかと思い返せば、治療代を返すために奔走していたことを思い出して顔をしかめた。俺は一体何やってんだ。 

 

 そのまま過去に思いを馳せてほんの数ヶ月前に王都へと戻ってきた時のことを思い出す。

 勝手に飛び出した挙句に怪我を負って帰ってきたレオを母親は責めることをしなかった。ただ一言、「無事でよかったよ」とだけ言ってくれたのは、同じく冒険者をやっていた父親が依頼の最中に命を落としたことに原因があるのだろう。


「生きてりゃ何とでもなるよ。好きなようにしな」


 そう言ってくれた母親には感謝の念しかなく、弟も横で頷いていた。


 王都に着くなり無銭飲食をしようとしたせいで、とっ捕まって働かされた。うまい飯と「いると助かる」という甘い言葉につられて働き始めたものの、これがなかなかに面白かった。

 飲食店の従業員なんてとバカにしていたが、結構奥が深い。知らない料理が次々と出てきて、料理に合うワインも一つ一つ厳選されている。

 来る客だって様々だ。さすがに王女が来た時には心底驚いたし、そのあとのフリュイ・デギゼフィーバーで店に大行列ができた時はさらに驚いた。

 花祭りが終わって暫く経っているが余波は未だに続いており、店は落ち着きを取り戻したとはお世辞にも言えない。


 ベッドからガバリと起き上がり窓の外を見る。

 郊外の街では酔っ払った冒険者の笑い声が時折聞こえる。これから夜の依頼に赴く冒険者たちが出かける足音も。その輪の中についこの間まで自分も混ざっていたということが、今は信じられない。

 部屋の隅に立てかけてある長剣を見やる。自分の半身でもあったそれは今でも磨いていたが、抜いて戦うことはしばらくしていない。

 遠くに聞こえる喧騒を何とはなしに耳にしながら、再び思った。

 これから先を生きていくのに、目標のない人生はつまらないと。

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