第27話 水の魔法

「ちょっと暗くなってきてますけど、大丈夫ですか?」


「大丈夫大丈夫。この辺の魔物なんて寝てても倒せるから」


時刻は夕方。王都の外の平野は夕暮れの薄明かりに照らされてオレンジ色になっている。城門には暗くなる前に王都に入ろうとする商人たちが列を作り、反対に夜の薬草採取や魔物の討伐に行く冒険者たちは平原へと繰り出していた。

 夜は魔物の動きが活発になると聞いている。未だ攻撃力がゼロに等しいソラノは少し不安な面持ちで尋ねたが、対するデルイは余裕の面持ちで吹く風を気持ちよさそうに受け止めている。足元で揺れる草は魔素を取り込んでいてわずかに発光していた。


「じゃ、なんか魔法出してみようか」


「はい。水よアクア


 ソラノは両手のひらを合わせて水を掬うような形にし、呪文を唱える。手のひらからこぽこぽと水が生まれて、そのまま溢れて草原へと溢れていく。


「固定してみて。水を圧縮してひとまとまりに集めて固めるイメージで、唱える。固定ロック


固定ロック


 するとただ流れていた水が中心に集まり、ソラノの手のひらで塊になった。ぷるぷるしていて、透明なゼリーみたいだ。


「じゃあそれ撃ち出してみよう。手を前に出して、それを飛ばすイメージね。敵を倒すという意思を持って唱える。ウォーターショット」


 見ててね、と言ってデルイが右手を前に突き出した。彼にとってはこんな魔法など声に出さずとも放てるのだが、わかりやすいように呪文を唱えた。


「ウォーターショット」


 水球が弾丸のように飛び出し、ちょうど宙を漂っていた鋭い爪をもつコウモリの魔物、鋏蝙蝠シザーバットを撃ち抜く。一撃で寸分たがわず心臓を貫通した攻撃に、シザーバットはくしゃりと翼を丸めて落ちていく。落ちた先の草むらがガサガサと揺れたから、あっという間にほかの魔物のエサになったのだろう。


「わ、すごい」


「じゃ、やってみよう」


 軽く言われて、ソラノは見よう見まねでやってみることにした。


「ウォーターショット!」


 ソラノが飛ばした水の塊は二、三メートル先までピュンと飛んで、草に当たって弾け飛んだ。ゴミクズのような威力だ。なんか恥ずかしくなってきた。


「攻撃魔法に大切なのは意志の力だから、相手を殺すくらいの気持ちを持って放たないと威力が出ないよ。ちょうどそこにスライムがいるから、あれに向かって撃ってみて」


 デルイはソラノのへなちょこショットを見ても笑う事なくアドバイスをくれた。いつもそうだ。デルイの教え方は丁寧で表現も具体的なのでわかりやすい。これがアーニャに教わった時など、「いい?魔法っていうのはね、魔素をぎゅーってしてばばーって放出する感じよ!」などと言われさっぱりわからなかった。彼女は感覚で魔法を使っているようで、教える才能がゼロだった。


ーーよし、がんばってみよう。

 

 デルイが指さしたほうを見ると、草むらでぽよぽよとスライムが跳ねていた。全身が半透明の緑色で、さしたる危険は無さそうな生き物だ。そう思ってみていたら、てっぺんから触手がシュッと出てきて飛んでいる虫をキャッチして体内に取り込んだ。


「捕食してる……」


「強い個体だとソラノちゃんも取り込まれちゃうから気を付けてね」


「えっ!? スライムって人間も食べるんですか?」


「食べるよ。人間を捕食するから魔物って言うんだ。まあ、ここらのスライムに食べられることはないから安心して。よっぽど……生まれたての赤ん坊ぐらいの弱さじゃない限りは」


 果たしてソラノは赤ん坊よりも強いと言えるのだろうか。情けないが違うと言い切れる全く自信が無い。しかし、いつまでもそんなことを言っているわけにはいかない。デルイが忙しい合間を縫って練習に付き合ってくれているのだ、成果を見せなければ申し訳なさすぎる。

 ソラノは成果主義者だった。「こんなにがんばったんだから認めてよ!」と言うタイプでは断じてない。所詮この世は弱肉強食、結果がすべてだと思っている。だからこそカウマン料理店がここまで持ち直しているのだろう。ソラノの最終目標は空港を利用している富裕層およびA級冒険者をも顧客にすることだがーーそしてその為に改装資金集めに四苦八苦しているわけだがーー今現在は魔法の練習に集中しよう。店の事は関係が無い。

 

 スライムを見つめる。このスライムを親の仇だと思うんだ。そうだ、ソラノの兄を捕食せんとする魔物だということにしよう。今まさに兄が絶体絶命のピンチだと思うんだ。するとソラノは腹の底から力がこみあげてくるような気がした。よし、さっきよりはいけるかもしれない。


「ウォーターショット!」


 ソラノの魔法はスライムめがけてピューッと飛んでいき、見事に当たってスライムは後方に吹っ飛ばされた。ぽよんぽよんと跳ねて、攻撃された出所を探っている。


「当たったけど、倒せてない」


「ソラノちゃんには攻撃する意思が足りないね」


 当たり前のことだった。日本では人に危害を加えることなどあり得ない。暴力はいけないと子供の頃から教えられて育ってきたのに、今更どうして攻撃する意思など持てようか。このスライムがソラノに何かしてきたのならともかく、ただただそこらを跳ねまわっているだけだ。何ならその丸っこいフォルムは可愛くすら思えてくる。


「もっと気持ち悪い感じの魔物なら攻撃する気持ちが湧いてくるかもしれないな」


 そんなフォローを入れられてしまってはソラノの立つ瀬がない。ソラノはデルイを仰ぎ見た。


「いいえ、がんばります。私、スライムを倒します!」


「あ、そう? じゃあがんばってみよっか」


 スライム一匹ごときでこんなに苦労する子をデルイは初めて見た。水鉄砲みたいな威力のウォーターショットをガンガン放ち、スライムを跳ね飛ばしている。一応効いていなくもなさそうだが、数値化するならばその攻撃力は「1」か「2」程度なので倒すのにかなり時間がかかるだろう。超初級の魔法なので魔素の減りも大したことないだろうし、気が済むまでやらせればいいかなと考えた。捕食されそうになったら助ければいい。

 隙だらけのソラノは格好の獲物なので、背後から他のスライムが近づいてきている。ソラノは目の前のスライムに夢中すぎてまるで気づいていない。デルイはソラノにじりじりにじり寄るスライムを踏んづけて倒した。ぱちゅんとその緑のボディがはじけ飛ぶ。上を飛ぶシザーバットもついでに握りつぶしておいた。


 ソラノは攻撃魔法の才能がなさそうだなーと思う。適性の問題なのでそれならそれで仕方がない。魔法の才能自体が無いわけではないから、補助系の魔法を覚えて自分の体を強化すればいい。攻撃だけが魔法じゃないし、やりようはいくらでもある。何かあったら自分が守ってあげればいい。今度、守りの魔法を刻んだアクセサリーでもプレゼントしよう。


「やった! 倒しましたよ」


 十分はスライムと格闘しただろうか。はーはーと息を切らせてガッツポーズをとる。


「おめでとう」


 完全にお世辞だろうが、そう言ってもらえると嬉しい。


「次に行きます」


 回数をこなせばコツをつかむかも知らない。夜に近づいているせいか、スライムは日中の草原よりもたくさんいる。目についたスライムを次のターゲットにし、再びウォーターショットを放つ。



 ところで、この光景を第三者が見たらどう思うだろう。一人はあきらかに一般人の女の子で、もう一人は軽装備のチャラチャラした男だ。彼女の魔法練習に付き合う彼氏にしかみえない。王都のすぐ近くとはいえ、夜の草原でそんな二人組を見かければ、これから魔物の討伐に向かう冒険者としては「お前らフザケてんのか!?」「そんな装備で出てきていい所じゃねえんだよォ!」と文句の一つも言いたくなるだろう。要するに嫉妬だ。

 デルイの実力を見抜けない時点で相手のレベルの低さがうかがい知れるが、そんな低級冒険者が五人ほど、武器を手に二人にじりじり近づいて来ていた。勿論デルイはとっくに気が付いていたが、ソラノは何も気づいていない。

 デルイはソラノに感づかれぬままに右手に雷の魔法を収束させる。冒険者がソラノの視界に入る前に、収束させた魔法を一気に放った。


 雷の鉄槌サンダーボルト


 闇に塗りつぶされつつある空に電光が走り、冒険者の脳天を直撃する。五人をひとまとめに倒したその魔法に、さすがのソラノもスライムから目を離して顔を上げた。


「何か光りました?」


「雷じゃないかな」


 こんなに天気がいいのに雷?ソラノはきょろきょろしたが、特に空模様に変わったところはない。冒険者は悲鳴を上げる暇もなく草むらに倒されていた。別に殺したわけではなく、単に気絶させただけなので一時間くらいで起きるだろう。そのころにはもう二人は引き上げているから何の問題もない。


「そろそろ帰ろうか」


「あ、はい」


 結局スライムは二匹しか倒せなかった。ソラノは落ち込んだ。


「こんなんじゃ駄目ですね……」


「まあまあ、ひとには向き不向きがあるからさ」


 落ち込むソラノをデルイが頭をポンポン撫でて慰めた。


「仕方ないから俺が守ってあげるよ」


「それは、ありがとうございます?」


 どういう意味かは図りかねるが、とりあえずお礼を言っておいた。


「じゃ、もうすっかり暗くなっちゃったから送ってくよ。それともどっかで一杯飲んでく?」


「いえ、デルイさん疲れてるでしょう?明日もお仕事でしょうし、帰ったほうがいいですよ」


 これ以上自分に時間を取らせるわけにはいかない。デルイは少し残念そうな顔をした後、「なら帰ろうか」と言い二人並んで歩きだした。



+++


 デルイがソラノとイチャイチャしている頃、第五ターミナルのドックでは整備部の船技師たちが必死に船の修理をしていた。通常船のメンテナンスは、飛行に耐えられるよう外部の補修と船尾の排気孔周りの強化が主だ。船は浮遊石という特殊な石で空に浮き、魔法使いの飛行魔法によって推進するのだが、排気孔は魔法使いの飛空魔法を出力し船を推進させる重要な役割を持っていて、ここが破損していては船がまともに動かなくなる。

 けれど今回、どっかのバカが暴れたせいで船内の修理までもしなければならなくなった。壊れていたのは貨物室の扉と木箱が数十箱で、すぐに直せると言えば直せるが完全に余計な仕事だ。しかも費用はすべて空港持ちらしい。


「最低だな!」


「残業代はずんでもらわねえと」


「バカ、こりゃタダ働きだよ」


  船技師は口々に悪態をついた。


「しっかり直せよ!またケチつけられたら面倒くせぇからな!」


 ノブ爺が監督にあたり、船の具合を見回っている。船の修理が終わったら浮遊石のチェックをする魔法技師に交代をし、それも終えたら物資の補給をする予定だ。3日で出港できると言ってしまった手前、船技師たちの作業時間は今夜いっぱい、遅くとも明日の朝までしかない。手を抜くわけにもいかないからピリピリした空気の中、船技師たちは懸命に手を動かした。


 ソラノに片思い中のジョセフは貨物室の壁の補修を担当していた。彼が今現在残業を強いられているのはデルイのせいで、そのデルイはといえばソラノとの仲を深めているのだから彼としては溜まったものではないだろう。事実を知ったらデルイの所へ殴り込みに行くかもしれない。

 壁板を嵌めて釘で打ち付け固定する。額の汗を被ったタオルで拭いながら作業をして、少し手を休めた時だった。


ーー……ズ……ーー


 誰かのか細い声が聞こえた気がした。きょろきょろとあたりを見回す。今現在仲間の技師は道具を取りに外に出ているため、自分一人しかいなかった。耳を澄ませ、もう一度聞こえるか試してみる。今度はかなり、はっきりと聞こえた。


ーーミ……ズ……ーー


「……水?」


 しかしその声はそれきり聞こえなくなり、いくら待てども返ってくるのは仲間たちが船を修理する音だけだった。

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