第151話 親子喧嘩

「あら、デルロイ。お久しぶりね」


「そろそろ顔を見せると思っておったが、相変わらず騒々しい奴だな。ちっとは兄二人を見習ったらどうだ」


 いきなり現れたデルイに何ら動じずにティーカップをソーサーへと戻し、二人はデルイを出迎える言葉をかけた。そんな二人にデルイは帰ってきた旨すら伝えず、開口一番に喧嘩腰で声をかける。扉の前で仁王立ちになりその端正な顔立ちを歪め、不快感を隠そうともしていない。


「おい! 俺の縁談話が勝手に出ていると聞いたんだが、どういう事だ」


「どういうも何も、貴方もいい年頃なのだから縁談の一つや二つ受けたって構わないでしょう」


「そうだ、喜べ。お相手はかの名高いシャインバルド伯家のご令嬢、家格は同格、年頃もお前と近い。おまけに才能溢れる美しい令嬢だと聞き及んでいる。お前には勿体無い相手だろう」


「勝手な事ぬかすな!」


「何だと?」


 勢い込むデルイに対して父親のライオネルがピクリと眉を動かした。父親はデルイと全てが似ても似つかない。くすんだアッシュブラウンの髪に、上背があって全身に筋肉がついてがっしりとした体格。顔には無数の傷跡があり歴戦の強者の貫禄が漂っている。さすが騎士団の大団長を務めているだけあり、少し怒りを滲ませただけでも場の雰囲気が変わった。

 しかしそんな父親を前にデルイは全く怯まなかった。


「俺は縁談を受ける気は無い。自分の結婚相手は自分で決める」


「たわけたことを!」


 ライオネルはカップをソーサーごとテーブルに叩きつけ怒鳴り返した。低い怒声は空気を震わせ、側で控えていた使用人の一人が肩をびくりと跳ねさせる。


「お前はいつまで好き勝手しているつもりだ、恥を知れ!」


「まあまあ貴方、新しく入った使用人が怯えていますことよ。落ち着いて下さいな」


 怒鳴り合うデルイとライオネルにこちらも一切怯まずにたおやかな声で窘めたのは、母親のリリアーチェ・リゴレット伯夫人だった。この緊迫した場で紅茶を一口優雅に啜り、カップについた口紅をそっと拭う。

 鮮やかなピンク色の髪をシニヨンに結い上げた髪、つと上げた目線は優しげな雰囲気を纏わせながらも、瞳の奥は冷涼で鋭い。伸ばした背筋に品の良いドレスを纏うリリアーチェはデルイによく似た風貌をしている。父親にまるで似ていないデルイは母親によく似ていた。


「久方ぶりの親子の対面で、そういがみ合うのは良く無いと思うわ」


「しかしリリー、こいつの言い分など聞く価値がなかろう」


 リリアーチェの言葉にライオネルが反論するも、彼女はにこやかに笑みを浮かべた。


「デルロイ、貴方が今回の縁談にこれほど反対するとは思っていなかったわ。何か理由でもおありになって?」


「さっき言っただろう。俺は自分の結婚相手は自分で決める」


「まあ。では、結婚したいお相手がいると。そういう事なのね」


「何だと?」


 ライオネルが再び獅子すら射殺すような視線でデルイを見据えた。デルイは父も苦手だが母親がもっと苦手だ。一見優しげな雰囲気を醸し出すこのリリアーチェは陰で社交界の女王とまで呼ばれており、さりげなく、しかし的確に相手を追い詰める手法は父よりも厄介だった。力が全てと豪語する父の方がわかりやすく、やりやすい。

 沈黙を肯定と捉えたリリアーチェは、笑顔のまま少し前のめりになりデルイを追い詰めにかかった。 


「女性に対して本気になった事の無い貴方をここまで動かすような方は、どこの誰なのでしょうね」


「どこの誰だろうと、関係ないだろう」


「あら、関係あるでしょう。私は貴方の母親なのよ、是非ともそのお嬢さんにご挨拶をしなければ」


「絶対に連れて来ない。この家と俺は無関係だ!」


 珍しくムキになるデルイに対してリリアーチェは唇に指先を当て、ふふっと笑った。


「そう、連れて来られないようなお相手なのね」


 カッとなったデルイは勢いのままに言い返した。


「とにかく、俺は一人前に稼いで生きているんだ。もうこれ以上俺の人生に介入するのはやめてくれ!」


「一人前だと?」


 黙っていたライオネルが再び口を開いた。ゴゴゴゴ……と背景から地鳴りが聞こえてきそうなほどのオーラが漂っている。目を見開くとテーブルをあらん限りの力で殴りつけ、凄まじい音が響き渡った。はずみで上に乗っていたティーセットが一メートルほど浮き上がる。


「たわけが、何が一人前だぁぁ!」


 デルイに人差し指を突きつけ、こめかみに青筋を浮かべて唾を撒き散らしながら怒鳴り散らす。

 あ、これはやばいと察したデルイが迎撃の構えをとった次の瞬間、ソファに座っていたはずのライオネルの姿が消え、代わりにデルイの目の前へと迫っていた。


「!!」


 凄まじい衝撃音が響き渡り、ライオネルの右拳がデルイの顔面に肉薄した。

 間一髪障壁を張った両手で受け止めたものの、その怪力をデルイは受け止めきれずに数歩後ろに下がる。


「この! リゴレット家の血を受け継ぎながら! 未だ武勲の一つも立てとらん! 愚か者がぁ!!」


 一言一句ごとに拳を叩き込みながらライオネルが力の限りに殴りかかって来る。


「うっせえよ、好きでこの家に生まれついたわけじゃねえ! 俺は俺で真面目に働いてるんだ、武勲なんて立てなくたって認められて生きてるんだよ!」


 嘘か本当かは知らないが、竜殺しドラゴンスレイヤーの異名を持つライオネルは常在戦場を信条としており、家にいた頃にはこうして唐突に殴りかかってくることなど日常茶飯事だった。デルイはその攻撃を受け止めながら反論する。

 通常、拳での攻撃を掌で受けるとなるとその効果音はパンパンパン! といった軽い音になるだろうが、ライオネルのグレープフルーツ大の手から繰り出される拳撃はそんな生易しいものではない。バシンバシンと重低音が鳴り響き、受け止める掌が鈍く傷んだ。

 展開している障壁は薄氷のようにたやすく破られ、ジリジリと追い詰められていく。


 部屋の隅では新人だという使用人が「ひいいっ」と言いながら頭を抱えて怯えているが、母親のリリアーチェはこんな状況でもにこやかに紅茶を啜っていた。六年の年月を経て尚繰り広げられる日常が非日常すぎる。


「こんんんの、青二才!!!!」


 ライオネルの拳が唸り、一層速度を上げた拳が連続で飛んでくる。ビュビュビュッと空を切る音が耳を掠め、かわしきれない一撃がデルイの整った顔面に叩き込まれた。肉を殴る低音が鳴り響き、右頬にクリーンヒットした。


「……っ!」


 あらん限りの力でもってそのまま振り抜かれた拳に耐えきれず、強「したた」かに背中を床へと打ち付ける。これが絨毯敷きのティーサロンでなければ顔だけでなく背中にも打撲を負っていたほどの威力だ。

 口の中に鈍い鉄の味が広がるも怯んでいる暇はない。血の塊をぺっと吐き出すと追撃に備えて跳ね起きたデルイだったが、ライオネルはそのごつい指を突きつけてこう宣言をした。


「自分の思いを通したければ、まずは成果を示してみろ! 今度の森竜フォレストドラゴン討伐に参加し、一人で最低一体倒してからモノを言うんだな!!」


 森竜一体を倒すのに騎士団の精鋭を編成した魔物討伐部隊の騎士が最低五人は必要になる。竜種は強力で、大方が一個人の手に負える代物ではなかった。冒険者で言えばSクラスの人間が対峙して一人で倒せるかどうかという代物だ。そこのところを踏まえて、しかしこの言葉を発したのだろう。


 このクソ親父、脳みそまで筋肉でできてんじゃねえか。


 無茶苦茶な要求をしてくる脳筋の父親にデルイは内心そう毒づくと、しかし逆に冷静になった。


「言ったな、親父。騎士に二言はないんだよな」


「ない! 貴様が竜種を倒せたなら、今回の縁談について考え直してやろう!」


「考え直す、じゃなくて白紙にしてもらおう。ついでに今後一切俺の人生に口を出してくれるな」


「口先だけは減らないやつめ。そんな事は森竜を討伐できてから言ってみろ!」


 デルイは父親の無理難題に乗る事にした。勢いだけではなく、考えた上での決断だ。母親と会話をしているとおそらくソラノをここへ連れてくる事になってしまう。それは避けたい。ソラノはやればできる子だが貴族の礼儀作法は何も知らないし、こんなところへ連れてきたら針のむしろである。

 いくらソラノが勝気で口先が強いとはいえ、母は社交界きっての切れ者で先般やってきたシスティーナとは格が違うし、冷徹と称される割には公平だったエアノーラともタイプが違う。チクチクと嫌味な口撃に晒されてズタボロにされるのが目に見えていた。そんなソラノは見たくない。

 その点ドラゴンを討伐してくれば縁談を白紙に戻せるなら話は至極単純だ。デルイが頑張ればどうとでもなる事だし、ソラノを巻き込む事もない。

 じわじわと痛む頬にかまわずデルイは怒れる父親ライオネル・リゴレット伯爵の目を見据えてはっきりと言った。


「森竜だろうが何だろうが討伐してきてやるよ!」


 それは実家を飛び出して以降、飄々ひょうひょうとどこか余裕を持って生きてきて、熱を持って何かをした事などほとんどないデルイが、自らの意思で物事を決めて飛び込もうと決めた瞬間だった。



+++


「あの子ったら、怪我も治さずに行ってしまったわ。あれでは私譲りの美しい顔にあざができてしまうじゃないの」

   

 森竜の討伐宣言をしたデルイはそのまま荒々しく去って行ってしまった。「坊っちゃま、顔のお怪我を治しませんと傷になります!」と追いすがる老執事を「要らねえ!」と一喝するとなんとか邸へとどめおこうと群がる使用人達を蹴散らし、夜の闇へと消えて行った。


 部屋の隅では先ほどの怯え切った様子の使用人が侍女長に背中を支えられて連れ出されており、デルイが血を吐いて汚した絨毯を他の使用人が拭き取っている。

 あの使用人は明日にでも辞表を書くわね、とこれまでに百人は同じようにして辞めていった使用人達と比較してそう思う。ここで働くには使用人としてのスキルとは別に精神力が求められていた。


 リリアーチェは嘆息し、ばたつく邸の様子から目を離して余計な約束をしたライオネルをつと見つめる。


「それにしても貴方、森竜討伐好きねえ。男性にのみ受け継がれるリゴレット家の家訓か何かなのかしら」


 過去の事を思い出しながらその美しく整えてある指を折って数える。


「五年前にリハエルが二体、十年前にエヴァンデが三体、そして三十五年前に貴方が五体……あの子は何体倒せるかしらね」


 リハエルは二番目の息子、エヴァンデは長男の名前だ。ライオネルは息子達の結婚が絡むと森竜討伐を言い渡す癖があった。かくいうライオネルもリリアーチェに結婚を申し込む際、「今度の森竜討伐で成績を残せたら、この私と結婚をして頂きたい!」と言ったのだ。リリアーチェとしては別に全くそんな事をして欲しくなかったのだが、勝手にそう約束したライオネルは森竜五体を見事に倒し、そして結婚にこぎつけたという経緯がある。

 

 あまり家族と話をしないデルイは知らない事だが、上の息子達も相思相愛の相手との結婚をライオネルに相談した際に、「男たるもの、森竜の一体二体倒してからものを言わんかぁ!」と怒鳴りつけられた過去がある。

 この相手というは貴族で、家柄的にもお相手のご令嬢にも何の問題もなかったのでそんな事をする必要は全くなかったのだが、この父の一声で二人は森竜を討伐する羽目になった。


 しかし、今回は上の二人とは訳が違う。リリアーチェは一連のやりとりを思い返して思わず夫へ非難めいた視線を送る。


「にしても時期尚早じゃなくって? シャインバルド家のお嬢様はあの子との縁談をとても楽しみにしているそうよ。こちらの都合で無下に断るのは心象がよくないわ」


「む……」

 

 騎士道精神だと言い、変なところで義理堅いライオネルはソファにどっかり腰を下ろして視線を漂わせる。この義理堅さから部下に人気があるという事だが、今この状況ではややこしくなるだけだ。

 ライオネルは居心地が悪そうに口の中をモゴモゴと動かす。歴戦の強者である彼も妻のリリアーチェには弱い。咳払いをしてごまかしている。


「それに、あの子のお付き合いしている相手の素性が知れない以上、下手な約束はしない方が良かったと思うのだけれど」


「そこを探るのはお前の仕事だろう」


「まあ、そうですわね」


 リリアーチェは再び肩を落とす。末息子のデルロイがこれほどまでに執着する相手がどんな人物なのか、探る必要がある。身分、素性、性格、そして家族構成から職業に至るまでつぶさに調べ上げねばならない。

 それが例えばデルロイの持つ家柄や肩書き、財産目当ての女であるならば……手を引いてもらう必要があるだろう。


「奴は国の北方で森竜討伐へ向かう。悠に十日以上は王都を空けることになるだろうから、時間ならばあるだろう」


「そうですわね」


 ライオネルの言葉に再び頷く。


「早急に調べなければなりませんわ……お相手について」


 リリアーチェの唇が弧を描いた。その笑みは美しく、見るもの全てが惚けてしまいそうな程であるが、どことなく不穏な雰囲気が漂っていた。

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