第108話 花祭り当日②

 きめ細やかな泡のミルクがエスプレッソと混じり合う。

 茶色と白が絶妙に混じり合わないようにカップとミルクピッチャーを傾け、だんだんとミルクの割合が多くなる頃にピッチャーを小刻みに動かし始めた。

 ギザギザとエスプレッソに模様が描かれ最後には縦にすっと切り込みを入れる。

 完璧な左右対称のリーフ模様がそこには浮かび上がっていた。


「お待たせしました、カフェラテどうぞ」


 カイトは日本人然としたシンプルな白シャツと黒いズボンの上から黒い無地エプロンを締めていた。マノンも同様のエプロンを着けており、その装飾性の少なさに逆にホッとさせられる。こちらの色に染まらないのもカイトの持ち味なのだろうか。癖のある黒髪にも親近感を覚えた。


「わぁ、すごい!」


 ともあれ、目の前に供されたカフェラテを見てソラノが感嘆の声をあげる。芸術性の高い見た目に胸が高鳴った。これは女子心をくすぐる一杯だ、行列が出来上がるのも頷ける。場所も広場のひらけた場所に近い目立つ場所にあるし。


「日本でもここまで綺麗なラテアートを見た事はありません」


「そう?ありがとう。飲んでからの感想もぜひ後で聞かせてくれないかな。日本あっちから来た人の意見も参考にしたくて」

 

「はい!」


「火魔法でミルクを温めて風魔法で撹拌をしてるのか?」


「そうそう。なかなかに魔法って便利だよね」

 

 デルイはこのラテアートそのものよりもミルクをスチームしていたカイトの魔法さばきの方に気を取られていたようだ。


「どっちも制御が緻密だから結構難しいはずだけど、楽々こなしてるな。魔法の才能があるんじゃないか」


「ああ、それは冒険者ギルドで魔法を指南してくれた魔法使いさんにも言われた」


「魔法使いになればひとかどの地位に就けるはずだけど」


「うーん、興味ないかな」


 言いながらカイトはデルイの分のカフェラテを作成していく。


「俺の夢は自分の店を持つ事だったからね。どこにいようがそれは変わらないよ」


「ブレないんだ。こんな技術を持っていればギルドが放っておかないだろう」


 デルイが苦笑を漏らす。カイトはどうやら日本にいる時からカフェを開きたかったらしい。異世界に飛ばされてもその夢を変えないとは、すごい意志の強さだ。飛ばされたのがこの国だったのは不幸中の幸いだろう。文明レベルが低ければ、そもそもコーヒー豆を探すところから始めなければならなかったかもしれない。


「はい、もう一杯出来上がり」


「今度はハートですね。可愛い」


「本当はもっと色々と作れるんだけどね。ここの道具だと今はこれが限界」


 少し残念そうに言うカイトに、この人は本当にコーヒーが好きなんだなと思い知らされた。バッシもそうだが好きなことがあり、それに情熱を注げるというのは良いことだ。人間目標があると頑張れる。

 ソラノの目標は店の安定した営業であった。オープンしたばかりでまだ不安定さが拭いきれない。売り上げが取れなければ商業部門長エアノーラの鶴の一声であっという間に退店させられてしまうだろう。テナントの辛いところでもあった。


「私のケーキの感想も教えてね。今日に合わせて完成させた新作のミルクレープよ」


 マノンが差し出したトレーに乗せられたミルクレープには上に生クリームと苺が品良く乗せられている。こちらも可愛らしい一品だった。


「美味しそう」


「美味しそうじゃなくて美味しいわ」


「デルイさんはケーキいらないんですか?」


「俺はラテだけあれば十分だよ」


「そうですか。じゃあ私は遠慮なく食べます」


 ケーキを食べるのも久々なソラノは自信満々なマノンからトレーを受け取り空いている席に素早く滑り込む。

 広場は食べ物、雑貨、花冠を売るエリアにそれぞれ区画が分かれており、飲食が集まるエリアにはテーブルと椅子がたくさん用意されていた。

 そして大通りに面した場所はぽっかり大きく開けており、楽隊の奏でる音楽に合わせてダンスをしている人々で溢れている。時折吹く風に舞い散る花びらが一緒にダンスを踊っているかのようで祝祭にふさわしい。


「早速いただきまーす」


 暖かいうちに飲まなければと座るなりカフェラテを口につける。


「ん!」


「へえ、これがカフェラテ」


 二人して驚いた。濃密な泡でできているミルクの絶妙なまろやかさと甘み。エスプレッソの強い苦味を中和して優しい味に仕立てている。かといってコーヒーが脇に追いやられているわけではなくしっかり存在を主張していた。


「美味しい……」


 意図したわけではなく思わず口からそう感想が漏れた。

 美味しい。

 もう一口飲んでみる。喉元から胃の中まで、優しい味わいが体全体に染み渡った。


「ソラノちゃんのいた世界ではこんなラテが当たり前だったの?」


「いえ、こんなに美味しいのは初めて飲みました」


 ソラノが飲んだことのあるラテはもっと機械的な味がした気がする。誰が作っても同じ味わいになる、チェーン店の味わいだ。それはそれで美味しいのだけれど、カイトの作ったこのラテはもっと気持ちが入っている。美味しいラテを作り出そうとする気概みたいなものを感じた。


「そういえばカイトさん、前に「俺のラテは世界一美味しい」って言ってました」


「あながち嘘じゃないのかもな。少なくとも俺が飲んだ中では別次元に美味い」


「デルイさんでも?」


「うん。こんなにミルクの泡が細かいものは初めて見た。もっと大雑把な味わいのものばっかりだからさ」


「これからはラテの品質が上がるかもしれませんね」


「どうだろう……火と風の魔法制御があれほどできる人間で、カフェをやろうと思う奴はそうそういないだろうからね。しばらくは独壇場じゃないかな」


 それも凄いことだ。知識があってもここまでのものを再現するのは大変だろうから、カイトさんは本当に日本にいた時から凄い人なんじゃないかな。

 そんなことを思いながらミルクレープをフォークで切り分け、食べてみた。


「あ、これ生クリームも苺味だ」


 最近散々目にしている苺がまたしても登場した。調理法が違うとまた新鮮な気持ちで食べられる。何層にも重なったクレープ生地と苺の生クリームの味わいがクセになる。

 そして恐ろしいほどにこのカフェラテと合う味わいだった。

 ラテ、ミルクレープ、ラテ、ミルクレープ。交互に食べ進めるとたまらない。


「どうしよう、これ、止まらない……!」


「もうほとんど無いじゃん」


「だって美味しすぎるから」


 デルイに指摘されたように、ソラノのカップもお皿ももうほとんど空っぽに近い。久々の美味しいカフェラテがいけないのだ。そしてこのミルクレープもいけない。こんな最強の組み合わせを前にフォークを握る手が止まるはずがなかった。

 このテーブルセットが置いてある場所のほど近く、大通りではひっきりなしに馬車が王城に向かって吸い込まれていく。郊外から中心街に向かう時に利用する乗合馬車とは異なり装飾性の強い馬車ばかりだった。窓からチラリと見える人も華やかな化粧を施し、気合の入った衣装を身につけている。

 昨日までフリュイ・デギゼを求めて店に来ていた女性たちも沢山いるに違いない。


「城では王女様と王子様の婚約発表があるんでしたっけ」


 一際豪華な馬車が城へと進んでいくのを見ながらソラノが問いかける。


「そうみたいだね」


 デルイは帽子に手を寄せて深くかぶり直し、心なしか馬車の群れから目を逸らしているように見えた。


「乗っている人たちは皆そのお祝いに行くんですよね」


「それもあるし、舞踏会を楽しみに行くっていう目的もある。若い男女がわんさか集まる社交の場は格好の出会いの場だ、どの家も目の色を変えて今日という日に臨んでるよ」


 説明しながらもデルイは何かを思い出したのか歪<いびつ>な表情を浮かべた。二人でいる時はもちろん、店にいる時ですらあまり見かけない類の表情だ。

 ソラノはフォークをトレーに置いて、ずっと胸の中に沈殿していた疑問をぶつけてみる。


「あの、デルイさん」


「ん?」


「デルイさんって本当は、あっちにいないといけない人なんじゃないですか」


 あっちと言いながら馬車の群れを指差した。彼は少し目を見開く。

 例えば食事の動作や、折に見せて垣間見える丁寧な仕草。そつのない身のこなしや言動。店にやって来る人たちと比較してもデルイの所作は洗練されている。確信があるわけではないけれど、小さな事が積み重なってソラノの中に疑念が蓄積されていた。

 逡巡した様子を見せてからソラノと目を合わせた。


「確かに俺は、生まれは伯爵の家だよ」


「伯爵……」


 やっぱりいいところの出自だったか。いくら一般人に紛れていようと端々からその育ちの良さが垣間見得ていたから、当然と言えば当然の結果だ。

 敢えて言わなかったのは、本人がそのことに頓着していなかったからなのか。それとも完全なる庶民のソラノに遠慮していたからなのか。


「そう。有り体に言えば貴族だ。でも俺は三男で爵位を継ぐことはないし、家に関わる気もさらさら無い。一人で働いて食っていけるからね。家を出てからもう六年になるけど、その間に社交界に顔を出したことは一度だって無いよ」


「そうなんですか」


 身分制度というものに馴染みがないソラノにとってはいまいちピンとこない。地球に比べれば随分と貴族と庶民で身分が分かれているような気もするが、本人がそう言うならそう捉えればいいのかなと考える。


「そう。だから今日のあの行列に加わる事も無い。招待状は来ていたけど破り捨てた」


「えっ、破りっ?」


 その言葉に今度は驚く。そんなことをして良いものなのか。するとデルイは良い笑顔を浮かべて言う。


「いいんだよ。俺にとってはあんなつまらないところに顔出すよりこうしてソラノちゃんとのんびり話をしながらデートしてる方が数百倍も楽しいんだから。そんなわけだからさ」


 いつの間にかラテを飲み終えていたデルイが立ち上がってソラノの手を取る。


「踊りに行こう」


 その言葉に咄嗟に否定の言葉がまろび出た。


「私、ダンスなんて出来ませんよ!」


 冗談でもなんでもなく、ダンスなんてした事がない。まごまごして恥をかくのが関の山だ。相手を務めるデルイにまで恥をかかせてしまう。


「いいからいいから。ちゃんとステップ踏んでる人なんてほとんどいないでしょ。ほら」


 言いながら指差した先の広場では、確かに皆ステップを踏んでいるというよりは思い思いに体を動かしていると言った方が正しい。

 いつもより少しお洒落をした人たちが自由にダンスを楽しんでいる。そんな雰囲気だ。


「俺がリードするから大丈夫」

 

 カイトのところに感想とともにトレーを返しに行くと、広場まで有無を言わさずソラノを引っ張って行く。握った手と腰に回された腕のせいでいつもより密着度が高い。

 柄にもなくドキドキしながら頭二つ分は高いデルイの顔を見上げると幸せそうな表情を浮かべている。好きな人のこんな顔を独り占めできるのかと思うと、えも言えぬ幸せが心を満たした。

 店で再会を果たしたフローラとフィリスも、こんな気持ちだったのだろうか。


「花冠似合ってるね」


「見立てた人のセンスがいいから」


「ははっ、被ってるソラノちゃんが可愛いからだよ」


 デルイのリードで踊る初めてのダンスは心地よく、身を任せていれば安心できる。


 暖かい風が広場に溢れて花と緑を揺らす。大勢の人で賑わい、春の訪れを祝う人の声はいつまでも途切れることはなかった。




第二章 完



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