第152話 騎士団の要請

「おはようございます」


「お、デルイ。いいところに来たな、ちょっとこっちへ来てくれないか」


「はい」


「お前あてに……っ!?」


 出勤するなり部門長のミルドに呼び止められたデルイは素直に従い、彼のデスクまで足を進める。ミルドは何やら眉間にしわを寄せて一枚の書類とにらめっこをしており、デルイがデスクの前にある椅子へと腰を下ろしたところで、その書類をデルイへと見せようとした。が、視線をデルイの顔に固定したまま動かなくなった。


「お前、その顔どうしたんだ? 昨日の勤務終わりにはそんなもんこさえてなかっただろ」


 その顔、というのは言わずもがな昨夜の親子喧嘩でライオネルがデルイの顔面を強打してつけた痣のことだった。直前に張った障壁のおかげで大した怪我にはならず適当に冷やしただけで済ませたら、一夜明けて鏡を覗くとデルイの右頬の周りにはくっきりとドス紫色の痣ができていて、腫れ上がって顔の形も少し変わっている。

 基本的にデルイは攻撃を避けるか、防ぐか、受け止めるかの三択でどうにかするため、こうして直撃を受けるというのはかなり珍しい。しかも顔というのは大層目立つ。

 邸にいた頃であれば「奥様譲りの顔はデルロイ坊っちゃまの命!」と騒ぐ老執事に無理矢理に治癒されていたのだが、今となってはそんな強制はされない。遊び歩いていた頃ならともかく、別に顔に痣があろうがもはやどうだっていいデルイは何も気にしていない。

 親父にしてやられたというのは癪に触るが、以前ならば歯が数本折れていた攻撃を口の中を切るくらいで済んだのだからそれなりに進歩したといえよう。


 ミルドだけではなく、今日は朝から会う人会う人皆に「どうしたんだそれ」と言われていた。ロッカーではスカイが何かを言いたそうに口をモゴモゴと動かしながらデルイの顔を見ていたし、ルドルフには遠慮なく爆笑された。あんなに笑うルドは初めて見た気がする。その他の職員にも似たり寄ったりの反応をされた。


 デルイはにこりと笑顔を浮かべると、適当にごまかす言葉を口にした。


「大した怪我ではないのでまあ気にしないでください」


「まあ、お前がそう言うならいいが……」


「それより何かご用でしょうか」


「あ、ああ。今朝、騎士団から火急の知らせが届いてな。お前を魔物討伐部隊へと借り受けたいとのことだ」


 まだチラチラとデルイの顔を見るミルドを気にせずに書類を受け取った。なるほど、そのような内容がつらつらと書かれている。


「期間は十五日、場所は北方の森林近くの街ファーラザード。討伐対象の魔物は森竜……なんでまたお前にこんな要請が届くんだ?」


 ミルドはため息で口ひげを揺らしながら至極もっともな疑問を口にする。


「ちょっと昨日の夜に家族と話し合いをしまして、そんな感じの話にまとまったんです」


「はあ? お前、騎士団に転職でもするのか?」


「いえ、とんでもない。ただ森竜討伐に参加するだけですよ」


 ますます意味がわからないといった表情を浮かべながら、ミルドはデルイを見つめていた。

 にしても昨日の今日でもうこんな書状が届くとは、さすが仕事が早い。この場合仕事が早いのは親父のライオネルではなく、その部下達だろう。大方ライオネルの無茶振りに慣れきった部下達が、「はいはい」といった風に書状を認めたに違いない。

 騎士団が他の人間に出動を要請することはたまにある話で、素性が知れているならば話は早い。デルイは大団長の息子だし、エア・グランドゥールで働いているので一定の腕前も認められている。


 本来ならば自分で有給申請でもして行ってこようかと思っていたのだが、こうなると話は早い。

 デルイは入職以来、長期の休暇を願い出たことはない。自分で言うのもアレだが無遅刻無欠勤、勤務態度も良好で検挙率だって抜群にいい。これで空港が忙しい時期であるなら渋られる内容だが今は閑散期で人手も余っていることだし、十五日いなくなったところでそこまで問題はないだろう。


「まあ、こうして直々の書状が来れば断れないな。お前が行く気なら行って来い」


「ありがとうございます。あと一つお願いがあるんですけど」


「何だ?」


「この制服、借りていってもいいですかね」


「はあ?」


 ミルドが今度は全力で間抜けな声を出す。


「空港以外の場所での制服着用は認められんぞ、そんなこと知ってるだろうが」


「重々承知の上でのお願いです。やっぱり着慣れた服の方がいざという時に動きやすいもんで」


「お前、こんな目立つ制服着て騎士団に紛れられると思ってるのか。あっちで怒られるぞ」


 空に浮かぶ雲をイメージして白を基調にしている保安部の制服は、そんじょそこらの服とは異なり伸縮性に優れ、物理攻撃からの防御や軽い魔法耐性まで備わっている。しかし性能面で言えば騎士団の制服の方が遥かに優れているだろう。何せあちらは魔物との戦闘を見据えて死線をくぐり抜けられるよう最高品質の素材を使っている。それをわかっていて尚、デルイはこの空港の制服の方を選んだ。


「やっぱり駄目ですかね、俺、騎士団の制服は着たくないんですけど」


「そんなワガママ言っとる場合か。だいたいどうして森竜討伐に行く羽目になったんだ」


 するとデルイはまつ毛を臥せり、昨夜のことを思い出して至極真面目に言った。


「俺の結婚相手を俺が決めるために、森竜を討伐することになりました」


「……お前また、なんか面倒ごとに巻き込まれてるな」


 顔を上げたデルイは三白眼になったミルドに見つめられ、ただただ笑ってやり過ごした。



+++



「先輩、どうして森竜討伐なんて行くことになったんすか」


「ん? まあ流れってヤツ」


 報告書作成中に後輩のスカイに話しかけられたデルイはそう答えた。

 デルイが森竜討伐に行くという事はその間スカイは違う人と組む事になる。理由を聞かれたので正直に答えたら、先ほどの質問が飛んできたというわけだ。


 カリカリとペンが紙の上を走る音が響く詰所内は、閑散期なだけあって静かだ。

 花祭りの時にはやれ禁止品目の密輸だの貴族連中相手にスリを働いただの、しょうもない案件が山のように積み重なって詰所内は小狡こずるい商人まがいとチンピラのような連中で溢れ返っていたが、今は落ち着きを取り戻している。

 忙しいのは嫌いではないが、あんまりくだらない犯罪ばかりを取り締まっていると人の持つ心の醜さに嫌になってしまう。


「流れでそんな話になります?」


「うちの親は頭のネジが外れてるから、そういう方向に話がいってもそんなにおかしいことじゃないよ」


「えぇ……もしかしてその痣も、ご家族に……?」


「ご明察」


 スカイが若干引いたような表情をしているが、デルイは御構い無しだった。事実、流れで森竜討伐に行くことになったのだ、何も嘘は言っていない。


 森竜討伐に行く許可は降りた。

 制服を借りる許可は降りなかった。

 まあそれは想定内だ。空港外での制服着用が許可されるとは思っていなかったので、念のため聞いてみたに過ぎなかった。武器は得意な得物が職員によって違うために各々自前で用意している。いつも使っている剣を持っていけばいい。

 往復で八日、竜討伐に七日。ギリギリのスケジュールだった。仮に魔物討伐部隊の到着より先に竜が襲撃してきても対応できるよう、先遣隊が既に近郊の町に駐留しているはずだ。そうなっても対応できるよう布陣が敷いてあるのだが、行ってみたら倒された後でした、ではデルイの出る幕がなくなるし、逆になかなか来なくても帰りが遅くなるので仕事に支障をきたして困ったことになる。

 いくら閑散期だといっても一月も穴を開けるわけにはいかない。

 ドンピシャで森竜が来るといいのだけれど。


「しっかしウチの制服借りられないとなると、アレ支給されることになんのかなぁ」


「アレって?」


「騎士団の制服」


 デルイは嘆息する。なるべくであれば騎士団の制服に袖を通したくなどない。しかし防御力等を考えれば私服で行くにはあまりにも危険だし、そんな我儘で命を落とすわけにはいかない。そもそも私服で現れたら叱り飛ばされて騎士団の制服を着せられるに決まっている。


「まあ、空港の制服より騎士団の服の方が絶対にいい素材使ってますから、いいんじゃないっすか……」


「まあなぁ」


 考えてもどうにもならないことなのでこれ以上は考えないようにしよう。報告書の作成に目処が立ち、インクペンの先で机をトントンと叩いた。スカイの報告書は粗もなくなってきており、いい感じだ。


「じゃ、これ提出したら帰るか」


「はい」


 ロッカーで着替えをすませるとそのまま第一ターミナルへ。


「先輩、あの店寄ってくんすか」


「行くよ。ソラノちゃんに説明しないと」


「律儀っすね。ていうか絶対に心配されますよね、その痣とともに」


「心配されるだろうな。行くけど」


「どうしてそこまでして森竜討伐に行くんすか。属性持ちの竜種には劣るとはいえ、相手はドラゴンっすよ。あんだけ嫌だって言ってた騎士団に同行して森竜を倒すと、なんか先輩にいい事あるんすか?」


 属性持ちの竜種というのは火竜や風竜といった一つの魔法属性に秀でたドラゴンのことで、これらは倒すのが相当困難だ。

システィーナがやってきたくだりを知らないスカイからすれば、いきなり騎士団からの要請に従い森竜討伐に行くと言い出したデルイの心情などまるで分からないだろう。


「まさか先輩……入団試験っすか? そのまま騎士団に所属する気なんじゃ」


「ないない」


 スカイの言葉を苦笑まじりで否定した。それだけは何が起こっても有りえないと断言できる。


「まあ強いて言うなら、愛のためってヤツかな」


「??」


 スカイは首を傾げている。らしくない事を言ってるなと思いつつ、それが此度の森竜討伐の理由の全てだ。それ以上でもそれ以下でもない。全ては今後の生活をソラノと共に穏やかに過ごすために必要な事だった。

 

 店の前へとやって来た。話しながら成り行きでついて来たスカイと共に、常時開いている店の扉をくぐる。柔らかい灯りが燈る店内には、食事を楽しむ多く客の姿があった。

 


「いらっしゃいませ! デルイさんとスカイさん、お仕事お疲れ様です……って、その顔どうしたんですか!?」


 ソラノが会計を済ませた客を送り出したのと同時に挨拶をしてくる。相変わらずの元気な声と明るい笑顔が特徴で、こうして迎え入れられると一日の疲れも吹き飛ぶし森竜ごとき何体でも倒してやるという気持ちになるのだから凄い。しかしそのソラノは例によってデルイの顔に釘付けになったまま目線が動かずにいた。本日の恒例行事のようになっていた。


「ちょっと色々あって」


 普通の女子であれば、老若男女問わず振り返るデルイの眉目秀麗な顔がぷくりと膨れ上がり痣などついていようものなら「デルイさんの顔にこんな傷があるなんて!」と憤慨しそうなものだが、ソラノの反応は違った。まるで自身に傷がついたかのように、眉根を寄せて痛々しそうな顔をしている。


「痛そう……冷やします? 軟膏とか塗りますか? 店に一応の薬は用意されてますけど」


「痛くないから大丈夫だよ、心配ありがとう」


 言って勝手に座り込むデルイとスカイに果実水を提供してくれた。痣は気になる様子であったものの、他の接客を放り出すわけにもいかないのですぐに去っていく。

 ソラノは相変わらず忙しそうだった。お盆を片手に店内を歩き回り、笑顔を振りまく彼女相手に今、森竜討伐に行く事になったなどと言っては仕事に支障をきたすだろう。何より落ち着いて話をしたい。そうなるとまた閉店後に話を切り出した方が良さそうだ。


「今日はきのこがたくさん入荷してるんですよ。きのこ料理をお出ししますね。口の中も切ってそうなので、熱すぎず舌触りの良いお料理にします」


「よろしく頼むよ」


「げっ、俺あんまりきのこ得意じゃないんだよなぁ」


 隣でスカイが顔をしかめたので、ソラノが慌ててフォローを入れる。


「勿論、きのこが入ってないお料理もたくさんあるのでお好きなものをご注文ください」


「俺はそうさせてもらうわ」


「お前は子供か」


「いや、苦手なものは苦手っす。先輩だって苦手なものくらいあるでしょう」


 言われて考える。苦手なもの、言わずもがな実の家族が苦手だった。


「確かに苦手なものは苦手だな」


「でしょう」


 どこか満足そうにそう言うスカイは子供っぽく、ああ俺もこんな風にガキみたいに思われてんのかなとデルイは心の中でひとりごちた。

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